第26話 アルクステンレス
望月さんの家に行くと、お婆さんは外出をしているようで、望月さんが直接迎えてくれた。
何気に彼女の家にお邪魔するのは、ライブDVDを鑑賞してからもう五、六回目になる。
彼女の部屋は相変わらず一般的な女の子の部屋のイメージとはかけ離れているものの、何だかんだ僕が事あるごとにそう言うことを気にしたのかどうかは解らないが、ギタースタンドの横にはかわいい猫のキャラクターのぬいぐるみが置いてあった。
「昨日もあれから一曲作ってみたのだが、録音がまだでな。どうせならちょっと弾いて聴かせてみるか?」
「でも聞いても覚えられないよ」
「なに、インスピレーションが沸くならそれでいいだろ。後でどうせまた録音もする」
彼女はそう言ってギターを構えると、いつもの様に流暢に演奏を始めた。
やはりいつ聞いても彼女の鳴らす音色は、優しく心地が良い。
複雑なアルペジオと、偶にリズムを打つように入るスラッピングの音が、マイナー調で展開される楽曲の輪郭を持ち上げている。
静かに進んでいく音の構成は完成度が高く、これだけの曲を一日で完成させる彼女は紛れもなく才能人であると実感させられた。
録音で聞いた曲もどれも良い物だったが、生で聞く臨場感はやはり違っている。
これならば多少は自分のインスピレーションに対するヒントにはなるかもしれない……。とは言ってもまだ煮詰まっているこの状況の光明は見えないままだが。
「まぁそんな今日すぐにどうこうしろという問題でもないだろ。ゆっくり考えてくれても私は構わん。最悪オーディションはSONIC YOUTHだけではないしな」
「そういうわけにもいかないだろ。やはり十代であるという利点は生かすべきだし、焦点を其処に絞るとやっぱりどれも夏休みの今に集中してる。オーディションを受けるならどの道早いに越したことはない」
「おぉ、調べたのか。善一もやる気が出てきたのだな!」
にひひと茶化す彼女をよそに、僕は鞄からノートとペンを取り出す。
「お、それに歌詞を書いているのか?」
「まだ歌詞と呼べるようなものはないよ」
彼女はギターを抱えたままどれどれと有無を言わさず僕のノートを取り上げる。
「ちょっと」
「まぁまぁ。人に見せるとまた違った意見が出るかもしれんだろ」
奪い返そうとする僕を片手で押さえつけながら、彼女は器用にノートのページをめくっていく。
「ほぉ、なかなか面白いワードセンスだな。やはり善一は才能があるな!」
「まだちゃんと書いたものは何もないよ」
「特にこの『トーチランプ』というのはなかなかに面白いテーマだな」
「それは言葉の響きのインパクトが強い言葉で書き出してみただけだよ。やっぱり曲名はインパクトが強くて耳に残るワードが良い」
「にひっ、やはり善一は解っているな!」
どうしてこうも、彼女は僕のことを全面的に褒めちぎるのだろうか。
どうもやりにくくて仕方がない。
彼女のあっけらかんとした全面的に受け身なこの姿勢も何だかんだ僕が考えすぎてしまう要因の一つでもあることは間違いない。
「とにかく、ちょっと今までの曲のイメージで進めてみるから君はちょっと静かにしててくれ」
「むぅ……それだと私のうちにいる意味がないだろうに……。つれないやつだな善一は」
少し膨れながらも、望月さんは僕のいう事を聞いてくれた。
その間、僕はとりあえず思いついた単語や文章などをノートに書きためていく。
望月さんは、暫くその様子を黙ってじっと見つめていたが、やがて手持無沙汰になったのか控えめにポロポロと演奏を始めた。
そんな何とも言えない時間が三十分ほどたった頃。
望月さんのギターのボリュームはもう気づけば僕に対する気遣いはなくなって、いつも通りのボリュームになっていた。
僕はノートとにらみ合っては、煮詰まって少しペンを置いて、また書き出しての繰り返しをもう何度も続けていた。
もうそろそろ自分の中の引き出しも薄れ始め、ペンを置いてから望月さんが淹れてくれていたお茶を一口飲みながら、なんとなく彼女の演奏に耳を傾けた。
それはまだ聴いたことのないメロディラインだった。
ゆとりのあるリズムの中に詰まった、少し寂し気なコードで進んでいくその曲調の中に、時折複雑に絡むアルペジオの音色。
僕は何となく想像を膨らませる。静かな音色の中で聞こえる、微かなスライドの音……金属音。
冷たい表情の中に、確実にある感情。
そして、しっかりと一歩ずつ、打ち鳴らして歩く足音と共に、取り戻していく物。
気づけば目を閉じて聞き入っていた。まるで、水の中に潜っていくような感覚で、音の中に。
そしてそこに散らばったインスピレーションを、一つずつ探していた。
歩く……金属音……雨……心……錆……感情……寂しさ……人……。
三分近くたったところで、彼女は飽きてしまったのか違う曲の演奏に移ろうとしていた。
「まって望月さん」
「ん?」
「今の曲、望月さんが?」
唐突な僕の問いに、面を食らった顔で彼女は答える。
「あ、いや……。曲というか、まぁ手癖でなんとなく弾いていただけなのだが……」
「もう一回、弾けるの?」
「ん……、全く同じようにと言われると難しいが……進行は大したことなかったから多分曲には出来るぞ」
「大丈夫、それでいい」
気づけばそれは確かな手ごたえになっていた。
なぜなのか、一体何が理由だったのかはわからない。
でも今の曲だけは、今まで望月さんが作っていたものとは違って、僕の中に流れ込む何かがあった。
とにかく、今見つけたワードを僕はノートに書きだす。
「とりあえず、君は出来れば今日中にさっきの曲を送ってくれないか。僕はそれで歌詞を書いてメロディもつけてみる」
いきなりの僕の手ごたえに、彼女は一瞬ついてこれていなかったが、それはすぐにしたり顔に代わった。
「にひひっ。何か掴んだか、善一」
そういう彼女に、僕は少しだけ微笑んで無言で頷く。
そして、僕は一人で集中して書くことにし、そのまま望月さんの部屋を後にした。
彼女は、約束通りその日のうちにそれを曲として仕上げて送ってきてくれた。
流石に全く同じものではないのだろうが、流石は望月さんだ。
自分のその時使っていた奏法や進行をちゃんと記憶していて、おおむね僕の記憶通りに再現されていた。
僕はその日のうちに勢いよく歌詞を書き上げた。
「良い!良いぞ善一!素晴らしいセンスだ!」
翌日、飽きもせず僕の家の前で望月さんは待ち構えていたので、彼女に見せに行く手間は省けた。
僕は持ち出したノートをランニングの休憩中、公園のベンチで彼女に見せてやった。
「特にタイトルが良いな!ありふれた言葉だが、どこにもない言葉だ」
「そう手放しでほめられると複雑だけどね。でも昨日も言ったように、タイトルのインパクトは必要だと思った」
「冷たい人間、しかし奥にある錆びない気持ち、感情。なるほど……『アルクステンレス』。良いタイトルだ!」
こうして、あすなろの記念すべき第一曲目『アルクステンレス』が完成した。
そんな喜びも束の間、僕たちはこの夏この曲をひっさげて、全国の同世代アーティストとぶつかり合うことになる。
真夏の早朝、控えめに上った太陽の下で騒ぐ僕たちの上では、既にいち早く蝉達が歌声を響かせていた。
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