統一歴5年

『劇薬、口を焦がし』

「諸君、喜べ。増援が来るぞ」


 一同沈黙。

 とてもじゃないが信じられない。冷たい視線を局長へと向ける。 

 何度、その空虚な言葉に騙されてきたことか……俺達が欲しいのは言葉じゃなくて、人員。しかも、百戦錬磨のだ。

 ……少し言い過ぎた。そこまでは望めない事を、ここにいる誰もが知っている。 けれど、せめてまともな人材を! 貴族出身の馬鹿じゃなくて、この過酷極まる現実を知ってなお、正気と良識を保っていられる人材をっ!! 

 それが無理ならせめて、何かしらの癒しを。このままじゃ、押しつぶされちまう……。


「信じていないようだな? 今回は本当だ。宰相閣下の確約もいただいている」

「「「「「!?」」」」」」

「来られる人物は間違いなく百戦錬磨、否、万戦練磨だ。これ以上の人材は、帝国広しと言えど、望めないだろう――この戦、勝てるぞっ!」


 再び沈黙――そして、歓声が上がった。

 机の上を未決済の書類が乱舞する。

 これで、これで……ようやく、嫁と娘が待ってる家に帰れる……。

 嫁から冷たく扱われ、娘からは知らない人扱いされる日々が遂に終わりを!


「あの~」


 浮かれている俺達を後目に、一人が挙手。

 あいつは確か、民間から抜擢された今年配属の新人。


「む、何だ?」 

「新しい方が来られるのはとっても嬉しいんですけど……何時から何時までなんでしょう。一時的な処置ですよね?」

「鋭いな。確かにそうだ――今日の午後から来られる。3日間だ」


 重苦しい絶望感。その後、凄まじい怒号。

 3日? 3日って……目の前に置かれている、帝国各地から連日届く書類の山を呆然と眺める。期待させといてそれはあんまりだ。

 俺達が所属しているのは帝国財務局。言わば帝国の金庫番だ。ここと、帝国中枢で決済されなければ金は流れていかない。

 当然の事ながら、その業務量は普段から膨大。それに加えて、今は一年に一度の本決算作業中。

 結果、日常業務は滞り連続勤務が続いているのだ。

 ……いっそ、何もかも放り出して家に帰ろうか。うん、それがいい。そうしよう。帰ってぐっすりと眠れば、きっと何もかも解決しているだろう。

 妄想へ退避している俺の耳に、悲壮感溢れる声が飛び込んできた。


「諸君。諸君らは大きな考え違いをしている。今回の決定は我等にとって大きな屈辱を……否、そんな言葉すら生温い、言わば悪夢の中にいるような3日間となるだろう。だが――確約する。3日間を生き抜けば、間違いなく仕事は片付いてる、と。今週末は『休暇』が得られる、とっ!」

「……来られる方のお名前をお聞きしてもよろしいですか?」


 聞くのかよっ!?

 ……とてつもなく嫌な予感が。

 

「勿論だ。来られるのは――」



※※※



「お前、自分が何を言ったのか理解しているのか?」

「はっ! 是非とも、御力を御貸しいただきたく」

「あえて聞くが……正気だよな?」

「このままいけば、組織が破綻しかねません。行くも地獄、退くも地獄――ならば、せめて部下を日常に戻してやりたいのです」

「それが、一時の煉獄を産んでもか?」

「…………覚悟の上です」


 強い意志を持った視線。

 こいつが、ここまで……ああ、ヤバイ。終わった後、確実に俺まで殺されかねん流れだ。

  

「分かった。何とか通そう」

「ありがとうございますっ!」

「分かっていると思うが、あいつの存在は他言無用だ。局員にも徹底させろ。漏らせば、たとえお前であっても命は保障出来ん。下がれ」

「はっ! 失礼いたします」


 悲壮感を漂わせながら、財務局長が部屋から執務室から出て行く。

 はぁ、また特大の厄介事を……。

 それを言い出さざるを得ない程に状況が切迫している、という事か。

 

 まぁ……たとえ、劇薬であろうとも解決を望んだその意気や良し。

 

 ならば、それに応えるとしよう。意を決し立ち上がる。

 確か今の時間は中庭であいつと一緒に御休憩中の筈。機嫌も良いこのタイミングならば、多少は話も通しやすい――と信じたい。

 最悪、あいつからも陛下を説得してもらわんといかんだろう。それでも、かなり際どいが……当たって砕けろだ。



「駄目」

「へ、陛下」

「駄目」

「あくまでも、一時的な、そう一時的な措置」

「駄目」

「1ヶ月、い、いえ1週間……否、3日間です。3日間だけ、この男を貸していただきたく……」 

「ブレンダン、貴方、自分が何を言ってるのか分かってるのかしら? ……そんなに死にたいの?」


 『ノルンを一時的に財務局へ借り受けたい』という提案を聞いた、陛下の反応は想像を遥かに超え、激烈だった。

 それまでは(というより、あいつが専属護衛になってからずっと)すこぶる上機嫌。これならばいけるか、と微かにでも思った不明を恥じたい。

 ……おい、何とかしてくれ。元はと言えば、お前が仕出かした事件のせいで、こんなになってしまわれてるんだぞ?

 目の前で、意に関せず菓子を摘まんでいる男(羽黒猫は散歩中らしい)へ視線を送る。


「ブレンダン、聞いているの?」

「は、はっ!」

「この件は却下します。二度と、痛っ! もうっ! 何するんですかっ!! 今、大事な話をしてるんですっ」

「阿呆。あの腹黒が素直に懇願してるんだ。年単位じゃあるまいし、3日程度でガタガタ抜かすな」

「む~! 貴方は分かってませんっ! 3日……3日間もですよっ!? その間、私は何を支えに生きていけばいいんですかっ!」

「知るか。おい、腹黒。俺は別に構わねぇが、好きにやるぞ? いいのか?」


 糞がっ! 分かってて聞いてやがるな? ああ……その押し殺したような嗤い声を聞くと、昔を思い出して不快感がこみ上げてくる。

 だがなぁ俺とて無駄に歳を重ねた訳じゃない。くくく……お前の弱点はよく知ってるんだよっ!


「勿論だ。好きにしろ。責任はこちらが取る。それと……これはお願いなのだが、陛下へも何か見返りを頼めないだろうか?」

「ブレンダン、よく言ってくれましたっ! ほらぁ、そう言ってますよ? 応えなくていいんですかぁ?」

「…………まぁ、考えておく」

「はい、記録しました。約束ですよ? 約束は守らないと駄目なんですからね?」

「分かった、分かった」

「返事は一回!」


 こちらを無視し楽しそうにじゃれ合いを始める二人を眺めつつ、ほっと一息。どうやら死刑は免れたようだ。

 この男、普段の態度からは想像出来ないが、身内からの『お願い』を決して断らない悪癖を持っている。何度もそれに救われてきたが……屈辱でもある。

 取りあえず、これで財務局の修羅場は解決するだろう。

 ただし――何人か田舎へ帰る羽目になるかもしれない。


 ……後で強く言い含めておこう。全滅だけは勘弁!

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