『黒色道化』

『黒色道化』


 その名は、あの大戦乱時代末期まるで彗星のように現れ、統一後しばらくすると、全てが幻であったかのように史書から消えていく。

 彼が、かの女帝であり聖女でもあったオリヴィア一世に付き従った最古参の人物であり、各地の戦場で多大な功績を残したことは辛うじて分かっている。しかし、その名は敵軍からは恐怖を、友軍からですら畏怖をもって受け止められていたようで、文書としてほとんど後世に遺されていない。どうやら、文字にするのも忌避される程、恐れられていたようだ。

 

 それでも、今日の世にまで彼の名前が伝わっている理由は二つ。

 

 一つ目は大陸制覇へ向かう過程で起こり、実質上の決戦であったと解釈されている『ダ・ケイオスの会戦』において、彼が率いたとされる帝国軍最精鋭部隊『黒狼』の尋常ではない活躍ぶりの為である。その突撃は敵軍を部隊単独で切り裂き、敵将討つこと数多。敵本陣すらも突き崩してみせた。現在の、連邦軍精鋭部隊が、こぞって『黒狼』を名乗るのはこの名残なのだ。

 二つ目は、統一歴3年に彼が引き起こしたとされる『三衆掃滅』と呼ばれる謀反劇であろう。

 女帝が南方視察へ赴いた隙をついたこの謀反は、部分的に大きな成功をおさめた。帝都を任されていた三忠臣のことごとくを戦死させ、一族郎党にも再起不可能な程の打撃を与えたからだ。以後、三忠臣の一族が歴史の表舞台に上がったことはない。

 

 だが――そこまでだった。

 

 電光石火で、帝都へ舞い戻った女帝の指揮により、彼はあっさりと討ち果たされる。最期の場所は、帝都中央近くの教会。

 一人立て籠もった後、散々に親衛騎士団を翻弄、その後自ら火を放ち、炎の中へ消えたと伝わっている。

 この謀反劇の結果、彼の資料は決定的に散逸した。

 若い自分(何しろ、女帝はまだ17歳になる前! だったのだ)を長く支えてくれる筈だった三忠臣を討たれた女帝の怒りは凄まじく、誰も止められない程だった、と書き残されている。後に編纂された帝国史書においても彼の名前は記載がない。

 

 ――謀反以降、『黒色道化』の名は完全に消え去ることとなった。唯一にして最大の疑問。『何故、それまで女帝に対しては忠実だった彼が謀反を起こしたのか?』という問いを抱えたまま。



※※※



 その日、帝都には雪が降っていた。

 夜半から降り積もったそれは、兵達の軍靴によって踏みしめられ、既に泥混じりとなっている。彼等は、帝都中を捜索させていたが、目的の人物の姿は何処にも見当たらなかった。

 刻々と時間が過ぎる中、焦燥が高まってゆく。仮に、今の段階で南方視察中の女帝へ報告が上がれば、自分達はたちまち謀反人となってしまうだろう。そうなってしまえば、自分達のみならず、一族全体の破滅は必定。

 何しろ――彼女がいない帝都で勝手に兵を動かし、あまつさえ彼を、あの陛下の心を惑わしている大奸臣『黒色道化』を討とうとしているのだから。

 本陣を置いている大教会には次々と伝令が駆け込んで来る。


「いたか!?」

「帝都西方、それらしき人物、確認出来ませんでした」

「帝都東方、同じく」

「帝都南方、反応ありませぬ」

「帝都北方、既に捜索終了いたしました」

「彼の奸臣の住居にも誰もおりません。もぬけの殻です」

「何ということだっ!」


 禿頭の大男が机に拳を叩きつける。

 既に、帝都の大半を捜索した。が、いない。何処にもいない。

 ……もしや、気取られていたのか? 

 背筋が凍り付く。相手はあの『黒色道化』。悪魔ですら忌避するような男。今まで奴がしてきた悪逆非道を考えればあり得ない話では……。


「落ち着け、ランベルト」

「これが落ち着いていられるかっ! あいつを早急に討たねば……我等は謀反人だぞっ!? 分かっているのか、ドミニク?」

「大丈夫だ。少なくとも、奴はこの帝都内にいる。ならば、見つかるのは時間の問題だろう」

「しかし……」

「こちらにはティポーもいるのだ。探索で早々間違いは起こらん」


 重厚な鎧を身に纏った男――ドミニクがたしなめる。

 それを眼鏡をかけた細面の男、ティポーが応じた。


「大丈夫だ。あいつの邪悪な魔力は忘れようがない。巧妙に秘匿しているが、確実に包囲網は狭まりつつある」

「そうでなければ困る。我等は、あの大奸臣『黒色道化』ノルンを討つ為に立ったのだっ。無論……陛下はお怒りになると思うが、いずれは分かって下さる筈」

「うむ。御聡明なお方だからな。唯一の難点は、あの男を手許へ置かれていることだけだ」

「……あんな邪悪極まる男は帝国中枢から一刻も早く排斥しなければ、ようやく達成された大陸統一の快挙が水泡となってしまう。そんな事はさせぬっ」


 三人が頷きあう。

 彼等の心にあったのはオリヴィアへの忠誠心と、彼女が誰よりも頼りにしているノルンへの限りない憎悪。

 そもそも何処で出会ったのかも知らず、何故、彼が彼女に付き従っているかも分からない。分かっているのは……直接的ではないにせよ、国政に介入出来る絶大な権限を持つことのみ。有り体にいえば、邪魔の一言に尽きる。

 若き女帝は、今後数十年に渡って統治をするだろう。その時、彼女を支えるのが彼であっては困るのだ。何しろこの国は、大陸を統一した史上空前の大帝国。自分達のような、出自がしっかりし、彼女を上手く補佐出来る人物達こそが、その座にはいるべきだろう。

 そして、あわよくば一族の誰かと彼女を。


「とにかく、奴を見つけねばどうにもならぬ」

「未捜索地区へ捜索が終わった地区の兵を向かわせている」

「我が名にかけて必ず見つけてみせるっ」


「……今まで馬鹿だ馬鹿だと思っていたがよ、救いようがない大馬鹿だったんだな、お前らは」


 ぎょっとして三人は声がした方に目をやる。

 教会の椅子に腰かけていたのは


「「「ノルンっ!」」」

「よぉ。待ちくたびれたからこっちから来ちまった。暇だったんであいつには連絡をしといたからよ。『黒色道化、謀反』ってな――俺はとっても優しいだろう? ああ、勿論、お前らの連名にしといてやったから、安心しとくといい。まぁ」


 暗い嗤い声が教会内に響き渡った。

 周囲の兵達が一歩、後ろへ下がる。

 三人の身体にも微かな震え。

 感じているのは、余りにも純粋な殺意。



「どっち道、お前らは生かしちゃおかねぇが。一人残らずここで死んでもらう。皆殺しだ。そうでないと――約束を果たせねぇからなぁ」

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