Episode10:秘密

 午前九時過ぎ、今朝方リサイクルセンターにゴミの持込をした康司こうじと川岸が、社屋経由で現場に到着する。たった今来たばかりだという二人の話で、ながれとなぎさが作業中に聞いた車の音が第三者のものであることがはっきりした。


「……誘拐、じゃないのか」


 なぎさが消えたという二階の部屋を見上げて康司が言うと、


「そんなことは分かってる。社長には連絡した。警察には……この状況で捜索願を出しても、まともに相手をして貰えるかどうか」


 田村が突っぱねる。

 思案していた川岸が、腕組み、右往左往しながら田村に尋ねた。


「で、社長は何て言ってるんだ。こうなったら仕事なんて言ってられないだろ。何とか探す方法はないのか。相手が車で移動しているとしたら……、目撃情報でも集めるか」


「社長は今日、便利屋組合の会合に出るんだよ。移動中なのか電話には出なかった。念のためメッセージは入れておいたんだが、まだ返事がない。それに目撃情報って言っても、朝の通勤通学時間帯に不審車両かどうかなんて、一般人が見てると思うか。朝晩は通行量、意外に多いんだぞ。この界隈」


「否定ばかりじゃ前に進まないだろ。あのパソコン画像、俺も見たが、あれは正直まともな人間のすることじゃない。とりあえずアレだ、あの刑事にバラバラ殺人と関連性のあるかもしれないパソコンを見つけたって連絡入れたらどうだ。乳児遺棄とバラバラ殺人に繋がりがあることはわかってるんだから、連絡しても差し支えないと思うが」


「そうだよ、田村さん。川岸さんの言うように、とりあえず出来ることは全部やろう。本当に何かが起きてからじゃ遅すぎる」


 つなぎ服のポケットから携帯電話を取り出し、岬刑事の連絡先電話番号をダイヤルしようとする流の手を、田村が遮った。「待て」と一言、電話を奪い取り、


「俺が喋る。流、お前は腰を抜かした江川を連れて社に戻れ。今の時間、事務所は空だ。社長が戻ってくるまでの間、もし万が一犯人からコンタクトがあったとしたら──。いいか、電話やメールがあったら、すぐに俺か社長に教えるんだ。余計なことはするな。あくまでもお前は連絡役。下手に交渉するなよ。なぎさの命が掛かってるんだ」


 ギラギラと光る田村の真剣な眼差しに、流はすっかり圧倒された。背中に電気が走った。ひざが震えた。今ここで起こっているのは夢か、現実か。判別出来ないほど、頭の中でいろんなものがグルグルと回った。


「何してる、走れ!」


 流はもつれるような足で三号室に駆け込んだ。

 まだほこりの舞う室内の奥で、ゴミに埋もれるように江川は仰向けに倒れていた。区名が刺繍された作業着姿の小柄な中年オヤジを、流は必死に揺すった。気絶している。

 原因がパソコン画面にあることは、すぐに分かった。生々しいグロテスクな映像が何枚も何枚も開かれていたのだ。肌色と赤、それらを切り刻んだと思われる刃物。フォルダ内の画像をサムネイルで表示しているものには集団レイプの写真。様々な年代の男たちが、一人の裸の若い女性を囲っている。

 田村と川岸は、ここに流が入ることを拒んでいた。指示ミスか、田村が江川を連れ出すように流に言わなければ、この画像を彼が見ることはないはずだった。まだ未成年だと、彼らは言う。しかし、それだけの理由で自分が除け者にされるのを、流は許せなかった。

 流は江川を揺り起こすのをやめ、向き直ってパソコンをいじり始めた。他にどんな映像があるのか。自分だけ知らないだなんて、何も知らされずにただ社へ戻るなんて、こんな状況下で許されるはずがない。

 床に這いつくばって、畳直置きのパソコンの画面に喰らいつく。マウスを動かしてフォルダを開きまくった。もしかしたらなぎさを奪取した犯人が置いていったかもしれないパソコンだ。なにか、手がかりがあるに違いない。いや、あってくれ……!


