第16話 だからこそ

 その翌日、僕たちは出来上がった動画をスクリーンに映しながら演奏するイメージを掴むためにスタジオ練習をしようと、再びスタジオに来ていた。

 練習内容はそこそこの仕上がりで、後は細かいところを詰めていくだけとなってきている。

「本番が楽しみだな善一!」

 満面の笑みで土日の文化祭への期待に胸を躍らせる望月さんを見て、僕も少しだけ胸をなでおろす。

 どうやら足を引っ張ってしまうことは避けられそうだ。

 それでも自分から口を切った手前、中途半端な仕上がりは許されないと思っている僕にとっては、本番に対しては不安しかない。


 しかし、これほどまでに文化祭を楽しみにしている彼女ではあるが、やはり校内では疎外されている存在であるため、下級生の出し物ならまだしも、同級生の出し物に関しては殆ど楽しむ余地はないだろう。

 それを考えると、僕にとっては目的そのものである彼女の文化祭の先にある授業復帰に関してはまだまだ悩みの種は尽きない。

「望月さん、今日の授業はどうだった?」

 今日も三限目が日笠先生の授業だったので、一コマだけ教室で授業を受けている。

 僕が望月さん宅へお邪魔したあの日以来、既に五回ほどはリハビリを頑張って行っているのだが、僕は気を使ってその日の授業のことを話題にすることはしなかった。

 なので僕がそれを尋ねると、望月さんは少し固まって間が開いたようだった。

「ん……。まぁやはりまだまだ慣れそうにないな……。しかし、クラスのみんなも私が現国だけ受けに来ることは察してくれ始めたようでな。好奇の目は少しだけ減ったように見えたから、今日はいつもより楽だった。ほんの少しだがな」

「へぇ。いい傾向じゃないか。少しずつ、元に戻れるといいね」

「うむ。善一、まだまだ迷惑をかけるな」

「いや、僕はほとんど何もしてないよ」

「そんなことはない。善一がこうして御前立てをしてくれなかったら、私はきっと流れに任せてもう一年高校に通う選択をしていただろうからな。善一とともに卒業できるように、私も少しずつ変わっていくぞ」

 そういって望月さんは恥ずかしそうにまたにひひ、と笑う。

 そうは言うがやはり彼女の授業への出席は、はたから見るとまだまだ強烈なストレスがあるようだ。

 保健室の先生からこっそり聞いたところによると、授業から戻ってから嘔吐することも二、三度あったようだ。

 彼女の抱えている問題はやはり、時間をかけて解決するしかないようだ。


 最初の頃は、学校に登校してくることすらもかなりのストレスがあったらしい。

 それでも彼女が懸命に学校には必ず登校してくる理由は、やはりお婆さんに心配をかけないためなのだろう。

 少しずつ確実に、彼女がまともな高校生に戻ることが出来れば、きっとこんな性格ならば友人だって出来るはずだし、お婆さんが夕飯をご馳走するのも僕のようなもっさりした文学少年ではなく、まともな女子生徒にすり替わるはずなのだ。


「善一、そろそろ帰ろうか」

 僕が少し考え込んでいると、望月さんは既に帰り支度を済ませていた。

 僕は相槌を返して慌てて支度をする。

「じゃあ吉川、また来るぞ!」

「あ!お疲れ様でーす!」

 スタジオブースの中で清掃作業をする吉川さんに挨拶を済ませると、僕たちはスタジオを出て帰路についた。


「少しコンビニによってもいいか?お婆ちゃんが牛乳がないと言っていたのだ」

 望月さんがそういうので、帰り道にあるコンビニに自転車を止めた。

 僕は特に用事もないので「外で待っとくよ」と言って、店の前にあるスロープの手すりに腰を預けた。


 この時間になると、少しずつコンビニにたむろして話をしている客が増えだすようで、灰皿の前は少し不良あがりのような風貌をした青年の三人組が陣取っている。

 特にそちらの方は気にせず僕はぼやっと考え事をしていた。

 少し前の僕ならば、「外で待っとくよ」なんて言わず「じゃあ先に帰ってるよ」と言っていたのかもな。

 そう思えば僕は彼女にすっかり毒されてしまったのかもしれない。

 まぁそもそも言えば、あの時同級生の男子が階段の踊り場で話していたことに激昂したことだって、今までの僕にとってはありえないことなのだが。

 他人に対して関心などない僕が、生れてはじめて他人に激昂し、しかもその理由は僕に限ってはありえないはずの他人のことだった。

 全く、僕も彼女に出会ってからいやに感情的になったものだ。

 いや、毒されたのではない。僕は多分彼女と過ごすことで、冷め切った家庭環境の中で失くした人間臭さを取り戻しつつあるのだろう。

 正直なところ、昨日の彼女の質問に「NO」と答えることも出来なかったのは、新しく顔を出している僕が持ってきた甘さだった。

 もう少し、彼女と一緒にいるのも悪くない。

 僕は潜在意識の中で、そんな気持ちを抱いていることをその時に気付いてしまった。


「おまたせ善一」

 袋を二つ片手に下げた望月さんが、考え事をしている僕の前に現れる。

「これ、善一の分だぞ」

 彼女はそういうと、片方の袋に入った肉まんを一つ僕にくれた。

「ありがとう」

「うむ、日頃の感謝の気持ちだ」

 望月さんは、にひひと笑ってから自分の分の肉まんを頬張る。

「夏前で風情はないが、肉まんはいつでも美味いな!」

 多大なストレスと問題を抱えながらも、なんだって彼女はこんなにもいつでも全力で幸せそうなのだろうか。

 そんな彼女を横目で見ながら僕も肉まんに口をつけた。


 僕らが肉まんを食べている横で、灰皿の前を陣取っていた青年集団が、会話に一段落が付いたのか解散していった。

 僕は特に気にも留めずに自転車のカギを用意していると、望月さんは彼らがいたところに放置してある紙パックのジュースのごみを肉まんが入っていた方の袋に集め始めた。

 それを店の前に設置してあるゴミ箱に捨てると、テコテコと小走りでこちらにやってくる。

「さぁ、帰ろうか」

「えらいね、僕は普通に無視してしまったけど」

「なに、別に大したことではない」

「マナーを守らない人間の尻拭いをするのが、マナーを守れる人間だってことが馬鹿らしく思ってしまうのが普通だよ。だから大したものだと思うよ実際」

「んー、しかしな善一。ゴミが捨てられなくとも、悪いやつとは限らん。服装からして職人のようだが、凄く良い仕事をするのかも。実は子煩悩で、浮気もしない愛妻家かもしれん。印象は本質を測る材料ではあるが、本質そのものではないからな。私もその場にいたのだし、気づいたなら捨ててやればいいだろう。流石に私も、路上のゴミまでは拾わん」


 彼女はこの世界をクズだといった。

 その割には彼女は度がすぎるほど前向きだ。

 それはきっと、根底にある揺るぎないこの世界への思いがとんでもなく後ろ向きだからこそ、このクズな世界で起きる沢山のことを前向きに捉えられるのかもしれない。

「まぁ、そうは言うが私も腹が立つときは腹が立つぞ!当り前だが人間だからな。でも、良いことをするのは自分にとっても健康的なことなのだ」

 望月さんは、またにひひと笑った。


 そんな純真無垢、天真爛漫な彼女の高校生活を取り戻すべく、僕が提案した文化祭という舞台は、いよいよ当日を迎えることになる。

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