Episode09:三号室

「遺体はバラバラに切断されており、打撲痕が残っていた。性別は確認できたが、身元は不明……。DNA分析の結果、先週埋め立てゴミ処分場で発見された乳児の母親であることが判明した。──これかァ。悲惨だな」


 社長机に広げた新聞記事を読み上げ、一ノ瀬は大きく溜め息をついた。

 岬刑事が昨晩説明に来たとおり、かの赤子の母親が遺体で発見されたニュースが社会面の角に書いてある。ネットやテレビ、ラジオのニュースでは散々報じられていたが、紙媒体でない限り信憑性が薄いなどと、わけのわからぬ論理で半信半疑だった一ノ瀬も、ようやくそれが事実であると確信した。


「母親が殺されたとなると、あの子を放置したのは彼女じゃないかもしれないですね」


 事務机でパンをかじりながら田村が言う。


「だな。すると、父親の方か。子供も女も要らない。だからゴミに捨てるのか。理解、出来んなァ」


 不妊症で養子をとることを選択した一ノ瀬にとって、それは信じがたい憶測だった。


「欲しくても手に入らないものがある人、要らんのに出来てしまう人。──せめて、赤ちゃんポストに入れてやればよかったのに。そしたら、あんなところで干からびずにちゃんと欲しい人に貰われたかも知れんのになァ」


 二〇〇七年、熊本の慈恵病院から始まったこの制度は、論議の末定着した。相次ぐ児童虐待事件、遺棄致死事件。特に、望まない妊娠をした上妊婦検診せずに自宅出産して遺棄という最悪なケースが相次いだため、政府は制度として「赤ちゃんポスト」を認めざるを得なくなった。未成年保護法が制定されると、その存在は更に重要視される。

 倫理問題は議論され続けた。人権団体からの抗議も耐えない。それでも、二十一世紀後半には全国百箇所以上に設置され、年間千人以上の乳児が保護されている。

 経済的要因からか、それともレイプや近親相姦など望まない妊娠が原因か。問題を抱えた家庭での育児は虐待や殺害に至る可能性を秘めるため、ポストの有効性を唱える声もある。一方で、育児放棄、安易な性交渉と出産の増加を危惧する声も。それでも、小さな命を守るこの方法は世間に受け入れられていった。


「そんでもって、新聞一面は昨日の『黒い影』騒ぎか。どうなっちまうんだ、日本は」


 ずずずっと、一ノ瀬は冷えかけたコーヒーを啜った。その背中はいつもより寂しそうに見えた。



 *



「江川さん、随分話と違うじゃないですか」


 田村がじりじりと細身の江川ににじり寄る。


「い、いやぁ。そんなことはありませんよ。実際、権利者がいなくなってから随分時間が」


「そんなことはどうでもいい。本当は相当のワケあり物件なんじゃないですか」


 午前八時半、役所が始まると同時に、田村は区の担当者江川を呼び出した。江川が来るなり、田村は作業現場である廃墟の軒先で問い詰め始めた。物件は随分な荒れようだし、変な機械やパソコンもある。下見段階では気付かなかったこちらも悪いが、実は、なんてことがあるなら、それはそれであっちが悪い。ただでさえ気に食わず、表面上だけのやり取りしかしたくない相手に、田村は珍しくいらいらしていた。

 ながれとなぎさはそれを、庭の隅でしゃがんで遠目に見て面白がっ。だって、こんなに機嫌が悪い田村を見たことがない。


「江川さん、言いたくはなかったが、アンタ、うちに紹介する物件はどれもろくなもんがない。いいとこは他の業者にやって、ウチは残りもんばかりだ。今回はしかも入札じゃない。『仕事がないからくれ』と言った社長の手前、強く言えない部分もあるが、いい加減にして欲しいもんだな」


 身体の大きい田村に迫られると、江川はひょろっと折れそうな身体で上手に避け、また愛想笑いした。


「いやぁ、本当に一ノ瀬さんにはお世話になってますから。今回は緊急にお仕事が欲しいということでしたので、一番取り分の多そうな物件をですね」


「取り分の問題じゃァないだろう。ホントの所はどうなんだ。『厄介な物件だから一ノ瀬の連中に回しておこう』なんて思ったんじゃないだろうな。江川さん、俺は知ってるんだ。アンタ余所で『一ノ瀬の会社の人間は変わり者ばかりで好きじゃない』と言いふらしてるそうじゃないか。つまり、そういうことなんだろ」


 そこまで言われると、江川は分が悪そうに目をそらした。やはり図星のようだ。


「い、『一ノ瀬さんところはみんな個性的だ』の間違いですよ。い、いやだなァ」


「言い訳なんかどうでもいい。責任とって貰うぞ」


 田村は嫌がる江川の腕をむんずと掴んで廃屋の三号室に連れ込んだ。


「あーあ、残念。もっと見たかったのにな。仕方ない。流君、二階のゴミ分別始めるよ。六号室からだね」


 なぎさは言って、流と共に手摺りの外れた二階へと続く階段を上り始めた。錆付き、ぐらぐらしていて今にも外れてしまいそうだ。歩いてみると見た感じよりもっと痛んでいるように見える。それまで外れずにいたのが不思議なくらいだ。

