第五章 Progress
第32話 新しい日々
学生の最大の休息である夏休みが終わり、新学期が始まる。
登校する生徒たちの顔色は、思い出に浸る者、夏休みの終了に絶望する者、夏休み中にできた彼女と共に登校し、順風満帆な者など、気持ちの明暗がはっきりと表面に浮き出ているので何だか面白おかしい。
「やー、善一。もう五日もたつが、今でも思い出しては頬が緩んでしまうな!二学期は晴れやかな気持ちで迎えられそうだ!」
隣で満面の笑みでてこてこと歩いている望月さんは、明るく二学期を迎え入れているようで何よりだ。
「しかし望月さん。また締め切りは九月の末だというし、新曲も用意しなくてはいけないみたいだから、ゆっくりはしていられないよ」
「あぁ、そうだな!大丈夫なようであれば、今日も屋上を開放させてもらって、曲作りが出来るといいな!」
僕たちは、一次選考の通過ですっかり自信をつけて、次のステージを見据えていきり立っていた。
新学期の開始日は、特に授業もないので、教員たちからの連絡事項や、体育館での校長先生の相変わらずの話があったり、基本的に毎回変わることはない。
しかし、僕たち三年生にとっては、無視できないイベントがいくつかある。
「それでは、最終調査をしていくので、この紙に進路希望内容を書いて明日までに提出してくださいね」
日笠先生は、そう言うと各列に六枚ずつプリントを配布していく。
そう、忘れてはいけないのは、僕たち三年生は受験生だという事だ。
進路希望か……。特に懸命に考えたことはないが、取り敢えず親に文句を言われないように国立か私立の偏差値が高めの大学に進学できればそれでいい。
一学期の段階では志望校はどれも合格圏内だったし、特に僕の場合は何も悩むことはないのだが……。
「なぁ、善一」
後ろの席に座る望月さんが、ひそひそと声をかけてきた。
僕は教室内で彼女から話しかけられることがなかったので、少し驚いてしまった。
「善一は、どこに進学するのだ?」
彼女はひそひそと続ける。
「国立か、この辺で言うと律大かな。いずれにしろ学科は文系だよ。心理学部か、教育学部」
「おぉ……。レベルが高い所に行くのだな……」
「望月さんは?」
「むぅ……。まだ悩んでいるのだ……」
なるほど。自分の進路が決められないので、僕の進路を参考にしたわけか。
まぁ確かに、若干十七、八歳という年齢で将来設計の全てを決めるなんてことは土台無理な話だ。
僕自身、別に将来の全てを今決めているわけでもない。
「それでは、来週からまたテストが始まります!みんな、受験までの追い込み、頑張って取り組むように!」
日笠先生のはつらつとした言葉で、三年三組の二学期の始業は締めくくられた。
望月さんが日笠先生に鍵を借りる相談をしに行ってくれたので、僕はのんびりと帰り支度をしていた。
そんな中僕はふと考える。
二学期になって、受験というワードが現実に迫ってくる中、気がかりなのは望月さんのことだ。
このまま卒業までの間に授業日数をしっかりと稼ぐことが出来なければ、彼女は進学どころか、卒業すら危ういことになってしまう。
ともすれば、早めに。それも二学期の間に必ず克服しなければならないのだろう。
しかし、先程教室の中で僕に話しかけてきたときは、以前より少し余裕があるように見えた。
それならば、それなりに光明は差してきているのかもしれない。
そんなことを考えていると、後ろから誰かが声をかけて来た。
「おい、市川。ちょっといいか」
振り返ると、声をかけて来たのは、野球部員の西垣君だった。
「あぁ、どうしたの」
「まぁ、大した用事じゃねーんだけど。……お前もう帰んのか?」
「いや、望月さんが屋上の鍵を借りに行ってるんだけど、それ次第かな」
「そうか。ちょっと昼飯一緒に食わねえか?」
「ん?西垣君、部活は?」
「ばーか、運動部は夏で引退だよ」
そういえばそうだった。ならばもう彼は野球部員ではないという事か。
それにしても、彼が急に僕を昼食に誘うとはどういうことなのだろうか……?
