Episode13:接触
雨粒が激しく叩きつけた。秋風と共に
前に進みたかった。じっとしていれば、頭は余計なことを考える。忘れていたことを思い出す。とにかく動いて思考回路を止めなければ、自分はダメになるような気がしていた。「余計なことはするな」と田村や一ノ瀬に言われても耳を貸すことなんて出来やしない。
社屋から住宅地を抜けて下り坂を通り、商店街、町工場の軒並みを見ながら港へ向かう。
スコールのような雨。いつからだろう、東京の雨がこんなにも激しく、情緒なく降るようになったのは。地球温暖化が原因だと聞いたこともある。一年の平均気温が二十度に迫り、亜熱帯へと近付き始めた今日、豪雨は珍しいことではない。しかし、今日のように先を急がなければならない日に限って降るのは、何か見えざる力が働いているとしか思えない。
工場街を原付で進む。土砂降りの中、雨具も着ずに走る流を、軒先で不思議そうに眺める人々。機械と油の臭いがした。普段嗅いだことのない臭いはいい刺激になる。目が覚める。
こうして原付バイクを走らせている間も、背後では黒く巨大な影たちが雨のカーテンをくぐるようにのっそりと現れ、街を我が物顔で歩いていく。通り過ぎていった住宅街や商店、工場さえ、犠牲になってしまったのかもしれない。しかし、振り返ってそれを確認することを流はしなかった。
港へ出る。倉庫の連なる道を、更に進んでいく。なぎさの携帯の発信源を画面印刷した紙など、手に握っていたがとうに千切れ濡れて跡形もなくなってしまった。記憶だけを頼りに原付バイクを走らせた。
積荷を一時保管するための倉庫が、特徴なくいくつも並んでいた。壁面に数字が並び、それだけが唯一他と違うことを表している。確か、丁度この辺りだ。
流は原付から降り、ヘルメットを脱ぎ捨てて、その一つ一つを確認し始めた。扉を開け、中に入り、なぎさを呼ぶ。反応がなければ次へ、次へ。
「どこだ、なぎさ……」
息が切れそうだ。動悸が激しく、焦燥感で胸が苦しくなってきた。
雨の勢いも弱まらないのに、びちゃびちゃと足元の悪い中を汚れたスニーカーで駆けずり回る。まるで映画のワンシーンのようだと、半分心の中で笑いながら動いている自分がいた。不謹慎だ。そう分かっているのに、頭は現実とはかけ離れたどうでもいいことを常に考えている。興奮はしていたが、頭の中はどこか冷静だった。
何番目かの扉を開ける。飼料の山積みになった倉庫の内部に、なぎさを呼ぶ流の声が響き渡る。
「ここもダメか」
諦め、振り返った刹那。流は何者かに、後頭部を殴られた。
*
社屋に残った一ノ瀬は、気丈な振りをしていたがどこか覚束なかった。もしかしたら連絡が来るかもしれない。流か、それとも犯人からか。予測できない中で電話を待っていた。
警視庁から特別捜査班の一員がなだれ込み、会話を録音するための機械を電話機に接続している。いつもは作業着や依頼のスケジュールが山積みになっている社員の事務机は捜査員に占拠され、いかにも物々しい雰囲気になってきた。
社長机に向かい、電話とにらめっこしながらじっと待つ一ノ瀬に、一緒に待つことになった川岸が元気付けるように言った。
「社長、大丈夫ですよ。なぎさも流もきっと無事です。今、田村と岬刑事が向かってるんですから。待つ事だって、立派な仕事ですよ。待つ人がいるから帰ってくるんです。社長は社員に『ご苦労様』とねぎらえる唯一の存在じゃないですか。大丈夫、きっと大丈夫」
一ノ瀬はただただ、うんうんと頷いていた。
「警察の見解は分からないけど、俺が思うに、狙われたのはウチじゃなくて便利屋業界全体なんじゃないですか。その中でたまたまウチが何度も現場に遭遇しているだけのような。個人的な恨みを買うような事業はしてないでしょ、ウチの社は」
「確かに、そうなんだがな」
「じゃあ、そんなに心配することは」