 鍵の外れたドアを開け、カーテンの締め切られた室内に入る。気合を入れるように、二人はタオルで口元を覆い、ゴーグルをして帽子を目深に被った。


「そんじゃ、入り口から徐々に進めようか」


 開け放したドアの外、後からやってきた康司こうじと川岸のものと思われる車の音が聞こえていた。



 *



 パソコンのハードディスクがいくつも並び、ディスプレイにキーボード、マウス、何に使うのか分からないような大きな機械、電灯に、いくつもの記憶媒体。三号室の奥、パソコン音痴の田村にはちんぷんかんぷんなものばかりが、ゴミに混じって散乱していた。

 ダンボール、空き缶、菓子袋など、人が出入りした形跡が生々しい。


「廃屋の財産処分は依頼したのですから、こんな持ち主の分からないパソコン、廃棄してしまえばいいじゃないですか」


 江川は無責任にもそう言い放った。


「何考えてんだアンタ。こんなところにな、こんなものがあること自体犯罪なんだよ。余所の民家か電線から電力窃盗してる状態だろ。これで犯罪の臭いがしないなんて、ゆとり公務員にもほどがあるぞ。さあ、どんなデータが入ってるのか、犯罪性がないかどうか調べてもらおうじゃないか。もし、ただ単にここに間借りしているだけってなら見逃してやらんでもないが、まあ、ありえないだろうな。こっちだって金が掛かってるんだ、遊び半分でやってるわけじゃない。こんな物件丸投げしておいて、言い訳なんか聞きたくないね。きちんと落とし前つけてもらうからな」


 凄んだ田村の勢いにおされ、江川は更に肩をすぼめた。


「落とし前って言われてもですね。こういうのは、一ノ瀬さんとこで解決なさってくださいよ。区の手からは今、離れてる状態ですよ」


「江川さん、そういうのはメンバーを見てから言うんだな。よく見ろ、まともにパソコンいじれる人間が、ウチの社にいると思うか」


「い、いや……」


「だろ。あいにく、ここに揃ってるのは『壊し専門』ばかりでね。パソコン普段から使い慣れてるお役人さんとはワケが違うんだよ。──ほら、さっさと電源入れて」


 江川は渋々、畳に直置きされた一台のパソコンの電源を入れた。途端に、周りの何台もの周辺機器が一同に機動し始める。

 田村は思わずびくっとしたが、江川の手前、虚勢を張った。

 ディスプレイが起動画面から通常画面に切り替わっていく。


「随分杜撰ですね。普通ならパスワードの設定くらいしてても良さそうなのに」


 江川は怪訝そうに眉をしかめる。


「……だな」


 同調して、田村も頷く。

 壁紙の画像が鮮明になった。

 画面全体に、肌色と薄紅色のものが映し出される。


「まさかの女性器かよ。ひでぇ悪趣味だな」


 画像は荒いが、明らかにそれと分かる部位だ。ぱっくりと穴を開け、こちら側を向いている。田村が怪訝そうに画面を見ている隣で、江川が屈めた背中でゴソゴソ動き始めた。


「……何してんですか、江川さん」


 自分の股間に手を置く江川に、田村は思わず突っ込んだ。


「い、いやぁ。随分こういうのとはご無沙汰だったもんですから、ちょっと……」


 伸びた鼻の下を見せられても困る。それに、中年男が勃起したのを隣で見せられるのはいいもんじゃない。


「そんなのはいいから、さっさとデータを」


 はいはいと、江川は股間から手を離し、マウスを握った。デスクトップに張られたフォルダの一つをクリックして、ファイルを展開する。


「これ、なんですかね。テキストファイルみたいですが、開けてみましょうか」


「……数字、人の名前? 漢字、漢字、三桁、七桁、名前、数字……。この前の方に書いてある漢字、よく見ると銀行名じゃないか」


「あ、ホントだ。すると、銀行名、支店名、支店番号、口座番号、名前、あとは……金額?」


「激しく犯罪の臭いがするな。他のファイルは?」


「あー、はいはい」


 江川は無作為に別のファイルをクリックした。今度は画像データの拡張子が並ぶ。


「何かの画像がたくさん保存してあるみたいですよ。ひとつ、開いてみますか」


 そのうちの一つをクリック。

 表示された画像に、二人は思わず目を覆った。


「し、死体!」


 声を裏返して驚く江川。

 ──そこには、バラバラに切り刻まれた女性の身体が鮮明映し出されていた。露出した肌、内臓、切断部。どう考えても、


「インターネットで見られる画像じゃないだろ。これは──」


 額から伝う汗を拭い、ごくりと唾を飲んだ田村の耳に、微かに女性の悲鳴が聞こえた。

 そして、壊れかけの外階段を激しく揺らしながら下りてくる足音。更に、流の声。

 田村はすばやく立ち上がり、三号室から飛び出した。


「なぎさぁああ!」


 喉を枯らすほどの勢いで叫ぶ流の様子は尋常ではなかった。すっかり土のあらわになった庭先で、流は叫んでいた。駆け寄る田村の足音すら聞こえないほど懸命に。


「どうした、流。なぎさがどうかしたのか」


 流の前に回りこみ、腕を掴んで存在を知らせる。

 やっと田村の存在に気付いた流が、青くなった顔で切々と訴えた。


「わかんない。ダンボール足りなくなったから、ワゴンに取りに行くって、出てったら、悲鳴が……。どこにも、どこにもいないんだ……!」


 なぎさと、さっきの惨殺死体の映像が田村の脳裏で重なった。

 とてつもなく嫌な胸騒ぎがした。

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