第四章 SONIC YOUTH

第25話 凡人の苦悩

 日陰者の僕にとって『夏休み』なんていうものは、ただただ学校がないだけの日常を消化するだけの毎日で、特に沸く様なイベントも我が家にはない。

 まぁしかし、今年に限っては皆受験勉強で忙しくもあるわけだし、おいそれと遊びまわっている時間もないのかもしれないが。

 そんなわけでまぁ、これまで僕はどちらかと言えば、夏は嫌いな方だった。


 そんな夏休み初日。

「望月さん」

「なんだ善一」

「どうしてこんな朝早くから僕の家の前にいるのか、説明してくれないかな」

 僕がランニングに行こうと家を出ると、夏用のパーカーとジャージを身にまとった望月さんが黒猫と戯れていた。

「いや何、そろそろ善一が朝のランニングに行く時間だと思ってな。私も最近運動不足だから、着いて行こうと思って」

 ちなみに今の時刻は、六時三十分だ。

 彼女は、僕よりはるかに早く起床してここで待っていたことになるのだが……。

「夏休み初日だしな!私たちも高校生活は最後というわけだし、充実した夏休みにしなくてはな!」

「もはや君の謎の早起きに対しては言葉も出ない」

「む、私とランニングするのが嫌なのか?」

「嫌というか……まさか毎日ついてくるつもりか?」

「んぅ、それは気が向いたらの話だな」

 彼女はいたずらに、にひひと笑った。


 そんなこんなで始まった夏休み。

 とりあえず僕たちの現状に立ちふさがった問題は『SONIC YOUTH』への出場条件だ。

 ちなみに締め切りは八月十日まで。

 それまでに僕たちは応募用のオリジナル楽曲を制作して音源を作ることになるのだが……。

 今の所僕たちの進捗状況はあまりいいとは言えなかった。


 ランニングが終わってから、今日は両親ともに不在のようだったので、朝食ついでに望月さんを僕の家に上げることにした。

 望月さんは自宅でもう済ませてきたようだったので、自分の部屋へ上がらせると、僕はキッチンに戻って自分用に簡単にトーストを焼いてコーヒーを二つ淹れる。

 彼女の好みは詳しくは知らないが、いつも学校でカフェオレばかり飲んでいるので牛乳はたっぷり入れておいた。


 それをもって、自分の部屋へ戻りドアを開けると、望月さんは僕のベットの上で正座して待っていた。

 ちなみに僕の部屋は四畳半しかなく、壁沿いには勉強机と無数のカラーボックスがあるので、客人が座る所は確かにベッドしかない。

 と、いうことに今気が付いた。

 無論、この部屋に客人を招き入れることなど、彼女が初めてだ。

「善一の部屋は、なんというか色気がないなぁ。興味を惹くものが本しかないな」

「それは君には言われたくないよ」

 僕はそういいながら冷ましたカフェオレを彼女に渡す。

「おぉ、すまない」と言ってそれを受け取ると、彼女は一口含み、満足そうな顔をする。

「善一は私の好みもしっかり覚えているのだな!流石だぞ」

「知らないよ。適当にカフェオレ作っただけだ」

 僕はそういいながらホットコーヒーを飲みながらトーストを齧る。

 そうしたら彼女が「そういえば」と言いながらポケットから携帯を取り出した。

「また二曲ほど断片をとってみたので、聞いといてくれ」

「あぁ、わかった」

 彼女はそう言うと、メールに添付してそのファイルを送る。

 こうして彼女が制作して来たものを僕が聞いて、メロディと歌詞を僕が考える段取りなのだが……。

「進捗はどうだ、今までの曲も私はなかなか悪くないと思っているのだが」

 望月さんは、少し期待を込めた様子で伺ってくるが、僕は対照的に肩を落とす。

「やはり簡単にはいかないよ。一口に歌詞と言ってもインスピレーションもわかないし、何より書くことはもう長いことしてないからなぁ……」

「む、そうか。まぁでも応募期限は八月十日とあるし、音源制作の日取りを考えても二週間近く猶予があるからな。あまり急く必要もないだろ」

 そう言って彼女は呑気にカフェオレを少し啜る。

「僕には二週間が余裕には感じないよ。何せ初めてのことばかりだ。それにせっかく君が作った曲を台無しにするようなことは出来ないし」

「まぁそう気負うなよ善一。こう言っては元も子もないが、私はただギターでなんとなく良さそうなサウンドを弾いて録音して善一に渡しているだけだ。善一が歌をつけなければ命が宿ったことにはならん」

