第29話 僕の相棒
レコーディングを終えてから僕たちはすぐに、SONIC YOUTHへの応募を済ませた。
選考結果は八月下旬にネット上で発表されるようだが、それまでは特にやることもないので、夏休みの課題をやったり、暇があるなら二人で河川敷で練習をしたりしていた。
「そろそろそれなりに弾けるようにもなってきたし、善一も自分のギターを購入したらどうだ?」
「無茶言うなよ、バイトもしてないしそんな高いもの買えない」
「なに、拘らなければ中古なら五、六千円で買えるぞ。その代り音は悪いから、練習程度にしかならんがな」
と、望月さんにそそのかされて、数千円ならまぁ……と僕は乗せられるがまま今日ギターを買いに行くことになった。
彼女がお勧めするギターショップは最寄りの駅から九駅も離れた都心部にあるようで、この日は十一時から待ち合わせしていた。
僕は携帯を開いて時間を確認する。時刻はまだ十時二十分だ。
いい加減彼女の特性を理解してきたので、なんとなく早く来てみたが流石に四十分も前は早すぎたようだ。
なので僕は時間つぶしに本屋さんに入ることにした。
そういえば、この夏の間に一つ大きな文学賞のノミネート作品が発表されたようで、店頭にはそう言った作品を推して並べられている。
その作品を見てみると、やはりどれももう既に読み終わっている作品ばかりだったが、その中に浅木かけるの「ふきでのけもの」も並んでいた。
望月さんと出会ったときに読んでいた「いつかとは言わない」という作品は、この秋に映画化されるらしい。
弱冠十九歳の新鋭、僕と一つや二つしか変わらないような才能人が世の中でこんなにも評価されることに、なんだか関心と焦りを少しだけ覚えた。
店内は、流石にまだ開店して間もないからか、ワンピースを着た女性が一人いるだけだった。
その女性がいる文庫本コーナーで、まだ読んでいない作品を適当に取っては内容を流し読みする。
今日は貯めていたお小遣いを念のためかなり多めに持ってきているので、内容が気に入れば買って帰るつもりだったが、なかなかこれという作品は見当たらない。
何度も何度も小説を読んでは戻してとしている僕の奇行が気になったのか、後ろにいた女性がこちらに振り向いた。
「ん……?あ!善一!」
女性の正体は、望月さんだった。
「なんだ、着いているなら連絡をくれればよかったのに」
「いや、流石にこんなに早く来ているとは思わなかったよ。それに全く気付かなかった」
それは正直無理もない。
普段見かける彼女の私服と言えば、灰色のパーカーにジャージやスウェット、マシな時は短いジーンズと、お洒落とは程遠いよう恰好しかない。
そんな彼女がまさかこんな爽やかなワンピースを身にまとって、髪の毛までお洒落に纏めている。
しかも普段は何処に行くにも手ぶらで出かけるような彼女が、ちょっとしたブランド物の鞄まで持参している。
「今日はすごいお洒落だね。一体どうしたの?」
「あ、いや……これは……。善一と出かけると言うと、お婆ちゃんがちゃんとお洒落をしていきなさいとうるさくてな……。変……かな?」
「そうなんだ。すごく似合ってるよ」
僕がそう言うと、彼女は顔を真っ赤にしながら「あ、ありがと」と小声で言った。
少し予定よりは早いが、僕たちは目的地へ向かうために電車に乗る。
特急が通っているので、九駅とは言えども二十分程度で到着するようだ。
車内は平日の昼という事もあり、比較的空いていた。
僕たちは横並びに席に座ると、いつもの様に他愛もない話をしながら目的地に向かった。
「最初はどういうものを買うのが良いだろう?」
「そうだな、アコースティックギターならそんなに形はないし、気に入ったものを買えばいいと思うが。善一はどっちが欲しいのだ?」
「そうだな。練習の時音も気にしなくて良いし、やっぱりエレキかな」
まあ理由はそれだけじゃなく、正直暫くの間は僕がユニットでギターを弾くことはないだろうし、まず所有欲を満たすならやはり見た目が好きな方、という事もある。
