第17話 文化祭
―――文化祭当日。いやになる位の朝日が目いっぱいに差し込む中、僕はいつも通り目を覚ました。
特に爽やかではない寝覚めだったので、幸先は悪い気がするが今日は文化祭だ。早めに布団から出る決意をする。
時計の方を見やると、時刻は七時五分。いつも八時十五分の到着を目安に登校する僕にしては、大分早めの起床だが、今日は屋上でのリハーサルを兼ねた練習をする約束をしているので、早めに着替えることにした。
男子高生の朝の準備なんてそんなものなのだが、僕の朝の支度は、着替え、歯磨き、洗顔まで五分で終わる。
その後七時十分。僕は深夜の帰宅後すぐにダウンしたのであろう、ソファで横たわる母を尻目に朝食のトーストを準備する。
朝食をすましてから家を出て、ここから二十分程で学校に到着するとすれば、うん。練習の時間は十二分に取れる……などと考えていた矢先に、リビングの方でインターホンが鳴った。
こんな時間に来客など誰だろうと思わないでもないが、まぁなんだ。もういい加減八割方察しはついてしまっている。
モニターを覗くと、ドアップで画面に映りこむ望月さんの顔が見える。
僕はため息をついて玄関の方に向かうと、勢いよくドアを開けた。
「やぁ、おはよう善一。爽やかな朝だな!」
「あのなぁ……」
ちなみに僕は望月さんを自宅に招いたことはないし、場所を教えた覚えもない。しかし神出鬼没な彼女を責めるのはもう本当に今更な気がして、僕はため息だけついて「ちょっと待ってて」と扉を閉めた。
僕は少しだけ急いで階段を上り、既に支度は済んでいる鞄を手に取る。
そして再びキッチンに入ると、丁度焼きあがったトーストを手に取ってそのままリビングから出る。
僕が少しバタバタしていたので、どうやらリビングの母が目を覚ましてしまったようだが、生憎うちの母は少し寝汚いので多分問題ないだろう。
「おまたせ」
玄関のドアを再び開けると、望月さんは門の前にしゃがみ込んでいた。
背負った大きなギターだけが門からはみ出て見える。
「おぉ善一。思ってるより早かったな」
「何してんのそんなところで」
「あぁ、こいつと仲良くなってな。こいつは善一の飼い猫か?」
望月さんは、両手で黒猫を拾い上げてこちらにみせる。
うちは母が猫アレルギーなので飼えないため、無論うちの猫ではないのだが……。
「今朝も来てたのかこいつ。僕がこっそり餌付けしてたらたまに遊びに来るようになっちゃったんだ」
「ほぉ?善一も猫が好きか。中々可愛い所もあるではないか。ん?」
望月さんがやたらとねちこいにやけ顔で僕の顔を除くので「別にいいだろそれくらい。早くいこう」と、僕はそれを払いのけるように吐き捨てた。
今日は文化祭初日、土曜日の開催なのでいつもより通学路を通る車や自転車は少ない。
流石に生徒たちもここまで早く登校するものはほとんどいないようで、道中見かけるのは朝一で今日の舞台練習があるのだろう、金管楽器などを抱えた吹奏楽部の面々ばかりである。
「本当に君は極端な人間だな」
僕は望月さんに呆れたように言った。
前にも言ったが、彼女は本当に時間通りに来るということを知らない。結構遅れてくるか、めちゃくちゃ早く来るかのどちらかなのだ。
「まぁそういうなよ。楽しみなことがある日は早起きするのが性分なのだ!家にいても退屈だしな!」
「僕はシンプルに迷惑だよ。まぁ、今日に限っては練習時間を多くとれるから逆にプラスかもしれないけどね」
「ふふ、でも私は少しでも長く善一と過ごせるのは嬉しいぞ!」
本当に彼女は、なんの計算もなく言っているのだろうか。
僕でなければ、簡単に勘違いしてしまいかねないセリフを彼女はたまに口にする。
「そいつはどうも。しかし、生徒の前でライブなんてやっぱり、全く実感わかないなぁ」
「私とて、大勢の前でライブするのは久しぶりだからな。結構緊張しているぞ、こう見えて!」
「あれ?望月さんはライブ経験はあるのかい?大勢の前で」
「あぁ、中三の時に、ジュニアハイスクールギタリストコンテストで、六百人の前で演奏する機会が一度だけあったな。結果は二位だった」
また一つ、彼女の意外な経歴を知る。
まぁしかし当然なのかもなぁ。吉川さんだって、彼女のギターの腕前は超高校生級だと言っていたし、それぐらいの実績位持っていて当然なのかもしれない。
当然だからこそ、彼女は今まで何も言わなかったのだろう。
学校についても、校門こそ開放していたが、人の気配はまだまだ少なかった。
生徒会が気合を入れて作ったのだろう、安いテーマパーク程度には見事に作られた校門付近のデコレーションや、昨日放課後に運動部が文化祭用に誂えた校庭の屋台の数々と相反して静まり返っている様子は、それこそ潰れかけの安いテーマパークの様で少しだけおかしかった。
そんなことを口に出そうものなら、望月さんから説教の一言が飛んできそうなのでそれは心にしまっておくが。
そんな望月さんは、辺りをきょろきょろ見渡しては目をキラキラさせている。
「善一!校庭にもいろんな屋台が並ぶのだな!楽しそうだなっ!」
「はいはい、始まったら連れて行ってあげるから」
「あ……う、うむ」
そう。はしゃいではいるものの、彼女は多分屋台やクラスの催しに参加することは出来ないのだろう。
事実、彼女は僕たちのクラスが何をやるのかは知らなかった。
ちなみにうちのクラスは作品展示だ。三年のクラスのほとんどが、受験勉強に集中したいという大義名分のもとに、店舗やイベントを殆ど一、二年生に投げて文化祭を満喫しようというのは、ほぼ毎年恒例のことである。
そして今年もそれは例に漏れなかった。
だから僕たちは、面倒な店番や受付などの役割から解放されて、ライブの練習に時間を割くことが出来たのである。
とは言え、今日のライブはそんな彼女の殻を破るための第一歩だ。
あわよくば、僕は先程の発言も現実にしてやりたいと思っている。
彼女が普通の女子高生として生活するには、文化祭だって当たり前に楽しむことが、それまた当たり前なのだ。
屋上に上がるころには、流石にちらほらと登校してくる生徒が増え始めていた。
僕達より先に登校していたのであろう吹奏楽部は既に練習を始めているようで、音楽室の方からかすかに演奏の音が聞こえる。
「さて、僕たちも始めるか」
僕がそういうと、望月さんは小さく頷いて、ギターを構える。
アコースティックギターの綺麗なサウンドが屋上に響く。
それに乗せて僕は、今日への気合を乗せるように、腹の底からの声を精一杯に吐き出した。
自分でも驚くほど、今日の僕の声はノっていた。
手ごたえは充分、これなら何の心配もなく彼女との舞台に臨める。
「見事だな、善一。私も少し聴き惚れてしまったぞ」
望月さんは驚きを交えたように微笑んだ。
「せっかくのステージだ。精一杯やり切ろうな善一」
彼女は、力いっぱいにまたにひひ、と笑った。
『To Be With You《君と一緒に》』
そんな歌をひっさげて、今日僕は君と一緒にステージに上がる。
他でもない君のためになら、多分僕は全力で歌えるだろう。
ステージの上で僕は、精一杯に君の才能を肯定する。
これでその準備は万端だ。
そんな気持ちを込めて、僕は静かに拳を握ったのだった。
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