Episode11:電話

 ながれの運転する車が便利屋一ノ瀬の社屋に着く頃には、すっかり大降りの雨になっていた。路肩に車を止め、ようやく体調の戻った江川と運転を変わる。


「俺、社で電話番するように言われてるから。江川さん、ありがとう。俺、江川さんのことちょっと見直した」


 運転席のすぐ脇で下を向く流は、少し恥ずかしそうだ。

 車内に雨が入らぬよう、少しだけ隙間を空けた車窓から江川の顔が覗く。


「いや。大した事は言ってないよ。彼女、無事だといいな。こっちも区役所で情報収集してみるよ。ホラ、これ以上濡れたら風邪引く。早く行きなさい」


 一昨日出会ったばかりの自分を諭すように話してくれた言葉を思い出し、流は深々と頭を下げた。



 *



 鍵の掛かった玄関をパスワードで開錠し、中に入る。普段ならこの時間、社長かなぎさが電話番をしているが、今はいない。便利屋組合の会合がいつまでかかるのかもわからない。田村の言った通り、この危機的状況下で社屋が留守なのは確かに痛い。

 留守電には特にメッセージは残っていないようだ。なぎさがいつも使っている事務用のパソコンにも、社長席のパソコンにも、メールは来ていない。

 なぎさがいなくなってから三十分が経とうとしていた。時間が経てば経つほど、なぎさの身の安全が保障できなくなる。なんとかして彼女を救う手立てがないものかと、無い頭をフル稼働させていたその時、ふいにつなぎ服のポケットの中で流の携帯電話が鳴った。


「は、はい。流で」


『おい、何回電話すりゃいいんだ。緊急事態なんだからさっさと出ろ!』


 一ノ瀬の声だ。


「社長、お疲れ様です」


『挨拶なんてしてる場合か。おい、今どこだ』


「社に戻ったとこ。社長、会議は?」


『まだ終わんねぇよ。それより、お前、ちょっとはパソコンいじれたな』


「まぁ、人並み程度だけど」


『そしたらお前、俺のパソコンにあるGPSのアイコンをクリックしてみろ』


 声の通りに社長の机に移動し、回転椅子に座った。画面の左下にあるGPSアイコンをクリックすると、専用のソフトがゆっくりと立ち上がった。


「──社長、会議っていつ終わるの。なぎさ、大変なんだよ。会議とか言ってる場合じゃないじゃん」


 気弱な流の発言に、一ノ瀬は困惑しているようだ。

 社長の一ノ瀬に田村から一報が入ったのは、朝九時少し過ぎ、便利屋組合の会合が始まった直後だった。ゴミ処理場で起きた最近の資源窃盗とバラバラ殺人について情報交換をするため、区の産業会館に東京中の便利屋の社長、代表が集まっていた。

 会議が始まるか否かのうちから、様々な情報が飛び交った。それは信憑性のあるものから、関連性の薄いものまで、実に様々だったが……、全ての推理を繋げていくには事足りた。一緒に会議に出席した警視庁の特別捜査班の捜査情報を交え、パズルのピースをはめ込むように少しずつ突き詰めていく。

 徐々に明らかになっていく事件の全体像。それはあまりに衝撃的であったが、一ノ瀬は流との電話ではそのことについて話すことをためらった。


『今、昨今の事件について話し合ってる。情報交換中だ。もう少し時間が掛かる。田村の指示に従え。──どうだ、クリックしたか』


「したよ。地図が出てきたけど」


『じゃあ、左のメニューにある、なぎさのボタンを押してみろ。携帯に電源が入っていれば、今どこにいるか表示されるはずだ。お前らがどこで作業しているか把握するために、位置がわかるようになってるんだ。どうだ。地図、出たか』


