第19話 君と一緒に
コントロールルームに行くと、なぜか日笠先生も泣いていた。
「二人とも、本当に良いステージだったよぉ!」
先生が望月さんを抱きながらそう言うと、もう泣き止んでいた望月さんは「あはは、先生くるしいです」と言いながら苦笑いしていた。
そんな光景を照明を操作している二年生の役員が怪訝な目で見守っていた。
「先生、今日は協力までしていただいてありがとうございます。助かりました」
「とんでもないわ!市川君の考えた演出も、凄く良かったわ。ここで見てても凄く良いステージだった!」
先生は目をキラキラさせながら力強く語る。
「そういってもらえると光栄です。先生も私のためにこのような提案をしていただいてありがとうございます」
「えぇ、望月さん。少しずつでいいんだから、一緒に頑張ろうね」
「ありがとうございます」
「あ、いけないわ。次の公演が始まっちゃう。それじゃ二人ともお疲れさま。後は二人で文化祭楽しんできなさいね!」
「えぇ、そうさせてもらいます。ありがとうございました」
僕たちは最後に一礼だけして、その場を後にした。
とは言うものの、望月さんはあまり堂々と校内を散策することは難しそうなので、結局僕たちは屋上に腰をつけることになった。
六月末、梅雨も去って日は煌々と地面を照らしている。
春過ぎの申し訳程度の涼しさを残しつつ、もう気温は夏の気配を帯びていた。
僕は、上に羽織っていたカーディガンを脱いで大きく伸びをする。
「あぁー。終わったなぁ」
「そうだな、終わった」
皆が抱いていた彼女の印象は、少しは変わっただろうか。
彼女の演奏は届いただろうか、刺さっただろうか。
そんな気がかりは沢山あるが、とにかくもう終わってしまったのだ。
ふと望月さんの方を見やると、彼女はにひひと笑った。
いつもと違った表情で、にひひと笑った。
「終わったな、善一。楽しかったか?」
「あぁ、楽しかったよ。悔しいけどね」
「そうだろ。だって、私も楽しかった」
そういって、笑っている望月さんの瞳には、涙が溢れていた。
「楽しかったのだ、善一。今までにないくらい、楽しかった。こんな高揚感は私だって知らなかった。私は善一と一緒に舞台に立つことが楽しくてたまらなかったのだ!」
望月さんの声は、打って変わって悲痛なものになっていた。
「私は、もっともっとこんなステージをやりたいと思ってしまった!欲張ってはいけないのは解っている、善一の好意だということも解っているのに……。でもこれで終わりなのは寂しいのだ!」
嗚咽を漏らしながら吐き出した彼女の叫びは、僕の心臓を大きく抉った。
「すごく、楽しくてっ……うっ……終わって欲しくなくて……辛かったのだ……」
僕は考える。彼女のことを、自分のことを。
彼女の見据える未来は、およそ自分が介入していい物ではない。何の才覚も持っていない自分が、彼女が求める輝かしい未来に関わるなど恐れ多いから。
そう思っていたのは、結局のところは言い訳なのかもしれなかった。
なんだかんだで僕は、彼女の横で劣等感を感じ続けるのが怖いだけなのだ。
それほどまでに僕は臆病で、意気地なしなのだ。
だからこんな彼女の悲痛な表情をみても、何も答えられないでいる。
自分の気持ちなんて本当は、解っているくせに。
「ごめん、少し外すよ」
「えっ?」
「おなか空いただろ?何か買ってきてやるよ」
彼女の返事を待たずして、僕は逃げるように足早に屋上を後にした。
僕は校舎を歩きながら考えていた。
今日のことはきっと、僕たち二人の思い出にずっと残ることなのだろう。
衝撃的で、非現実的な四分間のことを少なくとも僕はきっと忘れないだろう。
しかし、この四分間で彼女の身の回りの環境が改善できたわけではない。
あくまでこれは、これから先のことのきっかけでしかないわけだ。
だからこの先もきっと、音楽のことはともかくとして、彼女との付き合いは続いていく。彼女が背負っている負のイメージを、払拭する為に。
だから今日のステージだって、彼女のための物だった。
僕が感じた高揚感なんてのは、ただのおまけみたいなものだ。
「おう、ウォークマン」
僕が校庭で思考をぐるぐるさせながら、彼女と自分の昼食を探していると、後ろからふと声をかけられた。
