第4話 ラフロイグをダブルで。

 僕は中野駅の北口にあるBARを細々と営んでいた。行燈を出していないので一見さんは滅多に入ってこない。カウンター5席のみ。アンティークランプの光が優しく揺れる安息の場所。jazzが心地良く流れる。口コミでやってくるお客さんが多いので客の質は極めて良い。求められれば葉巻も提供する。知る人ぞ知るウィスキー・シガーの店としてひっそりと目立たないように呼吸をしている。

 午後8時5分。黒いロングヘアーの女性が店の扉を開いた。表情から年齢は読み取れないが30前後だろうか。


 「一人なんだけどいいかしら?」こんな店に珍しい事もあるものだ。「もちろんです。よろしかったらこちらへどうぞ」5席空いていたので僕は入口から一番遠い端っこへ座るよう促した。彼女はカウンターチェアに腰掛けラフロイグのダブルをロックで注文した。


 「煙草はお吸いになりますか?」


 「いいえ、吸わないわ。ありがとう。それと、オーナーさん。何かつまめるものはあるかしら?」


 「ちょうど店を開く前に家で作ったのですが、生チョコがあります。いかがでしょう」


 「ええ、いただくわ。ウィスキーとチョコレートは相性がいいものね」


 「間違いありません」


 僕は料理をするのが苦にならないタイプなので、気が向けば店用にツマミを作って持ってくる。なので今夜は当たり日。彼女は生チョコをかじった後にラフロイグを啜った。口の中でハーモニーを楽しんでいるようだ。そしてファーのついた柔らかそうなバッグからカバー付きの文庫本を取り出し、付箋を外した。どうやら彼女は“ながら酒”が好みらしい。読書しながら酒。僕はこの珍客に好感をもった。


 午後9時27分。

 大きな笑い声と共に扉が勢いよく開いた。ムワッとした酒臭さが鼻につく。あきらかに酔っ払いだ。ラガーマンを連想させるガタイのいい大男2名がドカッと席になだれ込んだ。1人は厚手の本革ダウンコート、もう1人は縦ストライプのスポーツブルゾンを着込んでいる。珍客でもこのような類のものはうんざりする。ダウンコートの男がニヤついた顔でカウンター越しに身を乗り出す。


 「オイ!ここは何だ!何の店なんだ!言ってみろ!コラ!」


 「お客様、この店はバーです。申し訳ありませんが他のお客様のご迷惑になりますので、声を小さめにお願い致します」


 「うるせー!バカヤロー!辛気臭ぇバーだなオイ!俺は黒ホッピーにするぞ!黒!!」

 話にならない。僕はこういう客がとても苦手だ。大きな声がどれだけ相手を萎縮させるのか分からない人種。生来気が弱く酔うと眠たくなってしまう僕とはS極N極の関係にある。かと言って読書とラフロイグを静かに愉しむ女性に迷惑を掛る訳にもいかない。僕は勇気をふり絞り毅然とした態度でダウンコートの男に向かった。


 「お客様、大変申し訳ありません。あいにく当店にはホッピーが御座いませんのでご容赦ください。バー以外のお店でしたら丁度店を出た先の」そこまで言いかけてダウンコートの男は僕に平手打ちをブチかました。


 パンッッ!!


 jazzに混じった不協和音。快楽的な暴力を一方的に浴びせられた驚き、恐怖。こいつらは明らかにノーマルじゃない。暴力からの逃避、通報。命の保全、自分の、何より女性客を優先して守らなくはいけない。うまくやらなくては。頬の痛みは恐怖に掻き消された。ダウンコートの男は狡猾そうな黒い目で僕を笑っている。


 「ちょっと」


 視線が端っこに座っている女性客に集まる。


 「もしオーナーさんが良かったらなんだけど、そこの2人と外でお話ししてもいいかしら?」

 

 スポーツブルゾンの男が笑う。


 「はっ。面白いな姉ちゃん。いいぜ、外でやってやろうじゃねぇか。どんなイイ話してくれるのか楽しみだ。アバズレ。逃げんなよ」ダウンコートの男はカウンターに乗り上げた半身を起こし、女性を値踏みするように見ながら扉を蹴って出て行った。



 「あの・・・タチの悪そうな奴らなので、さすがにここは僕が・・・」

 

 「ここは私に任せてくれるってことでいいのよね。5分だけちょうだい。5分経ってもしも私が戻ってこなかったら、その時はオーナーの好きなようにしていいから。オッケー?」


 「・・・お、おっけー」


 女性は僕の返事を待たずスタスタと店を出ていった。僕はヒリヒリ痛み出した頬に手を当てた。


 おっけー・・・


 我ながら情けない。人生ワースト3に入る醜態だ。あの大男2人はどう見てもまともじゃなかった。あんなに華奢で線の細い女性1人どうにかなるもんじゃない。5分の間にもしも女性が酷い目に遭わされたら・・・。不安が胃袋の上へ上へと込み上げてくる。鼓動が速い。


 女性の本が目に止る。読み終えるまでもう残り数ページといった所に付箋が挟まれていた。・・・女性は格闘技のプロなのだろうか?それとも、こういう揉め事には馴れっ子の凄腕交渉人なのかも知れない。僕があれこれ妄想しているうちに店の扉が優しく開いた。初めて店に入ってきた時と変わらぬ涼しい表情で彼女は戻ってきた。まるでパンケーキをちょっとランチしてきた後のように。


 「解決したわ」


 席につくと彼女は細い指で本をバッグへそっと戻す。氷の溶けたラフロイグは水になっていた。


 「大丈夫よ。何も心配しなくていいの。もう済んだこと。きれいサッパリとね。今夜は影の無い日。こんな日はとても不吉なのよ。だから私はこのお店に呼ばれた。不吉な日だから。物事はね、すべて決まった法則があるものなのよ。あんな風に理性を失う人がいれば、その理性を取り戻す人もちゃんといる。世界はとても絶妙なバランスで保たれているの。チョコとウィスキーが奏でる味だってそう。目に見えないところほど注意しないといけない。そしてね、いちばん大切なこと。それは私がいないと、もうオーナーはこの世に“存在”できないってこと。ねっ、勇吾さん」


 女性の髪がみるみる茶色のショートボブに変わり黒いライダースーツが彼女の内側から現れ身体を包み込む。



 ・・・幸枝!!あの女!!!


 「あなた1人じゃ影から逃げられないの。逃げても逃げても影はあなたを執拗に追いかけてきちゃうから。ほら。もう目を覚ましてもいい頃よ。のんびりしてたら影に食べられちゃうんだから。」


 ド・・・ドルン・・・ドルルン!ドルルン!!


 僕は聞き覚えのある、けたたましいバイク音でハッと目覚めた。夢・・・夢だったのか。心停止のまま蘇生しない鉄塊カイマン。僕はその運転席のシートを倒し横になったまま眠り落ちてしまったのだ。あたりは既に真っ暗闇で町明かりひとつ見えない。ミラーに反射するバイクの激しいライトを別にして。




 


 





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よもぎもちもち @yomogi25259

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