「あ。で、出た。港。あのゴミ処理場の近くの港だ!」


『港……』


 そこで一ノ瀬の声が詰まった。

 本降りになった雨の音が会話を繋ぐよう、事務室に響いた。時折雷も鳴る。外は荒れに荒れていた。


『おい、流。そしたら、メニューの一番上、メールボタンを押してくれ。地図が俺の携帯に送信される。──いいか。そこから動くなよ。もしかしたら奴らも、俺たちの動きを伺っているかもしれん』


「え、何。聞こえない」


『メールボタンを押して、送信。後は待機。分かったな』


 一方的に電話が切られた。流は不満そうに携帯の画面を覗く。

 仕方なく、指示通りにメールを送った。


「社長、何してるんだよ」


 流はまた、自分が蚊帳の外に追いやられているのではないかと不安になってきていた。一人、現場から遠く離れた社屋で何をしろというのか。犯人からの連絡なんて本当に来るのか。確証も無いのに、ただ待つのは辛い。


『実は正直面白くて仕方ない。不謹慎だ。大切な人の命が懸かってる割に、君、笑ってるよ』


 江川のそんな台詞が、流の脳裏に浮かんだ。

 そうだ。俺はもしかしたら、事件に関わっていたいのかもしれない。あの乳児遺体と遭遇したときから、自分の周りで次々に起こる事件が、実は面白くて仕方が無い。その通りだ。それが偶々、自分が未成年で、まだ未熟だという理由だけで事件から疎外されていく。

 年齢ってなんだ。経験ってなんだ。同じ事件に関わっていながら、どうしてこんなにも行き場が無いんだ。

 思考回路がグルグルと回り始めた。悪い癖だ。一度考え始めると、もうどうしたらいいか分からない。制御できなくなる。思い出さなくていいこともまで全部思い出して、関係ないはずなのに何でもかんでも関連付けてしまう。

 それこそ、一ノ瀬に引き取られたあの日の風景から、小さな時分、何日も何日も一人ぼっちで過ごした日々まで──、マイナスの思考が流を支配していく。なぜ生まれた、なぜここにいる。そんな些細なことまで、グルグル、グルグル、グルグル……。


トゥルルルル……トゥルルルル……


 ガバッと顔を上げた。伏していた社長机にはよだれが付いていた。寝ていたのか。

 机の左上、電話が鳴っている。

 流は慌てて受話器を取った。


「はい、こちら便利」


『便利屋一ノ瀬ハ、コノ電話デ間違イナイ?』


 変声器を通した独特の高い声。

 眠気まなこの流を一瞬で現実に引き戻す。


「そうだけど」


 時間を確認した。壁掛け時計が、午前十時二十五分を示している。

 外はまだ雨だ。降りしきる雨音に相手の声がかき消されないよう、音量を最大にして、電話の横にあるメモ帳を手繰り寄せる。


『彼女ノツナギ服ニサ、「便利屋一ノ瀬」ノロゴマークガアッタンダ。作業ゴ苦労様。彼女、カワイイネ。年上ノ女性、結構好ミナンダヨ』


 ゆっくりと淡々とした、いやな喋り方だ。耳に残る。響く。

 何とかメモをとろうとするが、右手が思うように動かない。雨と心臓の音も邪魔する。恐怖で視界が定まらない。


『──ネェ、知ッテル? 結構サ、多インダヨ』


「な、何が」


 流の必死に振り絞った一言に、相手は嬉しそうにケタケタと笑った。


『貧乳フェチ。フフフ。イイオモチャガ手ニ入ッタ。……サァ、オ楽シミハコレカラダヨ。巨人ト女ノ宴ダ。果タシテ止メラレル、カナ』


「おい、何を言って──」


『君モ子供ダネ。楽シモウヨ』


 会話が途切れた。

 受話器を握り締めた流の右手が、更に震えた。思い切り、受話器を机に叩きつける。バウンドした受話器は電話機本体を引き連れて、社長机の外へと投げ出された。

 立ち上がり、両手で頭を覆う。屈み、叫ぶ。

 声にならない声が、激しくなる雨の音とぶつかり合った。

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