第27話 REC

 オリジナル曲が出来上がった一週間後、僕はスタジオに訪れていた。

 あれから一週間と時間をかけて、僕たちは楽曲の展開やメロディラインを詰めていき、今日はそのデモ音源を制作する日だ。


「望月さん。そういえば、この曲は、携帯で録音して音源を送るのか?」

 先日、僕は疑問に思って訪ねた。

「ん、あぁ。それでも多分問題はないのだろうけど、どうせならクオリティの高い物を提出した方が審査も通りやすいだろう。『LUKE』には簡単なものだが一応REC環境もあるし、店長さんが好意でいつもの二時間分のスタジオ料金で録ってくれると言っていたので、其処で録音しようと思っているが……」

「へぇ……何だかよくわからないけれどスタジオで録るんだな」

「うむ。まぁ流石にまともなレコーディングスタジオで録音するのは、経済的に準備が足りないからな。でもまぁ携帯よりかは遥かにいい音が取れるだろうな」

「ふぅん。ちなみにまともなところだといくらかかるの?」

「一曲大体十時間と考えると、そうだな。安くても五万位か」

「……」

 僕は絶句した。ううん……やはり音楽をやるのはどうしてもお金がかかるみたいだ。

 バイトでも始めるか、とこの時僕は本気で悩んだ。


 そんなやり取りを経て、その当日というわけだったが、今日も今日とて例に漏れず到着は僕の方が早いようだった。

「善一君、いつも早いねぇ」

「えぇ、今日はよろしくお願いします」

 声をかけて来たのは、この『Studio LUKE』の店長、村越さんだった。

 いつも僕たちが利用する時間は、シフト上吉川さんが担当していることが多いので、彼が休みの時しか会うことはないのだが、夏休みの間は昼間に利用しているのでここ最近はよく顔を合わす。

