『閲兵式』

「総員傾注!」


 副長の声が演習場に響き渡った。その表情と声には、まごう事なき強い緊張が滲み出ている。

 普段は「大概は怖くねぇなぁ。俺達は『黒狼』だ。悪魔だろうが龍だろうが、はんっ! そんなの昔に比べればなんてこたぁねぇよ」と公言して憚らない、古参の隊員達も同様。

 

 ……認め難い事だが、その目にあるのは微かな怯え。

 

 マジかよ。この人達を怯えさすって、何が出てくるってんだ?  

 この部隊に配属されて早半年。

 未だ絶えない各地の小戦闘に派遣されては、その全てを叩き潰してきたが、副長と幹部連、最古参の隊員達は、常に冷静沈着、余裕綽々、泰然自若。

 全ての任務を鼻唄混じりにこなしていた。

 当然、戦死者は零。

 

『帝国最強部隊』『十陣貫落』『漆黒奔流』『死喰餓狼』『女帝乃尖兵』


 それらの異名に嘘偽りなどない。陛下による大陸統一戦争の最前線で、考えられない戦果を挙げ、無数の奇跡を現出してきたのは、間違いなくこの人達なのだ。


「集まってもらったのは『さる御方』が我等の練度を確認したい、と仰った為だ。訓練の成果を存分に発揮してもらいたいっ!」


 さる御方? 誰だ?

 もしや、陛下が? いや、あの御方は、例の謀反劇以降『黒狼』を閲兵されていないらしい。なら、誰が――噂に聞く男か?

 『黒色道化』と呼ばれたその男は陛下が大陸統一を目指された時から付き従った最古参だったらしい。何を考えて謀反を起こしたのか知らないが、俺からすれば迷惑な話だ。あの陛下からの閲兵……想像しただけで心が躍るというのに。

 一度だけ、古参の隊員に話を聞いてみたことがある。『黒色道化とはどういう男だったのか』と。

 その時の反応は予想に反していた。苦笑しながらこう答えたのだ。


『良い上官だった。本当に良い上官だった。が、二度と付き従いたくはねぇな。命が幾つあってもまるで足らない。俺達が生き残ったのは……それこそ、神のご加護があったから――いや。死神があの人を怖がって逃げたからだろうぜ』


 古参連中がそんな台詞を吐くって、どんなだよ!?

 だが、その男はもう死んでいる。

 あの謀反劇で、三忠臣を鮮やか過ぎる手並みで葬り、あわや帝都そのものを掌握寸前までいったところを、陛下の命により、電光石火舞い戻った親衛騎士団によって、大教会で討たれたと聞く。

 それじゃ、誰が?

 副長が訓示を終わり、ちらりと視線を後方へ。頷かれた。

 ふわりと、肩へ着地する黒い影。

 ……はぁ!?


「むぅ。おぬしの肩は乗り心地が悪いのぉ。もう少し、柔らかくならんのか?」

「申し訳ありません。ですが『黒狼』副長として鍛錬に手を抜くわけにはまいりませんので」

「主は別にそこを求めてはおらんと思うが……まぁ良いわ。者共、今日は無理を言ってすまぬのぉ。なに、何時もの訓練を見せてくれればよい」

「敬礼っ!」


 副長の命を受け、一斉に敬礼――羽黒猫へ。

 えっ? ある御方って、こいつ? わざわざ、俺達の休暇を潰して行われる閲兵式がたかだが一頭の猫相手に?

 ……マ、マジかよ? 

