第18話 To Be With You

 随分と大層な開会式を皮切りに文化祭が開催されてから小一時間。

 時刻はもう十時五十五分だった。

 僕たちは、十一時三十分から開始されるライブステージのオープニングアクトを務めることになっている。

 つまり、出演時間まであと一時間はとうに切っていた。

 そろそろ体育館の裏舞台には出演するバンドの面々が集合していて準備を始めている頃なのだろうが、僕たちの出番の時は、日笠先生がスクリーン演出の協力をしてくれることになっているので、朝のうちに準備を済ませておいた。

 それはもちろん、他の生徒とあからさまに顔を合わせられない望月さんに気を使ってのことだ。

 そんな僕たちは、出演までに特にやることはないので、いつもの様に屋上を開放して時間をつぶしていた。

「どうだ、緊張してきたか?」

 にやけ顔を含ませながら隣にいる望月さんが僕に言葉をかける。

 今日のための準備は、綿密に整えてきたつもりだ。そして、イメージトレーニングも何度も重ねている。

 それでも、僕は人生で進んで表舞台に立つことなど初めてなので、無論緊張をしないわけがなかった。

「なんだかんだ、僕も人の子なんだなぁ」

「それは当然のことだろう。かくいう私も、少し緊張しているしな」

「望月さんも?」

「あぁ、久しぶりのステージだからな。高揚感と緊張が半々といったところか」

 彼女はまたにひひと笑ってそういうのだが、僕に関しては正直、半分はそんな前向きな緊張ではなかった。


 スクールカースト下位の二人組のライブを見て、大衆はどう捉えるのだろうか。

 大言壮語を吐いて実現のため動き出したはいい。しかし結局のところ、この学校の生徒の大半はどうせ「作品性を理解しない人種」なのかもしれない。

 そうなれば結局、僕たちのユニットなどは最初から背負っている負のレッテルによってイメージを上塗りされ、僕たちが頑張ったところで何も伝わらず、むしろ笑いの的になるのかもしれない。

 僕は別にそれでもいい。でも彼女は……。

「どうした、善一。少し顔色が優れんな」

「あぁ、いや。大丈夫だよ。少し考え事をしてただけだ」

「ふむ」

 彼女は、少し間をおいて立ち上がると、精一杯に伸びをする。

 そして腰に手を当てながら僕の前に仁王立ちしてこう言った。

「あれこれ考えたところで、転がってきた選択肢を選んだのは私たちなのだ。なればこそ、とにかく後悔だけはしないように頑張るしかもう道はあるまい。そうだろ、善一」

 僕はそんな言葉を聞いて、取り敢えず深呼吸をする。

 そうだ。もう、後に引くという選択肢はどの道ないのだ。

 最悪の方に転がるのならば、その時にまた打開策を考えればいい話だ。

 望月茜という才能人を救い出すために、僕自身が決めたことなのだから。

 僕は自分の両頬を平手でパシッと叩いて立ち上がる。

「その通りだ。後悔しないようにやろう」

「あぁ!」


"体育館にお越しの皆さま、本日は文化祭にお越しいただきありがとうございます。ただいまより、有志、軽音楽部、ジャズ研究会による演奏会を開始いたします。どうかご静聴ください"


 僕たちが待機する体育館のステージの幕の向こうで、実行委員によるアナウンスが流れている。

「いよいよだな、善一」

 望月さんはうきうきとした表情で僕に話しかけるが、返事をする余裕はない。

 心臓は、けたたましい音を立てながら鼓動を繰り返している。手に握る汗だって、いつもの非ではない。

 これほどまでに緊張を覚えるのは、僕にとっては生まれて初めてのことだ。

 この幕が開けば……。この幕が開けば僕たちのステージは始まる。

「善一、やり切るぞ。私と善一ならば、大丈夫だ」

 望月さんがそう言うと同時に、幕の向こう側で再度アナウンスが流れた。


"それでは、開催いたします。まず一組目は、三年三組より有志『あすなろ』のステージです。どうぞ"


 アナウンスが終わると同時に、僕らの目の前の幕がゆっくりと開いた。

 目の前には、等間隔にそろえられた無数のパイプ椅子。

 その中には、見える限りでは空席はなく、ぎっしりと人が座っている。それどころか、席に座らずに立ち見をしている観客までいる始末で、体育館にはおよそ数百人の人間が押し寄せていた。

 そして、その全員がもれなく僕と望月さんだけを見て拍手をしている。


 なるほど、これがステージか。想像していた以上だ。

 想像していた以上にまぶしくて、恐ろしくて、そして緊張している。

 まるでもう数分も立ち尽くしてしまったような錯覚を覚えるくらい、頭を真っ白にしてしまった僕の背中を押すように、望月さんは、カッティングを交えながら、ギターのカウントを開始した。


 僕が歌いだせば、僕たちのステージは始まる。

 このステージが終われば、彼女の心は少しは変わるだろうか。

 彼女に対する好奇の目は変わるだろうか。

 僕たちの関係は変わるだろうか。

 何かがきっと、変わるだろうか。

 一瞬の時間のうちにそんなことを考えていたけれど、カウントが終わって発声を始めたときにはもう、そんなことはどうでもよくなっていた。


 力いっぱいマイクに向かって、渾身の歌声を。

 僕と望月さんの、この二ヶ月弱のありったけを。

 僕にできることは、今はこれくらいだ。彼女のためにしてやれることは、これくらいだ。

 「君と一緒に」

 そんな歌をひっさげて、こんな所で馬鹿みたいに声を張り上げて歌ってやることしか僕には出来ないが、そんなことで少しくらい君が救われるなら。

 僕は何度でも歌ってやろう。

 僕が変わることで君が救われるというなら、僕も変わっていこう。

 そう、君と一緒に――僕も変わっていこう。


 少しばかりざわついていた観衆は、僕たちの歌を静かに聞いている。

 目を閉じて聞き入っている人、僕たちをずっと観ている人、腕を組んで見ている人。

 この人たちがそれぞれ、何を考えているかなんてわからない。

 だけど、僕たちが今ここで演奏している以上、観衆はみな例に漏れず僕たちの音楽を聴いているのだ。

 僕はそんなことを漠然と浮かべながら歌っていると、正体不明の感情がグイグイと心臓を伝ってこみあげてくる気がした。

 それは紛れもなく――高揚感だった。


 僕が最後のワンフレーズを歌い終えると同時に、幕が閉まる方向へ動き出す。

 どうしてこんな気持ちになるのかはわからない。でも僕は閉まっていく幕を見て「名残惜しい」と思ったのだ。

 そう感じるほど、僕たちの一曲というステージの体感は、あっという間だった。

 幕が完全に閉じると、大人数の拍手が向こう側から聞こえた。


 終わった。持てるものを出したつもりだ。

 だからこそ、その拍手の音は、とんでもなく嬉しいものだ。

「望月さ……」

 僕は、たまらず彼女の方を見て名前を呼ぶと、彼女はギターを握りしめたまま泣いていた。

「終わってしまったのだ、善一」

「あぁ、そうだね。やれることは出来たよ」

「うん……」

「さ、次の人たちが出てくるころだ。僕たちは日笠先生の所に行こう」 

「うん……」

 彼女は泣きながら、力なく返事をする。

 彼女が泣いている理由は、僕にはまだわからなかった。

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