「いいや。人の恨みなんて、どこで買ってるか分からんもんだよ。慈善事業家みたいなもんだからな、便利屋なんて生き物は。親切してるつもりでも、案外嫌なやつだと思われていたかも知れん。今まで何十年かやってきたが、その中でどれくらいの人間に接し、どれくらいの人間から恨みを買っていたかなんて、はっきり言って考えたこともなかった。だが、なぎさが誘拐され、流まで行方不明になってしまったとなれば、やはり何か俺に落ち度があったとしか考えられんのだ……」
雨はまだ降り続けていた。弱まったり、強まったりしながら、延々と続く。この雨の一日がいつまでもいつまでも終わらないような、そんな感覚さえ一ノ瀬には生まれていた。
「止まない雨はない。って言うでしょ。事件は必ず解決します」
力強く言う川岸だが、その台詞のそこかしこに不安めいた感情が見え隠れする。一ノ瀬に見えぬよう、川岸は震える手をそっと後ろに隠した。
「──電話です、社長さん、出てください!」
捜査官の声。同時に着信音が鳴った。コール二回、三回、受話器をとる。
「お電話ありがとうございます。便利屋一ノ……」
『今日ハ。オ昼ゴハンハコレカラ?』
変声器。犯人だ。
ごくりと唾を飲む一ノ瀬。受話器に一緒に耳をつけた川岸にも、明らかに不自然な声が聞こえてきた。
「どのようなご用件で」
あくまでも冷静に努める一ノ瀬に、その声は逆上した。
『本当ハ、コレガドンナ電話カ、ワカッテンダロ?』
「ご用件は」
『オマエノ所ノ作業服ヲ着タ社員ヲ二人、預カッテル。警察モイルナ? マァ、捕マエルコトナンテ、出来ナイダロウケドネ。外ハ大騒ギ。巨人ガ街ヲ壊シテル。コンナ状況ナラ、二人クライイナクナッテモ、誰モ咎メタリシナイダロ』
「ウチには、不要な人間はいないよ。そこ、港か?」
『──目ヲ覚マシタカ』
*
「社長、社長聞こえるか! やつら、子供だ!」
会話の内容で相手が一ノ瀬だと分かった流は、危険と承知で声を出した。力の限り叫んだ。だが、流の声が果たして伝わったか。相手の携帯電話が通話を終えた。
薄暗い倉庫の中、気が付けば十人ほどの少年たちに囲まれていた。気絶しているうちに倉庫に連れ込まれ、引きずられたのか、背中が痛い。加えて雨に濡れた作業つなぎが体温を奪う。唇と肩が震えた。
「何喋ってんだ? そんなこと向こうに伝えてどうすんの。馬鹿だなァ」
携帯電話で話していた少年が鼻で笑った。
「カケル、こいつ、どうする? 女なら
別の少年。
「殺っちまってもそれまで。だけど、少しは楽しませてくれるよなァ、『同朋』」
その手にはスタンガン。金属バット、鉄パイプを持ったやつもいる。揃いの黒いTシャツには「KILL YOU」の文字と白いドクロ。いかにもという雰囲気をびしびし感じる。
カケルと呼ばれた少年がゆっくりと流のそばに歩み寄ってきた。倉庫の中央、囲まれた流は逃げることもままならず、腰を少しだけ下に落とした。
「なぁ、お前、流だろ。
扉の隙間から差し込む白い光が、少年の顔をうっすらと照らし出す。にやりと不敵に笑うその顔から出た意外な言葉に、流は息を飲んだ。
「何で……、俺の名前知ってんだ」
寒気が更に襲い、視界がブレる。必死に意識を保ちながら、流は少年の顔を注視した。
「お前が俺のことを覚えてなくても、俺は覚えてる。お前が連れてこられたときから、便利屋のオヤジに引き取られるまで、ずっとだ。どうだ、思い出したか。流、お前の後ろにいつもくっついていた、小さな子供のことを」
「し、知らない。俺は覚えてない。誰だ! お前、誰だ!」
「ハハッ。まさか本当に覚えてないなんてな。困るなァ。それじゃ、俺の恨みなんか話しても、全然面白くないじゃん。──忘れたなら、思い出させてやる。あの、孤独で悲惨な日々をな!」
目の前でスタンガンの電流が走った。青白い光に萎縮する。必死に首を振ったが、カケルはその手を止めなかった。
今、この濡れた状態でスタンガンの電流に触れたらどうなるか。
「や、やめろ、やめてくれ!」
バチバチッと、火花が散るような音と共に全身に電気が走った。猛烈な痛みが流を襲う。息をする間も与えないほどの衝撃が身体中を駆け巡り、流はのけぞるようにして床に倒れこんだ。
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