「き、君……」


 背後で意識を取り戻しかけた江川の声。

 だがまだもう少し、もう少し。マウスを操作する手は止まらない。

 体中が熱くなった。妙に興奮した。アンダーグラウンドに入り込むのは初めてだ。普通に生きていたら、絶対にお目にかかれないような、緊迫した状況が心地よくなっていく。外で必死になぎさを呼ぶ康司や川岸、田村が警察と連絡を取り合っている話し声さえ、流の聴覚は拒んだ。

 死体、レイプ、拷問。若い流には刺激の強すぎる画像や映像が大量に表示される。違う、こんなんじゃない。もっと重要な何かが隠れているはずだ。数字や文字の羅列したファイル、これも違う。


「何、してるんだ」


 いよいよ江川が意識を取り戻した。これ以上見てるわけにはいかない。


「い、いや、なんでもない。江川さん、俺と一緒にとりあえずウチの社に向かってくれる?」


 振り返り、息を整えて背で画面を隠した。

 そこには画面いっぱいに、大きな黒い人型の影が映し出されていた。



 *



 携帯電話を田村から受け取り、流は江川の乗ってきた区の公用車に乗り込んだ。まだめまいのする江川は、流にハンドルを任せ助手席に座った。


「警察が来るなら、私も現場にいた方がよかったんじゃ」


 弱腰に言う江川。


「江川さんがいても、別に状況が進展するわけじゃないでしょ。それより区に報告しなくちゃいけないんじゃないの。それとも報告なんか出来そうにもない? 撤去を依頼した無人の廃屋で作業中の便利屋の社員が一人行方不明で、その上無断で部屋が使用され、もしかしたらバラバラ殺人の関係者が使っていたかもしれないパソコンまで発見された。こうなりゃ、江川さんの立場も危ういもんね」


 流はいつになく饒舌だった。


「君……、もしかして、状況を楽しんでやいないか」


 エンジンをかけようとする流の手が一瞬止まる。汗が一粒たらりとあごまで伝い、横目でチラと江川を見た。その怪訝そうな視線が痛い。


「若いときはよくあることだよ。何かに巻き込まれるなんてごめんだけど、巻き込まれてみたい。巻き込まれたら巻き込まれたで、実は正直面白くて仕方ない。不謹慎だ。大切な人の命が懸かってる割に、君、笑ってるよ」


 車は走り始めた。

 昨日から下り坂の空はより一層の曇天へと変わってゆく。朝少し感じられた日差しも、今は分厚い雲の奥でなりを潜めている。冷たい秋の風が車窓から入って流の頬を掠めた。

『楽しんでる』……? 江川は面白いことを言う。事件に巻き込まれ、なぎさが行方不明になったこの現実を、楽しんでいるように見えるとは。

 確かに興奮はしている。つまらない毎日ががらりと変わったことへの充実感はないとは言えない。だけど、彼女を心配する気持ちは本物だ。多分、本物なはずだ。


「気になってたんだけど、君と彼女の関係は? 恋人にしては少しよそよそしいような」


「恋人なんかじゃないよ。義理の兄弟みたいなヤツかな。なぎさも俺も一ノ瀬の養子。親は互いに刑務所。俺の場合、いわゆるネグレクトってヤツで五つで施設に預けられたけど、なぎさはどうだったのか……。同じ屋根の下に暮らしてた頃から、あまり自分のことは話してくれなかったから詳しいことまでは」


「じゃあ、彼女のことは殆ど分からないってわけか」


「そうだよ。意外とそんなもん。近しいほど分からない。『過去のことには触れない』ことが一ノ瀬との養子の条件だったし。──とはいえ、大人たちは実は全部知ってたりする。田村さんだって、知らないうちに社長から全部聞いてた。『受け止められる年齢』とかって、あったりするのかな。俺はなぎさのことを全部知るには、まだ年が足りないって言うことなのか。全部知ってたら、もっと親身に心配できたのかな」


「それは間違いだよ」


 江川の意外な答えが助手席から聞こえ、流は一瞬左を向いた。


「他人の秘密を全部知ってどうするの。過去も秘密も、知ればいいもんじゃない。それだけがその人を判断するための材料になると思う? 要は心の問題だよ。どんな秘密も許容できるほど心が成長しているかどうか。その線引きとして、一ノ瀬の社長はたまたま年齢を使ったんだと思うよ。流君、失礼だけど、私から見ても君はまだ心が幼すぎる。社長はそれを知ってて、君に何も教えてくれないんじゃないのか」


 ぽつぽつとフロントガラスに落ちてくる雨粒の音が、次第に強くなってくる。アスファルトに雨粒が少しずつ染みを広げ、やがて全てを濃い黒へと変えてゆく。

 風が強まり、車体が揺られる。

 薄暗い街の中を、車はライトを点けて進んだ。

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