 彼女はそう言ってにひひと笑った。


 ひとしきり僕の部屋で雑談を交わした後、望月さんは家事の手伝いがあるというので僕の家を後にした。

 僕はそれを見送って自室に戻ると、イヤホンを携帯に差し込んで、先程彼女から受け取ったファイルを再生する。

 一曲目は、アコースティックギターのボディを打ち鳴らしたカウントから始まり、優しいアルペジオから展開していくミドルテンポのバラード調の曲だ。

 ギターのサウンドだけでもしっかり聞きごたえがあり、贔屓目なしにしてもいい曲だと思う。

 僕はイヤホンから流れる曲に神経を傾ける。

 そして曲からイメージできる情景を僕は必死に思い浮かべた。

 

 思い浮かぶものは、雄大な空。果てしない草原。そんなありきたりで使い古された表現ばかりで、自分のイメージ力の乏しさがだんだん嫌になる。

 取り敢えず気を取り直して二曲目も再生した。

 こちらの曲は、冒頭から跳ねた曲調のカッティングから始まり、少し古臭いロックンロールテイストなダンスナンバーだ。

 これについては望月さんの好みのサウンドを本当に兎に角弾いてみましたという感じではあるが、一周回って最近ではこういう曲調が日本のメジャーシーンでは流行っている傾向にある。

 それにやはり望月さんのプレイだと、アコースティックギター一本だけでもなかなか完成度が高く、こちらも聞きごたえのある曲だった。

 しかし、駄目だ。どうしてもダンディな外人がスタジオで座りながら煙草をくわえてギターをかき鳴らしているイメージしか沸かない。

 まぁそもそもこんな曲、これだけ聞いたら誰しもがうら若き女子高生が弾いているなんて想像できないだろうが。

 「あー駄目だ……」

 僕は背もたれに体重を預けながら独りで呟く。

 数日前から彼女から受け取った楽曲に耳を通しては、こんなことをずっと繰り返している。

 煮詰まっている自分の状況は、何曲も作っては聞かせてくれる彼女に申し訳なく、不甲斐なく思ってしまう。

 楽曲を作るという事はこんなにも難しいことだとは……。

 いや違うな。現に望月さんはもう既に何曲もバックサウンドの制作はしてきているわけで。

 そうなればどう考えても原因は僕の実力不足というわけだ。

 やはり、ほとんど素人のようなものである僕に、作曲なんて作業は無理があったのだろうか……。

 そんなことが何度も僕の頭をよぎった。

「それでも望月さんは、僕に任せてくれているんだよな……」

 今日からは夏休みだ。丸一日考えることが出来る。

 何も思いつかなかったとしても、せめて何か書くことくらいはしてみよう。

 そう思って、僕は真新しいノートに向かって、取り合えずペンを走らせてみるのだった。



 そんな幸先の悪いスタートを切った翌日。

 この日もまた当然の様に待ち構えていた望月さんにつかまって、結局ランニングを共にすることになった。

「それで善一、良さそうなものは書けたのか?」

 僕の横にひっついて走る望月さんは、頭を抱えてやまない問題を平然と抉るよう様に笑顔で聞いてくる。

「昨日今日で出てこないよ。望月さんの曲は凄く良いけどね。でもまぁ取り敢えず無駄にはならないと思って、それっぽいワードや単語書いたり、形だけ歌詞を書いてみたりはとにかくしてる」

「ほぉ、そうか。私からもなにかヒントがあるかもしれんしな、今日は二人で考えてみるというのはどうだ?」

「そうだな、その方が僕も助かるかもしれない」

「うむ、なら昼過ぎにはおばあちゃんの手伝いも終わっているから、それくらいに私の家に来るといい」

 僕はそういう望月さんの提案に乗って、この日は彼女の家にお邪魔して制作を進めることにした。

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