Episode12:暴走

 廃屋の現場に駆けつけた岬刑事としばらく話し合った後、田村は軽ワゴンに乗り込み、康司こうじや川岸と一緒に社屋を目指した。後から岬とその部下の乗ったパトカーも続く。

 車内で何度か社長から携帯に連絡が入った。社屋にいるはずのながれと急に連絡が取れなくなったのだという。更に、論点を整理するにはとてもじゃないが複雑すぎるくらい様々な事件が入り組んで、電話では説明しきれないとも。会議が終わり、これから戻るという一ノ瀬と社で落ち合う約束をする。

 雨脚が強く視界が悪い中、軽ワゴンはがむしゃらに進んだ。ワイパーも利かなくなるくらいの土砂降り。早く、早くたどり着いて、事の真相を見極めなければならないのに、雨はそれを拒むかのように更なる攻撃を仕掛けてくる。黒く澱んだ空は田村たちを嘲笑うかのように雷を叩きつけてきた。

 早く、早く。焦れば焦るほど、信号機は交差点のたびに赤色で、ワゴンを阻む。


「流、大丈夫かな。あいつ、結構無謀なところがあるから」


 車窓に叩きつけられた雨粒が後ろに後ろに流されていくのを見ながら、康司こうじが言う。

 運転席の田村は悔しそうに、背中の康司を少しだけ振り返った。


「俺が、俺が悪いんだ。完全なミスだ。あいつにあれ以上刺激を与えたくなかったのに、余計なことを。俺が、江川と一緒に行けだなんて言わなければ」


「田村さん、それは言いっこなし。止めなかった俺も同罪だ」


 助手席の川岸も、沈んだ声で会話に乗った。


「流のヤツ、江川さんを起こしに行ったとき、勝手にパソコン画像を見てたんだよ。田村さんや俺たちが余計なものは見せまいとして気を使えば使うほど、あいつは貪欲になった。流はまだ子供だって、俺たちみんながどこかで思っていたのかもしれない。あいつはあいつなりに、事件に向き合おうとしてたのかもしれない。『未成年だから』『まだ経験が足りないから』って差別は、本当はよくないんじゃないのかな」


「そう思うのはそっちの勝手だ。悪いけどそういうのは『差別』とは言わない。川岸、お前ももう少し経験が必要だな。あいつみたいな若造は、過去に嫌なもん引きずってる分、タチが悪いんだよ」


「過去に? 流が?」


「あいつ、親に捨てられたんだ。五つの頃にな。喰うものもない、小汚いアパートに数ヶ月放置され、社長に助けられたのさ。それから社長に引き取られるまでの間、施設にいた。捨てられたと思ったんだろうな、今回も。自分ばっかり仲間はずれにしてって。完全な判断ミスだよ。あいつの気持ちを考えてやれるのは俺だけだと思っていたのに。だから社長は俺に流を任せたのに。最悪だ。最悪すぎる」


 田村のハンドリングは荒かった。滑りやすい雨の日、慎重な運転など出来る精神状態ではなかった。とにかく急いで、流の元に行かなければと──。

 パトカーが後から付いてきていることも、視界が悪いこともお構い無しに、田村はスピードを出して進む。そして大きな交差点に差し掛かったとき、


「田村さん、危ない!」


 川岸の声に驚いて、田村は慌ててブレーキを踏んだ。車がスピンし、交差点中央で止まる。

 反動で、田村と川岸の身体がぐいと前のめった。シートベルトをつけていなかった後部座席の康司は、ごろんとそのまま前と後ろの座席の間に転がり落ちた。


「な、なんだ。急に!」


「ったー! 田村さん! 痛いよ!」


 田村と、転げ落ちた康司が矢継ぎ早に文句を言う。

 が、次の瞬間、それまで薄明るかった車内が暗転する──。

 巨大な黒い影が、目の前を横切った。大きな機械音、ドシンという振動。

 賑やかな街が、一瞬にして闇に飲み込まれた。


『黒い大きな影を見たという証言もあり、警察は原因を──』


 事務所で見たニュースを思い出した。


「真昼間だぞ!」


 田村は頭をもしゃくしゃとかき回し、影の動いた先を覗く。

 人の形を模した獣のような、無機質で黒い影。五階建てビルの高さほどもあるその影の、のそり、のそりと歩く先は。


「港だ、港に向かってる」


「港って──、まさか、なぎさが連れ去られた場所じゃないだろうな」


 横目で確認しながら、田村は狂ったようにアクセルを踏んだ。


「何かが、とんでもないことが同時多発的に起きてる。これが偶然じゃなくて、なんだって言うんだ」


 軽ワゴンとパトカーは、再び便利屋一ノ瀬の社屋に向かう。黒い影がなぎ倒した街の残骸を避けながら。


「流のヤツ、社に残っていた原付でどっかに行っちまったらしい。恐らくは、なぎさの携帯の発信源――、港の方角だ。だが、確証はない。携帯も置いてくし、連絡をとる方法が何一つない」


 一ノ瀬が到着したとき、社屋に人影はなかった。予備の五〇cc原付バイクが一台無くなっているところを見ると、これで流が移動していると見て間違いはない。社長用の電話器は、受話器が上がったまま床に投げ出されていた。流の携帯電話は机の下に転がっていて、パソコンの画面は「送信完了」のウインドウが出たまま止まっている。