「ほう、なら初心者セットを買うのもいいかもな。アンプやその他も必要なアクセサリがついてくるし。まあ、気に入ったのがあれば小さいアンプやチューナーは私のおさがりを上げてもいいが……。まあ最初は見た目で選んでもいいだろ」
彼女と購入するギターの相談をしているうちに、目的の駅へたどり着く。
改札を出ると、流石に都心部なだけあって平日でも人の波は凄かった。
友達と遊びに来たりするような用事がない僕にとっては、こんな都心部に来るのは、ここにしかない大型書店にマイナー書籍や参考書を買いに来るくらいだ。
なので駅から外のことは知らなかったが、実際目の当たりにすると、まるで僕らの住む街とは別世界のようだ。
そんな中、望月さんは物怖じせずすたすたと歩いていく。
まぁ、こんなことで物怖じしている僕の方がおかしいのだけれど。
駅から十分ほど歩くと、四階建ての楽器店があった。
「ここは一階が新品、二階が中古品、三階が高級品で四階がドラムとピアノと品揃えが多くてな。迷ったらここと業界では有名なのだ。値段も手ごろなものが多いし、私のアコースティックギターもここで買った」
そんな彼女のお墨付きの楽器店の中に入ると、壁一面がギターで埋め尽くされていた。
僕が辺りを見渡しながら呆けていると、望月さんはさきさきと店の奥へ進んでいく。
「大体安値で新品でと言うとこのあたりか」
彼女に案内されたコーナーに置いてあるギターは、確かに比較的安い。
「一万円代か。この形のギターはよく見るよね」
「あぁ、これはストラトキャスターだな。一番スタンダードなモデルだ。安価な物でも一応テレキャスターもあるぞ」
彼女が指をさした方を見ると、確かにあるにはあったが、彼女の持っている物を見た時よりも何だかインパクトは少ない。
「そんなことより気になったんだけど、その横の奴。二十七万……?」
「あぁ、フェンダーUSAか。海外メーカー品だから高いな」
「あれは高級品じゃないの?」
「ははっ、善一。上の階の高級品エリアに並ぶにはまだ最低でも、倍はいるぞ」
望月さんは笑って言うが、僕は血の気が引いてしまった。
「まぁ、いろいろ見た方が良いしな。中古品の方も見てみるか」
今のところ特にこの階には気になるものはなさそうなので、僕らは二階に上がることにした。
二階は中古品だというが、流石に楽器店なだけあって並んでいる商品は結構綺麗に整備されている。
しかし中古品でも良い物からそうでも無いものまで色々あるようで、値段は数千円代の半ジャンク品から中古でも十万円代を軽く超えるものまで様々だ。
「ちょっと私も見たいものがあるから、気になるものがあったら呼んでくれ」
そう言って彼女は少し離れた周辺機器のゾーンに消えていった。
知らない世界に一人残されたようで少しばかり心細くなったが、僕は気にせずゆっくりと見て回ることにした。
しかしこれだけ沢山ギターがあっても、正直形以外の違いは僕にはわからない。
まぁ、基本的には値段の高いものがもちろんいい物なのだろうが、行きしなにも彼女は「輸入品は無意味に高いこともある」なんてことも言っていた。
でもどうせ違いは分からないし、僕はとりあえず見た目で選ぶしかないのだろう。
彼女から教えてもらったことのあるギターの形以外にも、知らないモデルも沢山ある。
うーん、しかしやっぱり彼女の持っているギターほどの格好良さのものは見当たらない。
数分ウロウロしながら見ていると、少しだけ目に留まったギターがあった。
そのギターは、今まで見た僕の知っているエレキギターの形からは大きくかけ離れている。
真っ黒なその大きなボディにはアルファベットの小文字のFのような穴が開いていて、真ん中には銀色に光る大きな金属のパーツ……ピックアップと言ったか、それが二つ付いている。
恐らく値段を下げている理由なのであろう大きな傷痕も、見ようによってはいい味を出している。
暫くそのギターとにらめっこしていると、見たいものは見終わったのか、望月さんが戻ってきた。
「どうだ、良い物は見つかったか?」
「うん、ちょっと気になってるんだ、あれ」
僕はそのギターを指さす。
