血塗られし聖女と嗤う道化

七野りく

統一前から統一後

天神歴994年及び統一歴3年

 ――今でもよく思い出す。

 

 あの日は、とても冷たい雪が降っていた。

 季節外れのそれは、道にも薄らと積もり、凍えそうな寒さが肌を刺した。 

 そんな中、幼い私は、信じた目的の為に、一歩ずつ雪を踏みしめ路を進む。

 目印は点々と続いている血の跡。

 それは、大通りを外れ路地へと続いている。孤児院の先生から、立ち入ってはいけない、と厳しく注意されている街の暗部だ。

 けれど、私にはどうしても先へ進む必要があった。何故なら、そこに私が欲してやまないものを、与えてくれる人がいることを知っているから。


 路地を突き進むと、やがて行き止まりとなった。

 そこには黒い影が微動だにせず、壁へ寄りかかっている。

 周囲にはおびただしい血。 

 死んでいる? いや、そんな訳ないっ! だって、この人は私に――おずおずと手を伸ばし、顔に触れる。冷たい。


「聞こえますか?」


 返答はない。

 だけど、感じたのは微かな呼吸。生きている。当時の自分が使える精一杯の治癒魔法を使う。そして、告げた。


「貴方に私はお願いすることがあります」

「…………失せろ」


 獣のような低い声。

 身体中が恐怖で震える。当然だ。あの時、私はまだ8歳。何かを成すには幼過ぎ、これから自分が口にすることの意味を本当に理解していたかも分からない。

 だけど……私は、願ってしまったのだ。それと引き換えに自分が何を喪うのかも理解せずに。 


「お願いです。聞いて下さい」

「…………」

「私は、私は、もう嫌なんです。お腹が空くのも、誰かに殴られたりするのも、知っている人が死ぬのもっ!」

「…………」

「だけど、私には力がありません。ほんの少しだけ回復魔法が使えるだけ。これじゃ誰も守れないし、救えない」

「…………」


 男は黙って聞いている。

 そして私は、自分の運命を変えた台詞を紡いだ。 


「だからお願いです。私に、私に――この世界をください」


 今から考えれば、どうしてあの時、私がそう言ったのか自分でも分からない。側近達に話をしても到底信じてはくれないだろう。

 私はまだ幼く、そして目の前には死にかけている血塗れの男だけ。

 だけど……私には分かっていたのだ。

 彼さえいれば、私が恐れるものは何もない、と。たとえ、何が起ころうとも二人がいる限り無敵であり、神すら殺してみせる、と。

 

 ――沈黙の後、彼の口から洩れてきたのは哄笑。


「訳の分からんクソガキだ。世界が欲しい、だと? それを俺に望む? 頭がいかれてやがるのか」

「狂ってはいます。ですが、それはこの世界とて同じな筈です。なら……私がもらって何の不都合があるでしょう。何もない筈です。私と、貴方がいれば事足りる話なのですし」

「くくく……狂人の少女か、面白れぇ。分かった。くれてやるよ、この世界」

「本当ですか!?」

「くれてやるとも。俺は嘘は言わねぇ。こんなくだらねぇ世界なんぞ、てめえにくれてやるから好きにすればいい。だが」


 そう言って、笑うの止めた彼が私の目を真正面から見据える。

 彼を知る多くの者は、死んだような目、と形容するが、私にはそうは思えない。あれは、絶望を知り尽くし、それでもなお――生きる事を止めなかった者の目だ。 彼はあの当時ですら誰よりも生きていた。生きていたのだ。


「だが?」

「世界の代わりにてめえは何をくれるんだ?」

「私を好きにしていいです。今は胸も膨らんでいませんけど、それなりに美形だと思いますよ?」

「馬鹿かてめえは。まったく割に合わねえだろうが。そうだな……よし、決めたぞ。いいか、こいつは契約だ。ここから先は、死ぬまで継続されると思えよ?」

「はい」

「本当にいいんだな?」

「勿論です」

「そうか。なら、俺はてめえに世界をくれてやる。そして、てめえは俺に――」



※※※



「陛下、そろそろ到着いたします。御支度をお願いいたします」


 親衛騎士団団長の声で、現へと戻ってきた。

 飛空艇に設けられた窓の外を眺めると、海が見える。確かにそろそろ到着するようだ。

 今回、わざわざ南方への視察を提案したのは、未だにこちらを敬う気が欠片もない、彼だった。


『そう言えば、てめえは南方方面を見たことがなかったな?』

『ええ。というか、激戦場だから、と誰かさんが連れて行ってくれなかったんですよ。はぁ……まったく過保護でやんなりますね』

『そうかい。その誰かさんってのは余程、モノが分かってるだろうぜ。狂ってる聖女様の相手なんかしてられなかっただろうからな』

『もうっ! 何時までも子供扱いしてっ!! ほら、見て下さい。胸だってこんなに大きくなったんですよ? もう子供じゃありませんっ。だから、何時でも手を出してくれて……』

『へいへい。兎にも角にも色気が皆無なのが致命的』

『死ねばいいのにっ!』

『ごめん被る。まぁいい。取りあえずお前は南方へ行ってこい』

『別に構いませんけど……普通、それって皇帝である私が命じることですよね? 貴方はどうするんですか?』

『俺か? こっちで残務整理をしたら追いかけるさ』

『……本当ですか?』

『俺は嘘は言わねぇ』

『……それがもう嘘ですが。はぁ、分かりました。必ず追いついて来てくださいね?』


 明確な返答はなかった。あったのは、乱暴に私の頭を撫でる彼の手。

 考えてみれば、離れ離れになったのはあの日以来ないことだ。珍しい。ようやく一人前扱いしてくれているのだろうか?



 ――帝都から、一報が入ったのは空港へ到着した直後だった。

 

 『黒色道化、謀反』

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