 周囲を見渡すと、綺麗に反応が分かれていた。

 古参組は何も疑問を感じていない。緊張感が濃くなると同時に、感極まって涙ぐんでいる隊員もいる。

 俺を含め、新米組は疑問の色。

 だって、そうだろ? 俺達は『黒狼』だ。それが、何で猫の為に……。


「ほむ。見知った顔も多いが、新米も混じっておるのぉ。くくく……我が閲兵するのは不満、と顔にくっきり書いて出ておる。副長」

「は、はっ!」

「どうじゃ? ここは一つ、実戦を想定しようではないか」

「と、言いますと?」

「なに、仮にも『黒狼』を名乗るのであれば、狼しかおらぬだろうからの。よもや、駄犬は混じっておるまい? ならば、我とも戦えよう」

「!?」


 何言ってやがるんだ、この猫は。

 誰が俺達と戦う、って?

 馬鹿馬鹿しい! 

 勝負にもなりゃしない。いったい、こいつは何の茶番――そこで気が付いた。

 いきり立つ俺達を後目に、古参組は無言。そして、あろうことか、神へ祈りを捧げ始めた。その目にあるのは、恐怖と絶望を通り越した――そう、諦めだ。


「ギ、ギル様、流石にそれは……」

「我では不満か?」

「い、いえ、決してそのような事はありません……ありませんが」

「ふむぅ。仕方ないのぉ。おぬしがそう言うならば、諦めようかのぉ」


 空気が一瞬で和らぐ。

 だが、その後の一言は――百戦錬磨の『黒狼』をして士気崩壊の兆候すら発生させるものだった。


「我一人では不足、との言や良し。うむ。主と我が手塩にかけた『黒狼』が、そんな軟なことでは確かに困ろうて。昼時だしの。可愛い部下達の懇願に応えないこともあるまいて」

「ギ、ギル様……?」

「少しだけ待っておれ。すぐに戻るからの」


 そう言うと猫の姿は掻き消えた。

 転移魔法? う、嘘だろ? あれを発動させるのにどれだけ膨大な構築が必要だと思って……ぐふっ……。

 突然、腹に鉄拳が突き刺さった。見れば、横にいた古参の隊員が笑みを浮かべていた。な、何を? 俺だけじゃなく、新米隊員達全員が同じ状況。

 唇だけ動かし話かけてくる。「……お前らは後で殺す。必ず殺す……」。怖っ!

 見れば、副長も静かな笑みを浮かべつつ、俺達を見る目には明確な殺気。

 状況が掴めないでいる俺達に対して、再び魔法反応。そして、猫の声。


「待たせたの! 丁度、休みに入るところじゃった。おぬし達は運が良いわ」

「……馬鹿猫。俺はこれからようやく飯なんだが? 朝から阿呆共を相手にしながら書類と戦ってたんだぞ? 少しはこう労りをだな」

「主! 喜べ。『黒狼』が主と我と遊びたいそうなのじゃっ! 嬉しいことではないかっ」

「聞けよ、ったく――そうなのか?」

「は、はっ……! き、教練を賜りたくっ!!」

「この馬鹿猫が暴走してるんじゃねぇのか?」

「主は我に対して最近厳しいのぉ」


 猫と一緒に現れたのは、一人の男だった。

 特徴らしい特徴はない。何処にでもいそうな男だ。

 纏っている空気は気だるげ。

 だが……その姿を見た副長と古参達は、まるで新兵であるかのように緊張している。こ、こいつは誰なんだ?


「仕方ねぇなぁ……新米だけだぞ」

「流石は主じゃっ!」

「はっ!」


 猫と副長の声が明るくなる。

 古参連中からも緊張感が抜け、俺達へ憐憫の視線。

 新米だけって。それでも、100名はいるんだぞ? それを、男と猫だけで相手にするってのか? 舐めやがってっ!! 

 ……威勢が良かったのはここまで。何せ



「ああ――名乗っていなかったな。まぁ死んでる身だからな、覚えなくて構わん。昔は『黒色道化』と呼ばれていた死人だ。多少は楽しましてくれよ?」



 ……絶望、という言葉の意味をこの日、俺達は実感した。

 実戦? 生温い。

 それと神様よぉ……滅茶苦茶、怖いからって逃げるなっ! せめて、死神は踏みとどまってくれよっ!!

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る