第30話 夏の終わりに
夏休みという至福の期間は、あっと言う間に過ぎ去っていく。
ギターを買いに行った後、夏休みの課題はもう済ませてあった僕は、やることと言えば読書かギターの練習だった。
自分のギターを手にしたことが僕のやる気に火をつけて、特に望月さんと会う用事がない時は一日中家に篭ってはギターの練習に明け暮れていた。
そんな風に日常を消化していると、夏休みは残すところあと五日。
九月も目前に迫っているのだった。
「本当に、君はどうしていつもそんなに唐突なんだ」
「いいではないか。夏休みの思い出に、善一と一緒に行ってみたい」
僕が毎朝日課にしているランニングに、結局望月さんは今の所、一日も休まずに参加している。
そんな中、今日も例に漏れずに付き合ってくれている……?ワケだったが。
「大体、あんな人の多い所なんて行きたくないよ。それに、地元の花火大会なんて、うちのクラスメイトだって結構来ると思うぞ」
「うっ、そうだった……。だったら少し離れた橋で見るのは?」
「何の面白みもないだろそれじゃあ……」
朝から顔を合わすなり、今日行われる地元の花火大会に熱心に誘われているのだが、僕はあまり気が進まなかった。
「うーん、だったら隣街でも花火大会があるからそっちに行くのはどうだ?ほら、球場の近くの」
「わざわざ電車に乗るの?勘弁してくれよ……」
「なんだなんだ善一は!私の浴衣が見たくないのか?!」
隣で駄々をこねる彼女に僕は大きくため息をついた。
「そもそも今日の十九時だよ。SONIC YOUTHの選考発表。花火大会なんてそんなこと言ってる場合じゃないって」
「なら丁度いいではないか。どうせその時間一緒にいなくちゃならんだろ。それに花火大会も球場の方は十九時からだしな!」
「だったら尚更集中できないよ。それにもし落ちてたら純粋に楽しめない」
「それは大丈夫だろ」
望月さんは、にひひと笑う。
「だって、落ちてるわけがないからな!」
結局、彼女の粘りに折れる形で、花火大会には一緒に行くことになった。
しかし、正直僕はそんなことよりもSONIC YOUTHの選考結果のことが気になって仕方がない。
あれだけ音源が出来た時は一緒になってはしゃいでいたくせに、いざ発表が近づくとこの様だ。
自分では、どちらかと言えば「まあ通ってたら儲けだろ」くらいに構えていられるつもりだった。
実際、当初はそう思っていたはずだったのだ。
しかし、いざ音源が完成してしまうと、同じようには思うことが出来なかった。
それ程までに、自分の中での手ごたえは大きかった。
だからこそ、不安に思うのだ。まだ一作目にしてこんなことを思うのは、やはり思い上がりだったのだろうか。
上には上がいる。所詮井の中の蛙ではないのだろうか。
僕たちの渾身は、業界から見れば「その程度」なのかもしれない。
そんな不安ばかりが今の僕の胸中にはあった。
(悩んでても始まらないか……)
そう言い聞かせて、望月さんに教えてもらったフレーズを何度も何度も練習する。
(メジャースケール……マイナースケール……これが終わったら……)
こんなことの繰り返しを続けていたら、いつの間にか今日が来ていた。
朝から練習を続けていると、気が付けば時刻はもう十四時を過ぎていた。
「ちょっと休憩するか……」
独り言をつぶやきながら、僕はスタンドにギターを立てかけた。
一階へ降りると、母がリビングでテレビを見ている。
夏休みなので曜日の感覚をなくしていたが、そういえば今日は日曜日なので、仕事は休みのようだ。
「あ、おはよう善一」
「おはようって……今起きたの?」
「やーね。お昼前に起きてるわよ。ご飯出来たって呼んだのに、返事ないしあなたこそ寝てたんじゃないの?」
母は呆れた顔で言う。
「あー、ごめん。今から食べるよ」
台所に行くと、母の作った簡単なエビピラフが置いてあったので、それを電子レンジで温めた。
「あ、そういえばお母さん夜からまた仕事に行くけど、ご飯作っておくから家で食べなさいね」
「えっ?」
「えっ?って、別にあんた外で食べる用事もないでしょ?」
「あ、いや今日は花火大会に……」
そういえば、失念していた。
当然今日は望月さんと一緒に花火大会に行くので、恐らくそこの屋台などで食事を済ますつもりでいたのだけれど。
母が休みという事に気付かなかったので、簡単に考えていた。
「え、あんた花火大会なんか行くの?……誰と?」
母の顔は好奇心に満ちた顔に変わる。
やってしまった……。母に望月さんの存在が知れると、必ず首を突っ込んでくると思ったので、ずっと隠していた。
彼女を家に上げるのも、絶対に母が起きない時間帯や、帰宅しない時間帯に限定していたのに。
しかし、僕はするりとかわそうと試みる。
「誰って、友達だよ」
「へぇ、あんた友達なんか居たの?」
実の息子に向かって酷い言いようだが……ある意味ではこの人は僕のことをよく解っている。
「まぁ……一人だけ」
「へえぇ。じゃ、あんたギターなんか始めたのもその子の影響なのね」
「うん、そうだよ」
「ふぅーん」
丁度エビピラフが温まったところで、この会話は終わり、僕は事なきを得たつもりだったが、僕がダイニングテーブルに腰を落ち着けて、スプーンを口に運んだ瞬間に再び質問は始まった。
