第2話 北へ

 僕は北へ向かってオロロンラインに沿ってケイマンを走らせる。オロロンラインとは北海道日本海側の石狩市から遥か北、天塩町までの国道231・232号の愛称である。途中、巨大な風車が右手に姿を現す。風力発電の為に建設された風車はゆっくりと巨大な羽を回していた。人は自分の見えているものが全てであって、他人の見えているものは得てして見えないものだ。同じリンゴでも、本当にそれが本当のリンゴであるかは疑わしい。その為、風車が見ているその世界を僕は計り知ることができない。自分の世界から推測できるだけだ。雲は多いがドライブにはまったく影響がない心地の良い道。影・・・影は一見、ちゃんとそこにあるように見える。まばらに漂うコブのような雲の影。風車の羽がその胴体にかかる時にできる影。タバコを片手にハンドルを握る僕の腕の影。それは多くの人が共通認識できるギリギリの影だと思う。

 グローヴァー・ワシントン・ジュニアのJust the Two of Usがipodで繋いだカーステレオから流れる。夜のBARに似合う名曲だが日の差す時間に聴くのも案外悪くない。「悪くないな」僕は曲に集中しながら海が日光を反射する様子をチラチラと見た。オロロンラインは車1台走っておらず、ましてや人影なんて気配すら感じなかった。僕はスピードメータに目を留めた。120kmをちょうど超えたあたり。国道でのドライブは快適だった。

 更に1時間ほど走り続けた。身体のフシブシが硬くなっている。エコノミー症候群予防にちょっとストレッチした方がいい。自分で自分を問診する。左手に見えたパーキングへカイマンを頭から滑り込ませた。パーキングと言っても駐車用の白線はほどんど消え原型を留めておらず、陥没したコンクリートの下からはタンポポが顔を覗かせていた。眼下の低い茂みと申し訳程度に広がる砂浜の先に、海が見える。僕はエンジンをつけたまま、周りに誰もいないことを確認した。そして、その低い茂みで立ちションをした。小さな子供は悪さする時、静かになる。僕も同じくとても静かな面持ちで放尿した。でも、その微かな背徳感は僕が車に戻る時には消えていた。セブンスターに火をつける。「残り3本。新しいのをストックしておけばよかった」僕は肺いっぱいニコチンを吸い込んだ。そして遠くの海の深くなっている部分、黒い表層を目でゆっくりなぞっていた。突然

 ドルルルル!ドルン!!!ドルン!大きなエンジン音が静寂を破る。視線をバックミラーへ移す。「750cc(ナナハン)か、でかいな」パーキングに進入してきた黒くて大きなバイクが僕のポルシェカイマンの後ろを悠然と通り過ぎた。750ccのライダーは全身黒ラバースーツ。ヘルメットにはドクロとハートのステッカーが貼ってあった。フルフェイスなので表情はわからないが、首の方向からこちらを意識しているのは分かった。12~3台は駐車できそうなスペースがあるのに、ライダーはなぜか僕のすぐ横に停まりエンジンを切った。嫌な予感も良い予感もしなかった。きっと道か何か聞きたいのか、或いは、記念写真を撮りたいのかも知れない。バイクの不具合について尋ねられるかも知れない。ライダーはバイクを降りヘルメットを脱いだ。女性だった。

 ダークブラウンのボブ。キリッとした意志をもった目。化粧はしていないように見えるが、していたとしても、限りなくナチュラル。歳は20代前半だろうか。僕はさして驚きもしなかったが、この時期に若い女性ライダーが1人でオロロンラインを北上するのを初めて見たので、好奇心が僅かに疼いた。女性ライダーは運転席の窓ガラスをコンコンと軽くノックした。僕が顔を覗かせると彼女はしっかりと視線を僕の目に合わせてこう言った。

 「私ね、あなたがここに来ることわかってたの。」

 僕は彼女の唐突なその言葉に混乱した。

 「言ってもわからないと思う。でもね、そう決まっていることだから。私はね、あなたのこと知ってるのよ。でも、あなたは私のこと知らない。私にはね、あなたの未来がわかるし、あなたがどういうふうに生きてきて、どういうことが好きでとか、そういうことがわかっちゃうの。きっとあなたはこう思ってるでしょうね」

 淡々と喋り続ける彼女。僕の心は危ない人に急に声をかけられた時のサインを発し、嫌な汗を掻いた。

 「この女は頭がおかしいって。でもね、安心して欲しいんだけど、あなた、・・・あなたって言うのも失礼よね?勇吾さん。ごめんなさい。私たちが今、海と道と風しかないオロロンラインで、あなたと私の2人だけでいることに意味があるんじゃないかしら」

 見ず知らずの女ライダーが僕の名前を知っている。ドッキリか?いや、僕は有名人でも何でもないし、変態の同期は確かに多いが、こんな手の込んだ悪戯をする友人なんて居やしない。見ず知らずの若い女ライダー、しかも750cc。どう考えても悪質なドラマか何かだ。或いはこの女、犯罪組織の人間かも。僕の心にある疑心暗鬼を見透かしたように彼女はハッキリ、そしてゆっくりと重みを効かせた。

 「今日はね、アレがない日なの」僕は意味をまったく理解できない。


 「つまりね、影がない日。今日、あなたは死ぬことになっていたの。影がない日だから。でも死なない方法もある。助かる方法がね。痛くもないし、お金もかからない。あなたが死なずに済む方法はたった一つだけ。それが何かわかる?」

 影・・・大将の言葉が脳裏に過ぎる。僕は無言のまま首を左右に振った。


 「それはね、私とこれからSEXすること」

僕の混乱は頂点を極めた。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る