『鍵』
猛火に包まれ、崩壊しつつある教会内をただひたすらに駆ける。
頼りにするのは、忌み嫌ってきた男の邪悪極まりない……今にも消えそうなか細い魔力の残滓。それは、奥へ奥へと続いている。
そこかしこにあるのは、破壊された椅子や、調度品。一枚一枚、オリヴィア様が御自ら選ばれたというステンドグラスも、その多くが破損。
床に敷かれている絨毯には
……しかし、あるべき物が何処にもない。
大規模な戦闘行為の痕跡はある。
にも関わらず、ないのだ――死体が。まるで虚空に掻き消えてしまったかのように……。
「どういうことなの?」
応える者は誰もいない。
部下達の制止を振り切り、無理矢理突入したのは親衛騎士団団長の彼女のみ。
『黒色道化、謀反』
その一報が、届けられた時、陛下も、陛下に付き従っていた古参の臣下達も、誰もそれを信じなかった。
あの男が陛下を裏切る? あり得ない。
仮に謀反を起こしたのなら……私達は全員、既に動かぬ骸と化している筈だ。あの男は間違いなく狂人。だがそれ故に、一切の躊躇なく物事をやり遂げてきた。時に悪辣に。時に非道に。
第一、誰よりも陛下の為、大陸統一へ力を尽くしてきたのはあの男だ。その事は、私を含め多くの者が憎悪すら抱きつつも、認めている。
陛下とあの男なくして、統一など不可能だった。
だが、次々入った続報は、帝都で大規模な変事が起きつつあること。中心にあの男が、常に暗い笑みを浮かべる『黒色道化』ノルンがいることを示していた。
如何なる場合でも果断であられる、我が主君オリヴィア様は続報を受け、ただちに南方視察の中止を決定。親衛騎士団及び『黒狼』から、最精鋭の人員を抽出。長距離転移魔法の連続使用(普段は使用した術者の消耗が激しい為、まず行われない)による進発を命じられたのだ。
……帝都中央に位置する皇宮に到着した私達が見たのは、信じられない光景。
陛下が愛され、『私の一番のお気に入り』と日頃から形容されていた大教会が燃えていた。
指示を待つことなく、情報収集を開始した術者が伝えてきた内容は
・教会内で大規模な戦闘が今現在も起こっている
・戦闘をしているのは、帝都の管理を任されていた三人の功臣とその一族
・相手は『黒色道化』ノルン
・通信内容を傍受したところ、三臣はノルン排除を策した模様
……余りにも、余りにも愚か過ぎる。
確かに、あの男の性格は壊滅的であり、私とて何度、斬り殺そうと思ったかは分からない。
だがそれでも、この産まれたての『大帝国』はその力を必要としている。
何より、あの男は陛下にとって。
――最後の扉を一刀で斬り捨てる。
教会の最深部である礼拝堂もまた血塗れだった。猛烈な死臭。
が、そこにもやはり死体はない。
床に突き刺さっている剣と半ばから折れた槍。そして壁と共に燃えている長杖が戦闘があったことを教えてくれている。
見覚えがあった。
あれは、三臣が愛用していた武器だった筈……。
周囲を見渡すと、檀上の中央、壁に背をつけ動かない男。周囲には、当然のように血痕。
心臓が早鐘の如く、激しく動悸。まさか……嘘でしょ?
恐る恐る近づき
「ねぇ」
返事はない。
そんな……こんな……こんな馬鹿な事が起こる筈ないっ。
「ねぇっ! 起きてるんでしょ? とっとと起きなさいよっ!」
沈黙。
視界が暗転。まさか……本当に?
