『慟哭』

「何て物を遺していくんだよ、あの男は。こんな物を俺達に使いこなせってのか……?」


 私の前で、帝国宰相ブレンダンが頭を抱えている。協会が焼け落ちた後、本隊の先遣部隊を率いて到着したのだ。

 事情を説明し、二人でノルンに渡された鍵を用い執務室に置かれていた金庫を開けてみると、そこかから出てきた物は分厚い紙束と手紙だった。

 紙束には隙間なくびっしりと文章が書きこまれており、メモ紙には『道化が踊る時間は終わった。後は好きにやれ』。

 肝心の内容は……


「帝国もしくは陛下に対して、少しでも逆心もしくは、叛意を抱いた事のある人物達。そいつらの役職と在野にいる場合は潜伏先。強みと弱み。利用価値があるか、ないか。あいつは、こんな膨大な情報を調べてあげてた、と。 統一が終わる前から? で、今回の三人が立つのも織り込み済み? ……おい? こいつは何の冗談だ?」


 分かっていた。いや、分かっていたつもりだった。

 あの男の凄まじさを。

 ……だが、私達は甘かった。甘過ぎた。

 『黒色道化』は私達の遥か先を見据えて動いていたのだ。

 今更知るのも、遅すぎたけれど。

 この資料は余りにも危険だ。利用価値があり過ぎる。

 私かブレンダンが使うには荷が重く、かと言って、多くの人間に公表も出来ない。

 一瞬、あいつの嗤い声が聞こえるような気がする。あの道化……。

 それよりも……もっと差し迫った大問題がある。


「ねぇ」

「何だよ」

「……オリヴィア様には、その」

「お前、正気か? 『三臣が陛下を何れ利用しようとしてたのを察していたノルンが、謀反を誘導。一族の主要人物全員を殺害し、自らも戦死』。これを伝えろと? 俺達全員がまんまと騙されていたんだぞ? ……陛下も含めて」

「だけどっ」

「分かってるっ!! だがっ……あいつが生きている可能性は? 崩落して大穴があいてたんだろ? 地下水脈に繋がってるんじゃないのか?」

「確かに死体は見つからなかったわ。落ちた可能性もある」

「なら」

「だけど、どうやって生き残るの? 深手を負い、魔力も空だった。あれじゃ、使い魔も力を発揮出来ないわ……単なる黒羽猫よ」

「…………俺達だけで決められる問題じゃない。下手すれば、陛下は」


 壊れるぞ、ブレンダンの微かな声が私を重く苛む。

 あの時、私があいつをすぐに抱えて脱出していれば何も問題はなかったのだっ……。

 オリヴィア様とあいつは、旗揚げ当初から今日まで8年間、ずっと一緒だったと聞いている。傍目から見ていてもあの二人は、師と弟子であり、親子であり、相棒であり、そして。


「とにかく、この問題は他の奴等と協議する。本隊にいる連中へ緊急連絡だ。到着を出来る限り遅らせて」

「……遅らせてどうするの?」

「そんなの決まって――」


 聞きなれている筈の穏やかな声。

 瞬時に背筋が凍り付く。待って……お願い……ああ、神様……。

 不遜になることは分かっている。けれど私達は振り向けなかった。

 後ろを見ることが出来ない。


「ねぇシャロン、ブレンダン、どうして振り向いてくれないのかしら? それと――」


 嗚呼……オリヴィア様。

 お願いです。心からお願いします。

 どうか……どうか……その先は……。



「あの人は何処?」



 全身が震える。隣のブレンダンも同様。顔面は蒼白。

 オリヴィア様の声は確かに暖かった。暖かったけれど――そこには、一切の感情がなかった。

 意を決し振り返り――私は、心の底から恐怖を覚え、同時に先程とは比べ物にならない程の後悔が押し寄せて来た。とても立っていられず、地面にへたり込む。

 彼女は何時ものように微笑みを浮かべている。周囲には『黒狼』の精鋭。そして如何なる戦場でも蛮勇を発揮する彼等が……付き従っている少女の姿を見て怯えていた。


「へ、陛下」

「ブレンダン、私は聞いているのだけれど?」

「はっ……」

「シャロン」

「オ、オリヴィア様……も、申し訳」

「そう――あの人は、死んだのね? 私をこの世界へ置いてきぼりにして。勝手に死んでいったのね?」


 目が一瞬合い、私はすぐに目を伏せた。とてもじゃないが耐えられない。

 ……そこに見えたのは、深過ぎる絶望と紛れもない狂気。


「取りあえず……後始末をしないといけないわ。副長」

「は、はっ……!」

「殺しなさい」

「は、はっ……?」

「彼を――私のノルンを殺した連中、その全てを。それが『狼』の役目でしょう」

「へ、陛下っ! いけません!! それでは、陛下の声望に大きな傷を――」

「傷? それがどうしたっていうの? 何の意味があるの? 彼がいないこの世界で私がそれを守る必要があるの? そんなの……意味がある筈ないわっ!!!」

「「!」」


 甘かった……余りにも余りにも甘過ぎた……。

 オリヴィア様の想いがここまでだとは……駄目だ。私達にはこのお方を止められない。止められるとしたら――その時、気付いた。


「オリヴィア様! これを」

「…………」


 無言でノルンからの手紙を受け取ると、乱雑に封筒を開けられた。


「出て行って」

「はっ……」

「今から、私が自分で出て行くまで、みんな出て行って」

「し、しかし、それでは御身に何かあった場合」

「出て行って!!!!」


 全員が叩き出され、扉が乱暴に閉められる。中から鍵がかかる音。

 ……静寂。

 やがて――



「ああああああああああああああああ!!!!!!!!」


 

 少女の悲痛な慟哭が響き渡った。



※※※



 こうして、『黒色道化』ノルンは表舞台から唐突に去って行き、私は敬愛する主君の中で何かが決定的に変わるのを目の当たりにすることとなった。

 『聖女』と形容された、彼女は優しく穏やかで、そこには何処か甘さがあった。

 しかし、この変後の彼女には怜悧さが混じるようになっていく。

 三臣の一族は皆殺しこそ免れたものの、その日、帝都におり生き残った者は軒並み一人残らず処刑された。ただし、あくまでも謀反を起こしたのは『黒色道化』とするという、条件付きで。

 『名誉は守る。だが、代価は支払ってもらう』。あの男の常套手段。

 そして、ノルンが遺した紙束はブレンダンによって今後も『運用』される事が決まり、少しでも妙な動きを見せた者は、一人一人また葬られていった。

 勿論、その裁可を下したのは、我が恐るべき主君。

 

 ――かつて、彼女の手は綺麗だった。何故なら、その隣を歩き、彼女にかかる筈だった血の全て浴び、赤どころか黒く染まっていたのは、思い返してみると何時も嗤っていたあの道化だったからだ。

 が、今や彼女は紅く、紅く染まっている。

 いつしか、我が主君は一部の人間達からこう呼ばれることとなった。



『血塗られし聖女』と。



 それを伝え聞いた彼女の顔に浮かんでいたのは、紛れもなく――。 

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