第28話 僕らの歌
昨日の衝動も冷めやらぬ中、僕たちは二日目のRECに臨んだ。
今日の工程は、まず望月さんのアコースティックギターの録音からだ。
セッティングの都合上、どうやら僕のボーカルパートなどは二曲分続けて取った方が効率が良いらしい。
「アコースティックの録りは二本分だけだからね。茜ちゃんならきっとすぐに終わるよ」
村越さんはそう言いながら、ブースの中心にある椅子の前に大きなマイクをセットする。
「普通のマイクとは違うんだな」
「あぁ、あれはコンデンサマイクと言ってな。普段よりも細かい音を拾えるのだ。ただし感度が良すぎるから、逆にライブなんかでは使えん」
いつもの様に、僕の疑問に対して望月さんが注釈を入れていく。
この日もレコーディングの工程はそんな感じで体よく進んでいった。
村越さんが言うように、望月さんのギターの収録はあっという間に終わった。
昨日時点の収録もそうだが、望月さんが掛けるテイクはセッティング込みで殆ど三~四テイクで終わる。
本人曰く、時間が許すならもっと拘りたいという事なのだが、僕にとっては十分すぎるので正直差異は解らない。
そんな流れで、僕の歌録りの出番はすぐに回ってきた。
「さあ、善一君の出番だ」
先程望月さんが使っていたコンデンサマイクを、今度は僕の身長に合わせて調節する。
そして、なんだか声優の収録のドキュメンタリーなんかで見たことあるような、丸っこい網のような器具をマイクの前に取り付けた。
この光景は何だかプロっぽくて、少しだけ興奮する。
「善一が録るのは、バンド版はボーカルと必要に応じてダブルと後はコーラス。アコースティックはボーカル一本とポイントだけコーラスを録るって感じだ」
「うん。正直コーラスの音程が少し不安なんだけど……」
「あぁ、大丈夫。ボーカルの音程は僕がピッチ修正することが前提だから、どちらかと言えばニュアンスを大事にして歌ってほしいな」
「ピッチ修正?」
「あぁ。このソフトでボーカルのピッチをある程度調節できるんだ。よっぽどのプロじゃないと、終始少しもずれずに歌うのは難しいからね。むしろ近年ではプロのミュージシャンも大なり小なり使ってるよ」
確かに、ここ数日間何度も僕も録音しながら歌を歌ったが、ほんの少し、半音にも満たないほどのピッチの揺れは、どことなく気にはなっていた。
それを意識するあまり、正直出したい声量で歌えない部分があったりだとか。
そんな僕の練習不足は文明の利器がカバーしてくれるらしい。
「解りました。そしたら思いっきり歌ってみます」
「あぁ、一応練習テイクだけど、録音はしておくよ」
村越さんのカウントと共に、ヘッドホンから、演奏が流れ始める。
優しいアコースティックギターのアルペジオ。そしてその静寂を破る様に、ドラムの低い一撃。それを合図に、エレキギターの丁度良く歪んだ音圧が突き刺さる。
僕が歌うことで、この曲は完成する。
創作することで生まれる感情を、僕はこの瞬間まで知らなかったけど、もう二度と忘れることは出来そうになかった。
僕は渾身を乗せる。
あの時文化祭で歌った時よりも、遥かに強く。
静かに流れるAメロも、高揚感を煽るBメロも、抑揚をつけながら感情だけは精一杯乗せた。
そして、サビ。僕は普段出すことのない感情をすべてぶつけるかのように、マイクに向かって歌った。
冷たく硬い感情の奥で、決して錆びることはない心のことを歌う。
歩くステンレス、つまりは僕のことだった。
今までの僕に対する揶揄を、僕は自分自身で馬鹿みたいに歌った。
「OK、一応全部録ったよ。善一君、凄くいいね!」
まだ練習テイクだというのに、僕は何だか出し切ってしまったように疲れていた。
気づけば、顎から汗がぽたぽたと垂れている。
僕が座り込んで休んでいると、望月さんがこちら側のブースに入ってきた。
「善一、お疲れさま」
「お疲れって、まだ練習だよ」
「いいや、あれでOKだ」
望月さんは、にひひと笑いながらお茶を渡してくれた。
「そうだね、僕も今ので十分良いと思うよ」
ヘッドホンから村越さんが笑いながら言った。
「こっちで聞いてみるかい?」
「えぇ、そうします」
スピーカーから流れる歌声を聴きながら、望月さんは言った。
「こんな感情的な善一は初めて見たな。普段出さない分が全部出ているのかもな!」
「はは、実際そのつもりで歌ったんだけどさ」
「だからだろうなぁ。私はすごく突き刺さった。所々ピッチは悪いが、このニュアンスで私は音源にしたい」