「で、その子は女の子なの?」
僕は動揺してむせ返してしまった。
母の好奇の目はまだまだ続いているようだった。
「その話まだ続いてるの?もういいだろ」
「答えになってないわよ、どうなのよ」
……正直、僕は嘘があまり得意ではない。だから、こういう時は普段なら「論点がずれた事実」を言って乗り切る所なのだが、母にはそれは全く通用しなかった。
「花火大会に一緒に行くからと言って、女とは限らないだろ」
「へぇえ、女の子なのね!」
流石に母親は鋭い。
いくら一緒に過ごす時間が短いとはいえ、僕の性格は大概理解されているようだった。
「もういいよ。別に母さんが思ってるような関係じゃないよ」
「今は、でしょう?楽しみねえ、ついに息子にも女の子が……」
「はいはい、ご馳走様。とにかく今日はご飯いらないから」
「はいはい解りました~」
にやにやしながら僕を見つめる母を尻目に、僕は昼食の食器をそそくさと片付ける。
僕が洗い物を始めると、母は笑みを浮かべたまま視線をテレビに戻した。
しかし、思い返せば母とこんなにまともに話をしたのは、久しぶりだ。
いつも僕が家を出るころに寝ているし、僕が帰るころにはもういない。
休みの日も基本的に寝てることが多いし、僕も部屋で何かしているので、夕飯を食べるタイミングもバラバラだ。
ドライな家庭環境、だなんて思っていたが、歩み寄りが足りないのは僕も同じだ。
僕はまだ、一階に降りてくるだけで、こうして当たり前に会話を交わすことは出来るのだ。
望月さんのことを思いながら、僕は少しだけそんなことを思ったりした。
僕は洗い物が終わると、お湯を沸かしてコーヒーを淹れる。
そして二つ淹れたコーヒーの片方を、母の座るソファの前のテーブルに置いた。
「あら、ありがと」
そう言って母はコーヒーを口に含むと
「友達、また母さんがいるときに連れてきてね」
とぼそっと言った。
「ま、そのうちね」
僕はちょっとだけ照れくさくなって、コーヒーを煽った。
そんな会話をしていた束の間。
リビングのインターンホンの音が室内に鳴り響いた。
「あら、宅配便かしら」
母がそう言って席を立った瞬間、僕は冷や汗がどっと噴き出してくるのが分かった。
僕の座る方からは見えないが、なんとなく嫌な予感がしたのだった。
多分、僕の想像が正しければ、画面に映っているのは宅配便の配達員ではない。
「あれ……?はーい、どちら様?」
『あの、望月と言いますが、善一君はいらっしゃいますでしょうか!』
僕は心底、望月さんの謎の癖を呪った。
「あ!初めまして、お母さまですか!私は望月茜と言います!善一の友人なのだ!」
ドアを開けると、浴衣姿の望月さんがそこに立っていた。
「あらあら、随分かわいいお友達じゃない、善一!さ、あがっていきなさい」
後ろについてきた母が囃し立てる。
「ちょっと、勝手に決めるなよ」
「そんなこと言ったってあなた全く準備も何もしてないでしょ。それに花火まで時間もあるし、お茶くらい飲んでいきなさい」
「はい!じゃあお言葉に甘えて!」
すっかり流れに圧された僕は、仕方なく望月さんを部屋に案内した。
一階で望月さんに飲ませる飲み物を準備していると、母がずっとにやにやとこちらを見ている。
「そのうちって、すぐきちゃったわね」
「そうだね、僕も驚いてるよ」
「それにしても小っちゃくてすごく可愛らしい子ね。浴衣なんか着てきちゃって、あんたもう脈ありじゃないの、隅に置けないわね~」
「だからそんなんじゃないって……」
「茜ちゃん甘いもの平気?昨日差し入れで頂いた消え物が余ってるから持っていきなさい」
僕の話は全く聞き入れず、母は上機嫌に準備をしている。
結局僕は母の誤解というか勘違いを解くのも面倒になり、ため息をつきながらお茶を部屋に運んだ。
部屋に入ると、浴衣姿の望月さんがベットに座って僕のギターを構えていた。
「お待たせ、望月さん」
「おぉ、善一。すまないな勝手に。やっぱりセミアコは格好いいな」
小さな望月さんの浴衣姿に僕の大きなセミアコは不釣り合いで、やっぱりおかしい。
「はは、構わないよ。それにしても似合わないね」
「そ、そうか、やっぱり変か……。これでも一番合うものをおばあちゃんに選んでもらったのだが……」
「あ、いや浴衣じゃなくてさ。その、ギターが」
「あ、そうか。わ、わたしとしたことが、変な勘違いをっ……」
顔を真っ赤にしながらあたふたする彼女を何だか見ていられなくて、「とりあえず、お茶飲みなよ」と僕はコップを手渡した。
大幅に予定より早く訪れた望月さんのせいで、出発の時間まで二時間ほど持て余してしまった僕だったが、折角なのでギターの練習を監督してもらうことにした。
途中で何度かにやけ顔で母が様子を見に来たりするのを相手しながら過ごしていると、あっという間に十七時半を回った。
「母さん、そろそろ行ってくるよ」
リビングにいる母に一応挨拶をして準備をする。
すると、母はわざわざ玄関まで送り出してくれた。
「気を付けてね。茜ちゃんも、またいらっしゃい」
「えぇ、ありがとうございます!お邪魔しました!」
「じゃ、行ってきます」
そう言って僕たちは家を出ると、自転車で駅に向かった。
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