振り向いた先に立っていたのは、クラスメイトの野球部の男子だった。
「ウォークマンが今日ライブやるなんて知らなかったぜ」
若干にやけながら絡んでくる彼に僕は反射的に構える。
ちなみに、ウォークマンというのは僕がクラスで囁かれている不名誉なあだ名だが、面と向かって言われるのは初めてである。
「特に告知はしてなかったからね。それと、僕の名前は市川だ。その変なあだ名はやめてくれない?」
「ははっ、響きがいいからいいじゃん。それにしても」
彼は僕にずいっと近づく。
反射的に強張る僕の肩を、優しくポンッと叩いた。
「洋楽とかあんま知らねーけど、すげぇよかったぜ」
彼はそう優しく僕に言うと、颯爽と一緒にいた後輩たちを引き連れて屋台へと消えていった。
深呼吸をする。そして僕は、漠然とした気持ちを整理した。
ステージの上から叫んだことが、確かに誰かに伝わっていたことに、僕は今多分、感激している。
これがあるからきっと、アーティストたちは何度も何度も叫ぶように作品を生み出し続けるのだ。
大成功と呼べるステージではなかった、多分。
少なくとも、これから彼女と過ごしていく時間の中で、きっとこれが最高ではないはずだ。
最高の後押しをくれた彼の言葉に、僕は素直に感謝する。
わかっていたはずだ、自分の中に生まれていく熱のことを。
そしてそれは今日この瞬間、もう冷めないところまで来てしまったのだ。
「すみません、二つくださいこれ」
僕は衝動的に目の前にあった屋台でたこ焼きを買い取った。
急いで彼女のもとに帰ろう。きっとお腹も心も空かして待っている。
彼女を救いたいとか、彼女のためだとか、そんな大義名分は既にいらない。
そんなことを僕は、人に言われなければ気づけないほど馬鹿だったみたいだ。
屋上に戻ると、望月さんは体育座りで所在なさそうに空を見ていた。
僕が戻ってきたことに気付くと、晴れた目を隠すようににひひと笑った。
「たこ焼き買って来たんだ。食べるだろ」
「あぁ、すまないな善一。ありがとう」
僕は望月さんにそれを渡すと、隣に座ってふたを開ける。
望月さんは、猫舌なのか髪を耳にかけてふーふーと一生懸命たこ焼きを冷ましている。
「なぁ望月さん」
「むっ?」
「君のためだという大義名分を背負ったつもりになって僕は今日、ステージに立った。そしてその大義名分は、今日という日を実現するためにはきっと必要なことだったんだと思う」
僕がそんなことを切り出すと、彼女はたこ焼きを冷ますのをやめた。
そして黙って僕の話を聞こうとしている。
「でもそうやって君と音楽を続けるのはきっと違うんだろ。だから、それはやっぱり今日で終わりなんだ」
「そうか……。そうだな……私も善一の好意に甘えてしまっていた。すまなかったな……」
望月さんは、悲しそうな顔で微笑んだ。
しかし僕は、そんな彼女の顔を真っ直ぐ見つめた。
「だから今日からは、自分のためにも音楽をやりたいと思う。望月さんと一緒に、音楽がしたいと思っているんだ」
「ぜ、善一?」
「音楽が楽しいと思ったんだ」
そう、結局いつでも答えってのはシンプルだ。
音楽が好きだ、それ以外別に、理由は必要なかった。
それがあれば、劣等感も大義名分もまとめてごみ箱に捨てられる。
「だから、これからもよろしく頼むよ。『あすなろ』としてさ」
「善一……」
「さぁ食べよ。話してたらいい感じに冷めたろ」
僕が照れ隠しに頬張ったたこ焼きは、まだ大変な熱を持っていた。
火傷してしまったことをごまかしながら僕はそれをお茶で流し込む。
胃の中がじんわりと熱くなった。
「ははっ、なんだか格別に美味く感じるぞ善一」
望月さんは、そんなことを言いながら冷ましたたこ焼きを涙を流しながら食べていた。
誰かに何かを伝えたい、叫びたい。
そんな大それた理由があるわけでも何でもないけど多分、きっかけなんてそんなものでいいんだろう。
僕自身の気持ちが、どうしてももっと君と音楽をしたいと叫んでいたのだから、それが理由なのだ。
それでも僕はずっと、君にだけは伝えたいことがあったのを、この時はまだ気づいていなかったのかもしれない。
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