 今日は非番だったようだが、僕たちのレコーディングのためにわざわざスタジオまで来てくれたのだった。

「若い子たちの初めての音源制作に携わるのは趣味みたいなものだからね。僕も楽しませてもらってるし、気を使わなくていいよ」

 村越さんは、剃りたての濃い顎髭を撫でながら優しく笑った。

 ここのスタジオの人たちは、吉川さんといい人のいい人たちばかりだ。

 暫くの間談笑をしていると、入口の方から望月さんがやってくるのが見えた。

「やぁ、おはよう善一、店長さん」

「もうお昼過ぎだよ」

「そういうな。こういう世界ではいつの時間もおはようなのだ」

 彼女は僕らの前に仁王立ちして、いつもの様ににひひと笑う。

「ははっ、今日も笑顔がまぶしいねぇ。じゃ、ちょっと早いけど準備しちゃおうか」

「む、吉川がまだ来てないようだが……」

「あぁ、あいつならもう少し後に来ると思うよ」

「あれ?今日吉川さんも来るんですか?」

「あぁ、今日は吉川にもやってもらわなくてはならん仕事があるからな」

「……?へぇ、そうなんだ」

 僕はとりあえず疑問は置いておくことにして、村越さんの後についていく。


 案内されたブースは、いつも通りの練習ブースの奥にある、もう二回りほど小さい二畳ほどの部屋だった。

 相変わらず用途がよくわからないような機材と、デスクトップのPCが置いてある。

 しかし、そのよくわからない機材たちは普段に比べてかなり多い。

「よし、吉川が来る前にセッティングを先にしてしまおうか」

「あぁ、私も手伝うぞ!」

「えっと、僕にできることはあるのかな?」

「あぁ、じゃあ善一君はこのマイクをドラムセットにつけてくれるかい?」

「あ、はい解りました」

 村越さんは大きなクリップの付いたマイクをいくつか僕に手渡した。

 僕は望月さんから手ほどきを受けながら、そのマイクをドラムセットに装着していく。

 しかし、この作業をしながらも僕はある疑問がどうしても拭えなかった。

「ねぇ望月さん」

「む、どうした善一」

「僕たちの楽曲をレコーディングするんだよな?」

「うむ、そうだが?」

「ドラムセットの準備なんて、必要あるのか?」

「あぁ、そういえば言い忘れていたか。今回はバンド版とアコースティック版の二つを取ろういう事でな。先にバンド版をレコーディングするから、ドラムも録る」

 全く……そういうことは先に説明しておくべきだ、と呆れながらも、さらにまた疑問が生まれる。

「えっと……望月さんドラムまで叩くのか?」

「ん、いや叩けないことはないが、今回叩くのは……」

「おはようございまーす!……あれ、もうセッティングしてます?」

「おぉ、もう来たか。丁度吉川の話をしていたのだ!」

「ん……?まさかドラマーって……」



 今回のレコーディングでは、まさかの吉川さんがサポートドラマーを担ってくれるようだった。

 聞けば彼は、吹奏楽時代からパーカッションを担当していて、ドラマーとしての経験はもう十五年にもなるという。

「いやぁ、僭越ながら今回サポート仰せつかりましたっす。お手柔らかによろしくっす」

「いやぁ、吉川が引き受けてくれたので私も助かった!礼を言うぞ!」

「俺の方こそ、茜ちゃんたちのサポートが出来るのはちょっと感慨深いっすね!」

「吉川、じゃあ音量チェックしていこうか」

 村越さんがそういうと、吉川さんは相槌を打ってからスティックを構えた。

「じゃあ、シンバルから」

「うす」

 ドラムセットの調整は、シンバル、スネアドラム、ハイハット、キックがそれぞれ独立したトラックで録音されるので、一つ一つ音量を丁寧に調節していく必要があるようだ。

 そして、それとは別に部屋で鳴っているドラムセット全体が一色単になっている音源も別で録っている。これはアンビエンスというらしい。

 そのようなことを、村越さんたちが作業している横で望月さんが解説を加えてくれた。

「じゃ、全体のセットでもらおうか」

「うす」

 相槌と共に、吉川さんは激しいシンバルの音から始まり、基本であるエイトビートを刻んでいく。

 線の細い体形からはギャップのある存在感のあるドラムの音が鳴り響いている。

 これが生音の威力か。そういえば、文化祭の時は結局他のバンドの演奏を聴くことはなかったので、何気にドラムの生音を聞くのは僕は初めてだった。

 これから僕たちの音楽が形になる。

 それを思うと、なんとなく高揚感が湧き上がってきた。


 セッティングが終わると、いよいよ録音が始まるようだった。

「吉川、予習はしてきてくれたな!」

「えぇ、茜ちゃんと打ち合わせた感じで、取り敢えずやってみますけど、どんどん要望は言ってくれて大丈夫っす」

「なんだ、頼もしいじゃないか!」

「とりあえず、曲構成間違えるといけないんで、ガイドで一発だけ弾いてくれると有難いっすね」

「よしわかった!」

 望月さんは、二つあるギターケースから赤色のエレキギターを取り出す。

 そして、シールドをギターに差し込むと、反対の方を村越さんに渡した。

 村越さんはそれを受け取ると、今度は目の前にあるミキサーの空いている所にそれを差し込んでから、フェーダーやらスイッチやらをカチカチといじっている。

 とりあえず訳は解っていないけど、何も言わずに黙って見ていることにした。

 まだまだ僕が勉強しなくてはいけないことは多いようだ……。

「じゃあ、ひとまずテイクワン、一応録るけど練習で流してみようか」

 村越さんは、PCの画面を操作し録音を開始する。

 頭のメトロノームのカウントが始まると、二人の演奏が始まった。

 今まで二人で散々練習はしてきた楽曲だったが、ドラムが入ることによる臨場感は全く違っている物だった。

