第23話 君の証明をしよう

「――とまぁ、そんな感じだ。私の抱えている闇というものは」

 彼女は少しだけ辛そうにまた、にひひと笑う。

「結局引っ越したとはいえ、隣接してる市街だからな。また程なくして噂がぶり返してきた。結局私はそのままクラスに打ち解けることはなく、でもお婆ちゃんを心配させるわけには行かなくて、保健室登校なんて状況を二年も続けていたのだ」

 僕は彼女の話を聞いて、特にかける言葉は見当たらなかった。

 それは、別に驚愕したわけでも、言葉を失ったわけでもない。

 彼女は、無実の噂話と、お婆さんを心配させないために戦ってきたのか。それもたった一人の力で。

 なぜ彼女はそんな事実無根の噂話に翻弄されてそんなことを強いられているのだろうか。

 ――「私はこの世界をクズだと思っている。」

 ……笑えるかよ、確かに君の言う通りだ。


「君にとってそれは、凄く大きな障害だったんだろうな」

「あぁ。お母さんの死をその度にイメージするのは、今でも凄くつらいよ。それでも善一や日笠先生の期待に応えるには、これと向き合っていかなくてはならない」

 僕は考える。彼女がそんなストレスと戦っていく方法は、果たしてあるのだろうか?

 それでも、彼女は向き合うというならば、僕が後ろ向きに構えているわけには行かない。

 彼女は、みんなが思っているような気味の悪い人間ではない。

 一度世界に絶望したからこそ、何に対しても前向きで、正直で、純粋で天真爛漫、そして誰よりも人間が好きな彼女のことを、僕はちゃんと理解している。


 そう、そうじゃないか。こんな人間が、人から好かれないはずなど無い。

 学校の外では明るくて、スタジオではアイドルな彼女が、あの学校という空間で受けている扱いだけが、不当なのだ。

 ならば、彼女は正当な扱いを取り戻すだけで良い。そのために僕がすることなんて、簡単なことだ。

「望月さん。僕は、君の証明になろう」

「む、どういうことだ?」

「本来の君という人間を知ってもらう事さえできれば、君が人から嫌われる理由なんてどこにもない」

「しかし……」

「君のその辛い思い出はきっともうどうすることも出来ないけど、その思い出のせいで高校生活すらも辛い思い出ばかりにする必要なんてないだろう。文化祭で僕らは忘れられない思い出を作れたと思う。それを一つずつ増やしていこう。僕が手伝う。そうすれば、僕という存在が、君の思い出の証明になるだろ」