 雨で濡れ、汚れた室内。蹴散らされ、散らばった書類、床に放り出された筆記具や事務用品。

 呆然と立ち尽くす一ノ瀬を、田村はどう慰めてよいか途方にくれた。一緒にやってきた川岸、康司、岬や刑事たちも、事務所の荒れ具合を見て息を呑んだ。


「──本当に、申し訳ない。田村、許してくれ」


 躊躇なく頭を床につける一ノ瀬。小刻みに震える背中が痛々しい。


「どうして、どうして社長が謝るんです」


 田村が顔を上げてと懇願しても、身体を揺すっても、一ノ瀬は土下座したままそこから動こうとしなかった。ただただ、額を床に擦り付けるようにして、


「義理とはいえ、親の俺の教育がなってなかったんだ。迷惑をかけた。あいつ一人の暴走で、余計な手間をかける。本当に、申し訳ないことをした」


「それは、俺の指示ミスです。社長のせいでは」田村がフォローしても、


「いや、それは違う。俺が──」


 堂々巡りだ。普段気丈な一ノ瀬も、養子の中で一番末の流のことになると、たがが外れてしまう。

 痺れを切らし、様子を見ていた岬が前に進み出た。


「一ノ瀬さん、捜査本部との会議、何か収穫あったんでしょう。なぎささんの身も心配だし、……もちろん、流君のことも考えなくてはならないけど、先へ進みましょう。さ、顔を上げて」


「け、刑事さん、すまねぇ……」


 ようやく立ち上がり、鼻を垂らし、涙と雨でぐちょぐちょになった顔を首に引っかけたタオルでごしごしと擦ると、一ノ瀬は気合を入れるようにパンパンと頬を叩いた。


「そんじゃぁ、気を取り直してってことで。ちょいと、集まってくれるか」


 一ノ瀬はいつものシャッキリ顔に戻り、応接テーブルに何やら書類を広げ始めた。この界隈の地図と、文書だ。どっこいしょとソファーに座り、皆を呼び寄せる。

 田村はほっと胸を撫で下ろし、岬刑事に一礼する。軽く目を閉じて、どういたしましてと微笑む岬は、こういった場面に慣れているのだろう。散らばった書類や電話をそっと元通りにして、何食わぬ顔で一ノ瀬の説明に聞き入った。さりげない優しさに救われる。


「今、十時四十五分。流と最後に連絡を取ってから一時間と少し。時間が経ち過ぎれば、なぎさも、流も危ない。手短に話そうと思う」


 田村たちが頷くのを確認して、更に一ノ瀬の話が続く。


「一週間前、流が乳児遺体を発見した。その四日後、岬刑事が来て、母親がバラバラ死体で見つかったと聞いた。廃屋で見たバラバラ殺人の画像が今回の被害者のものかどうか、今、警察が調べてる。一緒にあった強姦映像も関連性があるとしたら、強姦、妊娠、出産の後、子供と母親を別々に遺棄したと見て間違いないだろう。どちらも捨てられていたのはゴミ処理場。偶然じゃない……だよな、岬刑事」


「ええ、そうよ。ここで疑問なのが、乳児遺棄の現場で監視映像に映っていた黒い影。昨日、そして今日ここに来る前にも現れたあの大きなものと関係があるのかどうか。そこが引っかかっていたのよ」


「うむ。さっきの会合で聞いたんだが、実はあの黒い影の騒ぎというものは、新聞やニュースに取り上げられていなかっただけで、インターネットでは随分前から噂があったそうだ。郊外の山間部で何かを見ただの、港、住宅地、実に様々なところで何回も目撃されていた。だが、いずれも目撃されたのは深夜帯だったため、大騒ぎにならずに済んでいた。ところが最近、急に目撃情報が多くなる。これが、金属資源の盗難とぴったり時期が重なるんだ」


「それってつまり、盗まれた金属は──、あの黒い影のようなものの製作に使われた可能性があるってこと」


 まさかと弱気に発言した康司の肩を、一ノ瀬が叩いた。


「捜査本部の話では、なきにしもあらず、というところらしい。子供だって部品さえありゃ小さなロボットを作れるような時代だぞ。金と技術が揃えば、アレだけ大きい人型ロボットを作れないわけがない。その材料として金属資源ゴミを盗み、その度に作ってたとしたらどうなるか。まあ、これもどうなのか、調べてる最中らしいけどな。調べるだのどうこう言ってる合間に、やつら昼間でも堂々と動き出してる。これが、遺体遺棄やバラバラ殺人と、上手く繋がればいんだが……」


 チラと岬の方を確認する。一ノ瀬の後方で、彼女は誰かと携帯電話で話していた。何度も頷き、メモを取る。一ノ瀬の視線に気が付いたのか、彼女は電話をやめた。


「ごめんなさい。たった今、警視庁から連絡が」


「どうです、何か分かりましたか」


「あの画像。廃屋のパソコンにあった画像データは、この間の事件の被害者で間違いないと。つまり、埋め立てゴミ置き場で最初に発見された遺体と、バラバラ殺人、それから廃屋のパソコンが全部繋がったのよ。それから──」


 岬は不意に、社長机に置かれていたテレビのリモコンを持ち出した。電源を入れ、ニュースチャンネルにあわせる。


「あの黒い影」


 壁掛けテレビの画面に映し出されたのは、街をヘリコプターから見下ろした映像だった。

 港が画面の上部に見える。自衛隊のヘリコプターが何機も旋回し、複数のパトカーの回旋灯が激しく点滅する。あちこちから煙が上がり、火の手が上がっているではないか。

 何が起きているのか、にわかには分からない。しかし、目を凝らせば雨の街に、いくつかの大きな黒いものがうごめいて見える。あの、巨大な影だ。


「どうやら一つではないらしいわ。今、何体もの影が現れ、街を破壊して回ってる。どうしてこのタイミングなのか、なぎささんの拉致と何か関係があるのか。警察でさえ、まだ分からない状況よ」

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