「……嘘よ……これは嘘……質の悪い冗談だわ……」
「娘、主は寝ておる。少しは静かにせんか。でりかしーがない女は嫌われる、と昔から相場が決まっておるのだぞ」
「!」
血塗れになり死んだように動かない男――ノルンの傍から一匹の黒猫が姿を現した。背には黒羽。彼の使い魔だ。
「あなた……」
「何しに来たのだ? まさか、主に止めを刺しにきたのか?」
「馬鹿な事を言わないでっ!」
「何だつまらん。だが、遅かったな。最早、事は終わった。ここもそろそろ崩れよう。とっとと脱出せねば……逃げ切れんぞ?」
「分かっているわよ。そいつを連れて脱出するわ」
「……娘よ、おぬしは勘違いをしておる。我は言った筈だ。『事は終わった』と。あの狂人にもそう伝えよ」
「な、何を言って……」
天井から炎に耐え切れなくなった石材が落下し、大きな音が礼拝堂内に響く。
まずい、そろそろ限界だ。
でもこいつを見捨てて私だけ逃げるなんて――
「…………うるせぇなぁ。人が折角、気持ちよく寝てるってのに」
「!?」
「何だ。死んでおらなんだか。主は無駄にしぶといのぉ」
「うっさいぞ、馬鹿猫。もうすぐ死ぬわ。……しこたま喰らってもう満足しただろうが? お前もそろそろ帰れ」
「中々に美味であった。特にあの三人は強者であったからな。しかし、断る。かつて交わした契約は当の昔に成っておるのだ。故に我も好きにする」
「……そうかよ。『十年以内に十万人の血肉を捧げる』だったか……よくも喰ったもんだな。太るわけだぜ」
「に、にゃぜ、それをっ」
「……そろそろいいかしら?」
私はノルンを睨みつける。
こんな事をしている場合じゃないのだ。早く脱出をしないと時間がない。
「あん? ……何だ、よりにもよってお前が来たのか。ちっ。どうせならあの腹黒が来ればいいものを。最期まで、面倒、な……」
「うっさいわねっ! ほら、立ちなさい。脱出するわよ」
「ああ?」
「ああ? じゃないわよっ。ほらっ、立ってっ!」
「…………忠義馬鹿娘よぉ。そいつは、無理だ。俺は、もう、死ぬ」
「!?」
「散々俺を罵ってくれたがよぉ……『悪魔』『悪鬼』『魔王』『非人間』だったか。がまぁ……俺も、人だった、って、訳だ。この傷、と出血量を見、りゃ分かるだろうが? 助からんな。治癒魔法、も、間に合わん」
「な、何を、何を言って……?」
「ほら、よ」
ノルンが血に染まった懐から、何かを差し出しくる。
その手はゾッとする程に冷たく、握った手には鮮血。
――渡されたのは一本の鍵だった。
「これは?」
「皇宮、の、執務室、にある……金庫、の鍵、だ……中、身はくれ……やる。好きに、しろ……」
手が力なく落ち、両目も閉じている。
……え?
「嘘よね? 私をこんな時までからかってるのよね?」
「……行け」
「え?」
「……お前は、まだ、死ねないだろう、が?」
「あ、あんたはどうするのよっ!?」
「……うっせぇ、なぁ……最期の最期まで、手間が、かかる……」
「!」
むくりと起き上がり、私の胸ぐらを掴んだ。
死にそうな男とは思えない力強さ。
「……シャロン、あいつに伝えろ。『約束は果たした。その代わりにお前の一番大事なモノもいただいた』と」
そう聞こえた、と思って瞬間、私の身体は正面の燃え盛るステンドグラスへ叩きつけられていた。全身に衝撃が走りそして――教会の外へ投げ出される。
「団長っ!」
部下達が直ぐに駆けよってくるが、それどころじゃない。
目の前で教会は崩れ落ちようとしている。その時だった。
――声が聞こえた。あいつの、『黒色道化』ノルンの嗤い声が。
それは教会が私の前で完全に崩壊するまで続き、やがて――止んだ。
気にくわない、心の底から気にくわない。手の鍵を血が出るまで握りしめる。
……最期の最期に名前を呼んで、勝手に逝くんじゃないわよっ!
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