「おぉ、セミアコか。中々渋い選択だな。しかし結構高いぞ、四万……五千か」
「んー、ギリギリ買えないことは……」
貯めていたお小遣いを、念のため多く持って来ていたので、今手元には五万円ほどある。
しかし四万五千円は学生の僕には痛い出費だ。
「む、しかしフジゲン製か……。確かにこれを逃すとこの値段では目にはかかれんかもな」
「良い物なの?」
「ああ、私のテレキャスと製造工房が一緒でな。フジゲンが海外向けに出しているメーカーが私の持っているものだが、厳密にいえば同じメーカーなのだ。たしかこれでも元値は十万は超えていたはずだから、かなり安いとは思うが。まぁしかし一本目でいきなりこのクラスは少々博打だな。後で気に入らなくなる可能性だってあるし」
「そうなんだ。でも、凄く気になるな。何より見た目が気に入った」
僕が悩んでいると、長髪の店員が後ろから話しかけて来た。
「ギターのお買い求めですか?」
「あ、いや。まだ少し悩んでて」
「よかったら試奏も出来ますよ」
「そうだな、試奏させてもらおう、善一」
店員の勧めで試奏させてもらうことになったが、僕は特によくわからないので、望月さんに代わりに弾いてもらうことにした。
そうでなくとも、こんなそれなりに人の居る楽器店なんかで、初心者の僕が演奏するなんて気が引ける。
望月さんは気にしなくていいと言ったが、僕は無理やり押し切った。
店員がギターをアンプに繋ぎセッティングを始めると、望月さんは急に店員に詰め寄った。
「ちょっと、待ってくれ。スタックアンプじゃ試奏してもギター本来の音が分かりにくい。ツインリバーブかJCはないのか?」
長髪の店員は、望月さんの話し方に面を食らったのか少々顔を引きつっている。
「そ、それは失礼しました……。じゃ、こちらで」
まぁ、初対面でこんな話し方をされると、誰だって驚く。
僕は後ろからこっそり小声で「すいません」と謝っておいた。彼は苦笑いで返した。
セッティングが終わると望月さんは店員からギターを受け取る。
ワンピースを身にまとった小さな体の可愛らしい望月さんが、この無骨に大きなギターを構えて座る姿は、なんだか大きな重火器を振り回すライトノベルのヒロインを彷彿させてちょっとおかしい。
そんな彼女は、軽く指をパキパキと鳴らした後に、演奏を始めた。
軽快なカッティングをまずはジャズっぽく弾きこなす。
そこから展開された速弾きの後、ファンクを彷彿させる弦飛びフレーズ。
何回も聞いてきた、彼女の弾き始めのストレッチだ。
アンプからは、可憐な姿の彼女からはおよそ想像できないような親父クサいフレーズが店内に響き渡っている。
僕の隣で見ている店員が、小声で「うぉお……」と漏らした。
二分ほど演奏した後で、望月さんはスイッチやつまみなどの確認をしていく。
「音は結構いいな。私も好みだ。電気系統の不具合もないし、弾きやすさもかなりいい。善一が今買える値段なら、ちょっと痛くても私はこれを推すが、どうだ?」
「うん、じゃあこれにするよ」
「そうか。きっと善一にも似合うと思うぞ!」
そう言いながら望月さんは店員の方を見る。
「店員さん、このギター欲しいのだが、私たちは高校生だからお金がないのだ!ちょっと負けてくれないか?」
感心の顔をしていた店員は、すぐさま先程のひきつった顔に代わっていた。
それから結局、店長まで交えての三十分ほどの攻防があって、購入金額は四万円丁度という事に落ち着いた。
「ははっ、いやあ。いい買い物をしたな善一!」
「値切りは余計だよ。店長も最後はやけだったよ」
「まあまあ。出会ったときにも言っただろう。親から金をもらっているうちはたとえ一円でも粗末にしてはならん」
「この場合はちょっと違うと思うけど……」
そんなやり取りを経て、僕の背中には大きな荷物が一つ増えた。
セミアコというらしいこのモデルのギターは、見た目大きさとは対照的に凄く軽い。
背中に感じるちょっとした重みが、少し僕の高揚感を煽った。
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