僕は正直、自分では割と冷静にクオリティを求めて歌っていくボーカリストになるのだろうと思っていたけど、収録された歌声はまるで正反対のものだった。
それでも僕は、悪い気はしない。
「実は善一君のような子の方が、エモはハマるのかもしれないね」
村越さんがぼそっとそう言った。
結局、メインボーカルのパートは一発OKという事で、そのまま使用することになり、ピッチ修正を加えた後で工程はてきぱきと進んでいった。
まずはもう一度主旋律を録る。
これダブルと言って、同じ旋律をもう一度重ねることで、音源に奥行きを出す手法だ。
これは主にコーラスがない所で使われたりするようだが、ダブルとコーラスを重ねることもよくあるらしい。
それはサクッと終ったが、問題はコーラスだ。正直僕も主旋律ではないので覚えるのが不安だったのだが。
これは村越さんがピッチ修正ソフトを利用して、コーラスのガイドボーカルを簡易的に作成するという素晴らしい対応によって難なく乗り越えることが出来た。
アコースティック版の収録も難なく終了し、ミックスへと移行する。
ミックスとは、今まで取った音源の音量や演出を細かく調整して、きちっとした形に持っていくことだ。
ここまで来れば僕たちの出番はもうないが、望月さんはここでもいろいろと注文を付けていく。
とにかく僕が口出しできることはないので僕はコーヒーを飲みながら二人のやり取りをぼーっと眺めているだけだった。
僕たちの楽曲がゆっくりと形になっていく。
そんな様子を見ながら僕は、ようやく初めて「あぁ、音楽をしているんだな、本当に」……なんてことを考えていた。
「村越さん、本当にお世話になりました。ありがとうございます」
僕は音源データの入ったCDを受け取ると、村越さんに改めてお礼を言った。
「いや、本当に趣味でやっているだけだからね。きちんとクオリティの高い物を作るにはうちじゃ機材が足りないけど」
「いえ、とんでもないです。本当に助かりました。吉川さんも」
「こちらこそ!俺今はバンドやってないんで、久しぶりのRECだったし楽しませてもらいました!」
吉川さんは僕らがレコーディングをしている間店番をしていたようだった。
「村越さん、私のわがままを聞いてくれて礼を言います」
「ははっ、茜ちゃんの敬語は何だか新鮮だな」
「なっ、それでは私が失礼な奴みたいではないか!」
「いや、望月さんは割と失礼な奴だと思うよ」
「はっはっは、まあまた何でも言ってくれよ。可愛い子の頼みなら大歓迎だよ僕は」
そんなやり取りを交わした後、僕たちはしつこいほどお礼を言ってからスタジオを後にした。
スタジオを出るなり、僕ら二人は全速力で自転車を漕いで僕の家へ向かった。
二人とも気持ちは同じだった。早く音源を聞きたくて仕方がなかった。
スタジオで散々確認したはずの音源を、二人で聞きたくて仕方がなかったのだった。
望月さんの家にあるラジカセでは音が籠り過ぎているので、僕の部屋にあるコンポで聞くことになった。
父親のおさがりの無駄に値の張る一世代前のコンポは、望月さんと出会うまでは殆どインテリアと化していたのだが、僕はこの時初めてこれを持っていてよかったと思った。
僕は家に入るなり、望月さんにお茶を出すなんてことも忘れて自分の部屋へかけ込んでいく。
「善一、早く早く!」
「ちょっと、わかってるって」
急かされながら僕は鞄の中のCDを取り出してコンポにセットする。
再生ボタンを押す指は、心なしか少し震えていた。
両サイドにある気持ち大きめのスピーカーから、僕たちの音楽が流れ始める。
普段は絶対しないが、僕は自然と音量をめちゃくちゃに上げた。
僕たち二人は興奮していたのか、近所迷惑なんて考えないくらいに出来上がった音楽を爆音で、何度も何度も聞く。
「善一、私たちの……あすなろの歌だ。私たち二人の歌だぞ!」
そんなことを何度も何度もつぶやきながら、望月さんは少しだけ涙を浮かべていた。
「ははっ、泣くほどのことじゃないだろう」
「なっ、別に泣いてなんか……」
そんな彼女をからかいながらも、本当に泣きたかったのは僕の方かもしれない。
冷えて硬く尖りきってしまった感情は、この時にはもう完全に面影をなくしていた。
アルクステンレス、そんな僕の揶揄を歌った曲が完成したと同時に、僕の心はとっくに温まっていたことを痛感したのだった。
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