第21話『君』とは呼ばない

 その夜、僕は眠れずに考えていた。

 気味の悪い噂、か。それは望月さん自身も言っていた。

――私のような気味の悪い女には近づきたいとは思わない。


 仮説を巡らせれば巡らせるほど、僕の中でその噂の正体が歪んで形成されていく。

 深くは聞かないと決めたが、これはもう本人に聞く他はないのかもしれない。

 気持ちのいいものではないが、彼女のバックアップをする上で、彼女の事情を理解していないのは色々と不便だ。

 そうと決まれば明日にでも……と、そういえば今は僕は彼女に避けられているのだった。

 先にその問題の方を何とかすべきか……いやもう面倒くさい。この際どちらとも一気に解決してしまうのが手っ取り早いだろう。

 もう無駄なことを思い悩んだりするのはやめたのだ。

 僕はそう決意を固めると、なるべく早く眠れるように、無理やり目を瞑った。



 翌日放課後、昨日と同様に彼女は僕が帰り支度をしているうちに瞬時に姿を消していた。

 今朝も話しかけて来たくせに、よほど僕と顔を合わせたくないらしい。

 しかし僕だってもう手段を選んでいる場合ではない。

 この謎の均衡も、彼女に対するクラスメイトのわだかまりも一日でも早く何とかしたいと思っているのだ。

 僕は、一先ず教室を出るとゆっくりといつもとは違う方向へ向かった。


 向かった先は、学校の裏手にある寂れたコインランドリーだ。

 以前説明したように僕は、校内に自転車を駐輪する許可をとれないので、自転車通学をすることは校則違反になる。

 それをかいくぐるため、今日はクラスメイトに鉢合わせしない時間から通学をして、この寂れたコインランドリーに自転車を止めていた。

 正直こういった無法行為は健全に生活を送っている僕としてはあまり気の進まないことなのだが、今日に関しては仕方がない。それだけ僕も本気だという事だ。

 僕は自転車にまたがると、精一杯にペダルに力を籠める。

 そして先回りするために、全速力で望月さんの家へ向かった。


 望月さんの家も僕の家も、歩いて帰ると結構かかるが、自転車ならば十分とかからない。

「少し張り切りすぎたか……」

 飛ばして五分程度でついてしまった僕だったが、多分逆算すると歩いて帰ってくる望月さんはもう十分程後だろう。

 まぁここで息を整えていたらそのうち姿を現すに違いない。

 僕は望月さんの家の前に自転車を止めると、サドルの上に横向きに座った。

 家の中から物音はしない。どうやらお婆さんは出かけているようだ。

 しかし、どれだけ考えてもまだ彼女が僕を避けている理由は全く分からない。

 まぁ解らないからこそ、こんな待ち伏せなんて真似をしてまで僕は彼女に問いただそうとしているわけなのだが。


 彼女にとって僕の存在は、一体どういうものなのだろう。

 そういえば、今までは彼女の方から求められるばかりで、深く考えたことなど無かった。

 でもまぁ、向き合ってみようと思った矢先にこんな調子なのだから世話はない。

「あぁー、面倒なことばかりだな」

 面倒くさがりの僕。その根本は変わらないが、それでも彼女の絡む面倒は、いつしか悪くなくなって来ている自分には、まだ少し慣れてない。

 だから、こうやって独り言を口に出すのだ。面倒くさがってるって、言い聞かせるように。


 そんな思考を巡らせているうちに、程なくしてよく知っているシルエットが交差点の脇からひょこっと姿をあらわした。望月さんだ。

 彼女は少し俯き気味で、力なく両手を背負った鞄のひもに添えてとぼとぼと歩いている。

 僕の姿にはまだ気づいてない様子だ。

 そんな彼女を見ていると、ほんの少しだけあった彼女への苛立ちなんてものは露と消え去り、寧ろなんだかおかしくなって僕は心の中で少し笑った。


「望月さん」

 僕が声をかけると、彼女は見たことない衝撃の顔で面を上げる。

 その様子だってなんだかおかしい。

「ぜ、善一……。なんでこんなところに……」

「君が何だか僕を避けているようだったから、待ち伏せしてたんだ」

「わ、私は別にさけてなどっ……」

「いないはずがないだろ?何があったんだよ」

「べ、別に何もない。それに、あったとしても関係ないだろ」

 彼女は少し眉を下げて目をそらした。

 このまま押し問答を続けたところで埒があかない。

 僕は小さくため息をついて、「少し歩きながら話しないか」と提案した。


 僕の一歩引いたところで、望月さんは何も言わずについてくる。

 とりあえず、僕も歩きながら話をしようと言ったはいいが、どう切り出して良い物かもわからない。

 今の所この二人の均衡の理由については、望月さんしか知らないのだから。

 頭の中で色々なことを漠然と考えていると、気づけばよく練習で使っている河川敷にたどり着いていた。

 依然望月さんの方から切り出してくる気配はないので、僕は自然と河川敷

コンクリートの部分に腰を落ち着ける。

 望月さんも、何も言わないまま僕の隣にちょこんと座る。

 何だかよくわからない雰囲気だ。喧嘩中の恋人同士なんかも大体こんな感じなんだろうか。