文化祭以来、彼は教室の中では比較的言葉を交わす中ではあったが、それにしても特筆して仲のいいわけでもないし……。
まぁ、特に昼食を共にすることは抵抗はないが、しかし望月さんがいるし、僕は数秒考えた。
しかし、これはある意味チャンスなのかもしれない。
彼女が僕以外の生徒と会話を交わしていく機会があれば、教室で感じるストレスも多少は減るかもしれないし。
少し荒療治だが、試してみるか、と僕は結論を出した。
「いいよ。望月さんもいるけど、平気?」
「あぁ、もちろん。じゃあ昼飯買いに行こうぜ」
僕は軽く頷くと、望月さんにその旨をメールしてから西垣君と購買部へ向かった。
西垣君と屋上へ着くと、既に解放されて望月さんが待っていた。
「おぉ、善一。遅かったな!」
望月さんは、アコースティックギターを胡坐をかいて構えながら、フェンスの前に腰かけていた。
僕が声をかけるよりも先に、西垣君が望月さんに近づいていく。
「わりぃな、望月さん。急に割り込んじまって」
「おぉ、君が西垣君か。まぁ気にするな!食事は沢山人数がいた方が楽しいだろ!」
僕はその様子を見て少し安堵する。
どうやらクラスメイトであっても、望月さんは一対一ならば通常通り接することが出来るようだった。
「さぁさぁ、二人とも座れ座れ!日笠先生からかわいい遠足用のレジャーシートも借りて来たのだ!」
望月さんがいそいそと野暮ったいネコのキャラクターがプリントされたシートを広げるので、僕たちは黙って座ることにした。
日笠先生が遠足用のレジャーシートを持参している理由も気になったが、取り敢えず置いておくことにする。
「で、西垣くんと言ったな。用事があるのは、ひょっとして私にか?」
昼食を広げてから、一番初めに口を切ったのは、望月さんだった。
そしてその言葉に、僕も西垣君もぎょっとする。
「お前、めちゃくちゃ鋭いな。なんでわかった?」
「まぁ、善一に用事があるなら私を交えて昼食をするより、連絡先を交換して改める方が早いだろうと思ったのだが、当たりか?」
僕も西垣君も、にひひと笑う望月さんを前に言葉を失う。
彼女は本当に、底の見えない鋭さがあり、素直に僕は感嘆した。
「参ったなぁ……。まぁ別に大した用事じゃねえんだけどよ、本当に」
「なんだ、言ってみろ。私は人の頼みや相談は無下にはせん」
「いや実はな……。俺の幼馴染が二組にいるんだけどよ、そいつがおめーらのライブを見て、望月さんに憧れちまったらしくてよ……」
「ほぉ……それはまぁなんというか、有難いが、小恥ずかしい話だな」
なるほどなぁ。まぁしかし望月さんも、顔は綺麗だし噂なんて物がなければ、多少モテていてもおかしくはない。
文化祭のステージなんて、目立つ場所に立てば、何も事情を知らない者が見れば惹かれる者が居てもおかしくはない話だ。
「まぁ、なんというか……。俺が同じクラスだから、紹介してくれなんて言うんだが……話したこともねえのに会わすのもなんか変な話だろ」
「で、僕はだしに使われたわけだ」
「な、そんなんじゃねーよ!悪かったよ」
「冗談だよ」
僕はいたずら半分、もやもや半分でそんなことを呟いた。
「とにかく、望月さんと友達になりてえって言うから、ちょっと呼んでもいいか?」
「え?今呼ぶの?」
僕が驚いてそう言うと、西垣君は「え?駄目なのか?」と不思議そうな顔をした。
馬鹿を言うな、そんなお見合いのような空間に全く関係のない僕が居るのは流石に僕と言えども居た堪れない。
「ふふっ、善一。心配するな、多分大丈夫だ」
望月さんは、そんな僕と西垣君のやり取りを見てよくわからないことを呟いた。
「西垣君、呼んでくれていいぞ。さっきも言ったが、食事は人数が多い方が楽しいからな」
西垣君が、件の幼馴染に連絡を入れてから、その人物が到着するまでには五分とかからなかった。
屋上に現れた小柄なその生徒を見て、僕は唖然としながらも、なぜかホッとしてしまった。
「あ……あじっ……初めまして……
「にひひっ、大層可愛らしい女の子ではないか!」
「あっ、いや……そんな……」
なるほど、そういうことか。
確かに彼女のような引っ込み思案の生徒からすれば、望月さんのような毅然とした女性は憧れてしまうのかもしれない。
「こいつ、昔からシャイでよ。友達も俺以外ほとんどいねーし、仲良くしてやってくれよ」
「あぁ、よろしくな、紡!」
望月さんが右手を出すと、若宮さんはその手を顔を真っ赤にしながら両手で握った。
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