「善一……」

「僕が、君の証明をしよう。……これからもずっと」

 そんな僕の、どうしようもなくクサいセリフを聞いて、望月さんは、膝に顔をうずめた。

 彼女の様子を見て僕は我に返り、少しだけ恥ずかしくなった。微妙な間が空いた後に、彼女は少しだけ控えめに、でもこちらに顔は向けずに一言だけ「ありがと」と言った。


 ぎこちない空気を紛らわす様に、僕らはそのあとも少しだけいつもの様に談笑をしていた。

「さぁ、そういえばお昼もまだだし、そろそろ帰るか。善一」

 すっかりいつもの調子を取り戻したように見える望月さんに、僕は安心する。

「テストは明日で最後だから、ぬかるなよ善一」

 にひひと笑いながら憎まれ口をたたく彼女に「抜かれないように気を付けるよ」と僕は笑って返した。

 夏休み前の彼女と僕の不穏な空気は、こうして幕を閉じることになる――。

 しかし、一難去ってはまた一難。それが物語の基本であるからして、僕らの物語もまたその例に漏れることはなかった。



 翌日、テスト最終日の放課後。

 昨日まではそそくさと僕に見つからないように帰っていたはずの望月さんが、今日は大人しく僕の帰り支度を後ろで待っていた。

 昨日あんな話をした後でも、やはり今日も彼女の様子は変わりはない。

 まぁ、そんな程度で克服できるようならば、最初から何も問題ではないのだが。

「望月さん、今日は屋上が開けられるみたいだけど」

「ん……そうか……」

「久しぶりに、開放するかい?」

「む……そうだな……」

 やはり、受け答えは少々ぎこちない。

 教室内で言葉を発すること自体が、彼女にとっては既にストレスのようだった。

 まずはそこから何とかしないとなぁ……。

 帰り支度が終わり、僕は鞄をもって席を立つ。

 そして職員室に向かうべく教室を出ると、望月さんはてこてこと後ろから静かについてくる。……何だか小さいころにこんな感じのゲームを見たことがある気がするなぁ。


「なぁ善一、今回のテストの手ごたえはどうだ?」

「なんだよ、教室を出たらすぐ元気になりやがって」

「まぁそういうなよ。で、どうだったのだ?」

「悪くはないけど、どうも数学が鬼門だったな。赤点はないが一番点数はよくないと思う」

「ほぉ、私はな、今回はなかなか手ごたえが良かったぞ!善一の成績を抜くかもな!」

「まぁそうだろうと思ったよ。自分から聞いてくる時点でさ」

 まぁ実際、言い訳にはなるが彼女との謎の均衡のこともあって、あまりテスト勉強に集中できなかったし、今回のテスト結果に関しては彼女の方に軍配が上がるかもしれない。


 そんなやり取りを交わしながら、僕らはいつもの要領で屋上を開放した。

 彼女は相変わらずの太陽に夏服姿を光らせては、小さい体で精いっぱいの伸びをする。

「んー、久しぶりの屋上はやはり気持ちがいいな、善一!」

「はは、そうだね」

 そんな彼女に生返事を返しては僕は早速、購入しておいた昼食を広げては読書に取り掛かる準備をする。

「なっ……風情のかけらもないのだ、善一は」

「仕方ないだろう、これが僕のニュートラルなんだから」

 彼女は少し膨れてぶつぶつと何かを呟きながら僕の隣に腰を落ち着ける。

 すると程なくして、普段僕ら以外が開放することのない屋上の扉が、ギリギリと音を立てて開いた。


 僕らは、その予期せぬ事態に一瞬ぎょっとしたが、そこから顔を出したのは担任の日笠先生だった。

「やっぱりここにいたのね二人とも」

「はい、今日は最終日だったので久しぶりに。何か用事ですか?」

 日笠先生は、僕ら二人の様子を見て少しだけ嬉しそうにウフフと笑う。

「二人とも、仲は順調のようね」

「えぇ、おかげさまで」

 望月さんは満面の笑みで答えているが、日笠先生のその言葉には少なからず他意が含まれていることに多分彼女は気づいていない。

「先生、用事ですか?」

 僕が不機嫌な感じで繰り返すと、日笠先生は声色をなんだか少しからかいを含めたように「おじゃまだったかしら?」とつけてから要件を話した。

「まぁ用事というわけじゃないんだけれど、二人とも文化祭で音楽ユニットを組んでいたから、こんなの興味ないかなぁと思って」

 日笠先生は自分の鞄をゴソゴソとあさって、一枚の少しクシャクシャに折り目の付いた一枚のフライヤーを取り出した。

 関係ないが意外とがさつな一面が垣間見えた気がする……。

「おぉ、『SONIC YOUTH』ですか!」

 望月さんは目を輝かせているが、僕はあまりよく事態を理解していない。

「えぇ、夏休みは受験勉強とかで忙しいでしょうけど、二人の何かのきっかけになればいいと思って」

「えぇ!ぜひ検討してみます、なっ?善一!」

「え、あぁ。はい」

「それじゃあ、考えておいてね。邪魔してごめんなさい」

 日笠先生はまたウフフと微妙に何かをはらんだ笑みを残してこの場を去っていった。


「大体この季節になるとあるのだが、いやぁ私としたことが……こういったバンドやユニットを対象としたものはマークしていなかったので忘れていたな」

「一体これはどういう?」

「あぁ、これは各メジャーレーベルが主催して行われる十代限定のアーティストオーディションでな。その中でも一番有名なのがこのFMラジオ局の主催する『SONIC YOUTH』なのだ」

「へぇー……。オーディション?」

「そうだ。これで最終選考に残るだけでも、この先の音楽活動にとってかなりのアドバンテージになる。ここは力試しとしても応募するほかはないだろ!」

「ま、待ってくれ。それは、君と僕で?」

「ん?当然だろう」

 彼女は、まるで「何か私がおかしいことを言っているか?」というような表情をしている。

 オーディション。つまり本格的な『メジャーシーンを目指す』という活動である。

 この僕が、オーディション。

 確かに僕は彼女と音楽活動をしていくことを承諾したし、やる気だってあるが……いくらなんでもそれは早すぎるのではないか?

 音楽を初めてまだ二ヶ月と立っていないような僕が、ずっとずっとプロのアーティストを目指し続けて来た群衆の中に飛び込んで、オーディションなんて……とんでもないことなのではないか?

 そんなことを考えている僕の肩を叩いて望月さんは「案ずるなよ、善一。所詮は力試しと思えばいい」と軽く言った。


 一難去ってまた一難。

 音楽の右も左もわからないような僕ではあったが、そんなこんなでこの事案を皮切りに、彼女と共に目指すアーティストへの道は本格化して行くことになる。

 そしてアーティスト『あすなろ』としての、これが最大最後の分岐点であったことは、言うまでもない。

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