 僕たちの楽曲がより洗練されていき、形になっていく。

 僕は二人の演奏に、自分たちの楽曲なのにもかかわらず、聴き惚れていた。


 テイクワンが終わった束の間。

「いやぁ、音源で聞いた時も思ったけど、いい曲っすねー」

「ははっ、当然だろう。私と善一が作った曲だからな!」

「とりあえずこんな感じで叩いてますけど、なんか気になるとこあります?」

「そうだな、Bメロ終わりのフィルインをもう少し控えめにしてほしいのと……」

 二人がそんなやり取りをしている中、僕はぼそっと村越さんに話しかける。

「えっと、今ので駄目なんですかね……僕は既に良い完成度だと思っちゃいましたけど」

「そうだな。茜ちゃんはすごくストイックだから。吉川もあれで真面目な男だからね」

「うーん……やっぱり勉強することが多いですね、まだまだ」

「ははっ、追及すれば終わりがない世界だからね」

 二人のそんなやり取りを数回交えながら、ドラムのレコーディングは一時間半ほど続いた。


 時刻は既に三時半。

 セッティングを始めてからもう既に二時間半が経過していたので、少しだけ休憩を録ることにした。

 この間の店番は、どうやら僕はまだ見かけたことのない若い店員さんが担当しているらしい。

 村越さんと吉川さんは、ブースから出るなり大きく伸びをして煙草を吸いに行った。

「やっとドラムが終わりかぁ……」

「うむ、ここからは私の仕事が多いからな。気合を入れておくぞ!」

 彼女はそう言って自動販売機で栄養ドリンクを購入する。

「たった四分間の曲を録音するのに、こんなに時間がかかるとは……」

「にひひ、まぁ吉川には要望を足しながらやったからな。後は曲を分かっている私がベースも弾くし、ギターも三本、私が弾くから結構早く進むだろ」

「ギター三本?そんなに録るの?!」

「そうだな、アコースティックギターとエレキギターのダブル、それにリードパートを合わせれば……あれ、四本か?」

「な、なんだか申し訳ないな……」

「なに、私も楽しんでやっているのだ。謝ることはないだろ!」

 彼女は陽気に言っているが、僕は何となく居た堪れない。

「バンド版の楽器録音は今日中に終わらせるとして、明日はアコースティック版のギター録りと歌録りになるだろうな。善一の仕事は明日からになる」

「え、明日までかかるの?!」

「む、当然だろう。ベース録りに四十分、ギター録りで全部で二、三時間くらいか。店長さんも流石にずっといて貰うわけにはいかんしな」

「成程……。それにしても過酷なんだなぁ……」

 そういえば一曲十時間とかそんなことを言っていたか……。

 それを考えるとまぁ早い方なのかもしれない。

 実質二曲分の録音を僕たちは行わなければならないことを考えると、なんだか気持ちが重たくなってきてしまう僕だった。


 結局この日は望月さんの言う通り、バンド版の録音でレコーディングは終わった。

「何とか期日までには間に合いそうだな!」

 帰り道、彼女は一人何役もの仕事をこなした後でも元気がいっぱいだったが、何故だが何もしていない僕の方が疲れていた。

「明日は善一の方が仕事が多いのだぞ!今日そんなことではどうするのだ!」

 彼女は、僕の背中をバンバンと叩く。

「善一、少し公園にでも寄っていくか」

 すっかり薄暗くなってしまった帰り道、彼女のふとそんな提案をした。

「なんだよ、明日もまたレコーディングするんなら、早く帰って休んだ方がよくないか?」

「まぁまぁ、そういうなよ。少しだけだ」

 そう言って僕の返事を待たずに彼女はさきさきと目の前の公園に自転車を乗り入れては、入り口脇のベンチを陣取った。

 僕は渋々と後に続き、そのベンチに腰を落ち着ける。

「さっき店長さんに、データを送ってもらったのだ!」

 彼女は携帯を取り出すと、イヤホンをそれに接続した。

「まだミックスはしてないし、歌も入ってないが、一緒に聴いて帰らんか?」

 そう言って彼女は、自分の付けた方とは反対側のイヤホンを僕によこす。

 僕は無言で彼女のよこしたイヤホンを受け取る。

 それを引っ張ると、イヤホンが少し短いのか、彼女は体を僕の方に少し寄せた。

「さっきも散々聴いたじゃないか……」

 僕は、彼女からふわりと香る女の子の香りを、ごまかす様にそう言った。

「まぁそういうなよ、私は善一と一緒に聴きたいのだ!」 

 彼女はまたにひひ、と笑いながら音源を再生した。


 緩やかなアコースティックギターのアルペジオから始まる冒頭。

 それに徐々に乗っかる壮大なドラムの音から、うなる様に割って入る力強い望月さん独特のギターリフ。

 そんなミドルテンポながらパワフルに駆け抜けるイントロが終わると、急に冷めたようにアコースティックギター一本だけの演奏に切り替わる。

 そこから少しずつ足されていく、ベース、ドラム、ギター。

 サビの凝縮された音の波は、激しく僕の胸を打った。

 間奏を食うように鳴るギターソロは、望月さんの渾身のフレーズだ。

 それから静かに収束していくアウトロまで、僕たちは言葉を交わすことなく聴き入っていた。


「うむ、やはりいい曲が出来たな」

 静かに笑ってそういう彼女に、僕は何も言わずに頷いた。

 この時、僕の気持ちは、信じられないほどに昂っていた。

 早くこの歌を歌いたい。力いっぱいにこの演奏の前で、自分の歌声をぶつけたい。

 そんな思いで、頭がいっぱいになっていて、既に明日のレコーディングが待ち遠しくて仕方がなかったのだった。

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