 初夏という事でもう既に気温はかなり高いが、河川敷は風が強めに吹いて丁度良かった。

 文化祭までの二か月間、屋上の練習が終わってはここにきて二人で練習したものだ。そしてこの事案が解決すれば、これからも。

「もしかしたら僕たちが大人になったとき、ここのことを思い出してノスタルジックな気持ちになったりするのかもな」

 僕がそんなことを零すと、望月さんはこちらを見て少しだけ笑った。

「なんだそれは。善一、いつになく詩的なことを言うのだな」

「そうだ、望月さん。君は僕のこと、善一って呼ぶんだ」

 僕は彼女の顔を見つめる。

「望月さんが、僕のことをと呼ぶのは、僕が名前を教えてからは一度も聞いたことがない」

「そ、それは……」

「だから何もないわけがないんだよ。一体どうして僕のことを避けるんだ」

 僕のその言葉には、幾分かいつもより感情が乗っていた。

 その言葉に圧されてしまったのか、彼女は少しだけ黙り込んでしまった。

 それでも僕は彼女から顔をそむけることはしない。

 少しだけ悲しそうな顔をしてから、彼女は観念したように話し始めた。

「べ……別に善一のことが嫌になったわけじゃないのだ……」

「だったらどうして?」

「私は……私が善一と居ると邪魔になるから……」

「邪魔?いったい何の話だ」

 彼女は、まごまごとしながら、足を抱え込んで蹲っている。

「善一に友達が出来るのを……私が居たら邪魔したらいけないと思って……せっかく私の他にも話す相手が出来たのに……私がそれを独占するのはよくないのだ……」

 彼女は何とかそんなセリフを絞り出すと、今度は少しだけ涙を浮かべながら完全に顔を膝にうずめた。

 成程、彼女は僕が西垣君たちと挨拶を交わす様子を見て、僕に友達が出来ていっていると思ったのか。

 そしてそんな新しく形成されていく僕の交友関係に、自分が割って入ることはよくないと考えた。

 全く、なんだろう。本当に彼女はどうしてこんなにも……。


「あのな望月さん。沢山言いたいことがあるけれど、まずこれは言っておくよ」

「?」

「それでも、僕と一番最初に友達になったのは、君なんだ。それはこれから先いくら友達が出来ても、僕にとっては変わらない」

「善一……」

「何人友達が出来ても、君との友情はまた別の物だと思ってたんだけど、望月さんはそうじゃないのかな」

「そんなっ、私だって……」

「だったら。だったらそんなバカみたいなこと考えるのはやめてくれよ」

「でも……。善一のせっかく手に入れたものを、私のような気味の悪い女が邪魔するわけには……」

 それでもなおはっきりとしない彼女に僕はイラッとする。

 そして僕は、反射的に彼女の腕をがっしりと掴んでいた。

「ちょっ、善一」

「解らないやつだな!そんなことは僕には関係ない!僕は君と一緒に音楽がしたいんだっ!それは僕が初めて自分で決めたことなんだ!」


 本当に僕はらしくなくなったと思う。

 らしくなくなったというより、新しくなった。

 新しい市川善一という感覚が、彼女によって形成されているような感覚だ。

 こんなにも声を張り上げて、誰かに感情をぶつけるなんて、彼女と出会わなかった僕ならばきっと出来るはずがないのだから。

「善一……」

「とにかく、仲直りしよう。君と僕の関係は、ちゃんと元通りだ」

「で、でも……」

「いいんだ。僕が良いと言ったから良いんだ」

「う、うむ……」

 彼女は少しだけ恥ずかしそうに、でもいつも通りまたにひひと笑った。

「す、すまなかったな善一。これからもよろしく頼むぞ」

「うん、あたりまえだろ」

 そんな感じで、僕と望月さんの謎の均衡は破られた。

 しかし、僕にとってはこれからが本題である。


 彼女の抱える傷を僕は、仲直りしたこの直後、抉らなければいけない。

 彼女が自身でも先ほども言った、気味の悪い噂について、僕も向き合わなければいけない。

 さて、こんな時にどう切り出したものかと悩んでいると、先にそれを切り出したのは意外にも彼女の方だった。

「善一、相方ならば私も甘えてばかりはいられないよな」

「えっと、それはどういうこと?」

「自分が隠し事をしたまま善一に助けてもらうだけでは何も変われないと思うのだ」

 彼女は、立ち上がって川の流れる方を見つめる。

 濁った水面にはまだ煌々と照り付ける太陽と青空が反射して、少しだけきれいに見えた。

「この水面のようなもんでな、外見をどれだけ綺麗に見せても、本質は結局同じなのだ。ならばこそ、善一に私という人間を好きになってもらうためには、私の全てを知ってもらわねば、意味はないのだと思う」

 そんな先程の僕よりもずっと詩的なことを言いながら、彼女はまたにひひ、と笑った。

「まぁ、全てと言っても限度はあるが、私の昔の話を聞いてくれるか?」

 精一杯取り繕って、振り絞った勇気で吐いたそのセリフは、言葉尻が少し震えていた。

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