第14話 彼女の部屋と、テレキャスター

 僕の自宅よりも少しばかり学校寄りに位置する住宅街に望月さんの家はあった。

 築何十年なのかわからないような如何にもという感じの木造一戸建てで、勿論二階は存在しない。

 インターホンは昔ながらの音符マークがついているだけの小さく簡素なもので、恐らく受話器はついていないのだろう、スピーカーも存在しない。

 昔ながらの日本建築独特のアルミ製の引き戸で、その木枠の隅に五寸釘が打ってあり手作りの表札が吊るされている。


 インターホンを鳴らすと、高齢の女性の声で「はぁい」と聞こえて来た。

 やはり受話器はないらしい。

 暫くして、引き戸を開けて出てきたのは、風貌からして望月さんのお婆さんのようだった。

「あら、こんにちわ」

「すみません、茜さんの友人で、市川と言いますが」

「あぁ、善一君ね。これ、茜ちゃん!善一君来たよ!」

 お婆さんが呼ぶと、奥の方から望月さんの声が返ってくる。

「あぁ!すぐにでる!」

 望月さんはどうやらお婆さんにも僕のことを普段から話している様子だった。


 お婆さんはすごく優しそうで、身長は望月さんと同様低めだ。

 お婆さんが「中に入りなさい、雨に降られるからね」というので、僕はお言葉に甘えて玄関の中に入れてもらうことにする。

 暫くすると、どたどたとやかましい足音を立てながら望月さんが僕を出迎えてくれた。

「おお、善一。よく来たな!さぁ、私の部屋はこっちだ。遠慮せず上がるといいぞ!」

 そういいながら急かす望月さんをよそに、僕はマイペースにスニーカーを脱いでから靴をそろえて「お邪魔します」と一言言って上がる。

「すまんな、善一に見せるライブDVDを厳選していたのだ。あ、お婆ちゃん!善一にお茶を入れてやってくれ!」

「あぁい、今用意してるよ」

「あ、いえほんとお構いなく」

 まぁ大体察しはついていたのだが、彼女は自宅でもやはりその話し方なのか。


 しかし、友人の家に遊びに来る、ということは小学生以来である。

 小学生のころから友人は少なかったが、しかしまだ人並み程度には交友関係もあった。

 それに磨きがかかったのは高学年に上がってからなので、それからは友人の家で遊ぶなんてことは一切なくなってしまったが。


 望月さんの家は、うちの祖母の家と似たような雰囲気で、線香の独特な匂いがして少し心地が良い。

 望月さんについていくと、線香の匂いがする方の一部屋だけふすまが開いている。

 何の気なしに見るとどうやらお仏壇がこの部屋にあるようだ。

 開いたお仏壇の脇には、写真が立て掛けられている。

 それは本当に一瞬だったが、僕がすべてを理解するには十分だった。


 仏壇には写真が二枚立て掛けられていた。

 一枚は男性で、もう一枚は女性だった。

 一度聞いた望月さんの話では、父親は幼いころに亡くなったといううニュアンスだった。だから男性の方は、恐らく父親なのだろう。

 もう片方の女性は、よく見えなかったがそれでも、望月さんに似ていたことは解った。

 恐らくあれは……母親なのだろう。

 そうだとすれば、望月さんは両親を失っていることになる。

 ならば、望月さんにとっての肉親は、お婆さんただ一人ということになるのだろうか。

 そんな彼女の家庭環境を察してしまい、少しだけ心が重くなった。


「さあ、適当に腰を落ち着けてくれ」

 望月さんの部屋はある意味想像通り、女子の部屋とは思えないような部屋だ。

 家の構造上仕方ないが、そもそも和室というところから始まり、座卓とテレビが置いてあるほか、勉強机とその脇にはエレキギターと小さなギターアンプが置いてある。

 後はエレキギターの近くにいつものアコースティックギターがケースに入ったままおいてあるのと、黒色のアタッシュケースのようなものが置いてあるくらいで極めつけは、机の宮の上にはかわいい人形などを置いてあるはずもなく、代わりに壁掛けとして何故か脇差が置いてある。

 本当にサムライガールというキャッチフレーズが死ぬほど似合う彼女の「異性を部屋に入れるのは初めてで、緊張するな!」と言う発言だけは辛うじて普通の女子高生だった。

「望月さん、突っ込みたいところは沢山あるのだけれど、とにかくあの脇差はなんなんだろうか」

「あぁあれか。私は刀剣趣味が合ってな、中でも五郎入道正宗の脇差が本当に好みでレプリカを購入したのだ」

「そういうことじゃないんだけど……まぁいいや」

 彼女はきょとんとして「む、そうか?」というといそいそとDVDの準備を始める。

 まぁ、彼女らしいというかなんというか……。

 僕はその辺に適当に腰を落ち着ける。ふと彼女の方を見やると、DVDを四つん這いで準備していて、目のやり場に困ったので慌てて目をそらした。

 前から思っていたが、彼女は異性交友などに対して疎いのか何なのか、所々で無防備すぎる。

 件の男子生徒のような悪い虫が寄ってくることも往々にしてあるのかとも思えば、やはり少し心配をしてしまう。


 視線の先は机の脇にあるエレキギターの方に向いた。

 普段彼女が使っているアコースティックギターとは違い、少し機械的なフォルムをしている。

 一口に言えば、アコースティックギターよりも何だか格好よく見えた。

 男子が機械的なデザインや無骨なフォルムに少しばかり高揚感を覚えるのは、僕としても例外ではない。

「ねぇ望月さん」

「む、どうした」

「あの赤色のギター、格好いいな」

 僕は素直に、普段はない好奇心があった。

「おぉ、そうだろう!いやー、やはりわかる男だな善一は!このギターはテレキャスターと言ってなぁ、それはもうデザインもさることながら素晴らしい音が鳴るのだ!」

 解っていたことだが、話を振られた望月さんはまさに水を得た魚の様に饒舌に話し始めた。

 僕は何だか面白く思いながらも、いつもの様に遮らずに話を聞く。

「それにこれはHISTORYと呼ばれる日本が海外向けに出すメーカーでな、値は張るが、どうしても欲しくて短期のバイトをして去年買ったのだ!」

「へぇ、いくらするの?」

「二十万だ!」

「にじゅっ……」

 学生がおいそれと出せる金額ではない。

 少なくとも僕の財政管理では絶対に手の届かない金額だ。

「流石に手が届かないと思ったが、店主の好意で十五万に値引きしてもらった!だからお年玉とバイト代を合わせて買えたのだ」

 驚きで言葉に詰まってしまったが、考えれば楽器は高いというしなぁ。

 そういえばテレビで御茶ノ水の楽器店特集なんかを見てると本当に目が飛び出るような金額を言っていたりするし、十五万や二十万というのは、もしかしたらこの業界では「出して当たり前」というラインなのかもしれない。

「しかしこれ、買ったは良いのだが私の持っている機材たちとの相性がいまいちでなぁ。しばらくそのまま使っていたが、今は改造してある」

「か、改造?」

「うむ、ほらここ。ピックアップをシングルコイルからハムバッカーに変えたのだ」

 彼女はボディの真ん中、弦が通る丁度真下を陣取る大きな部品の所を指す。

 どうやらこれがピックアップというらしいが、改造したようにはとても見えない。というより、原形が解らないので判別しようもないが。

 そう思っていると、望月さんは元のテレキャスターの写真を見せてくれた。

 成程、その金具が少し大きいものに変更されているというわけか……んー、わからない。

「このピックアップというところで弦の振動を拾ってアンプに音を通す作りなのだ。だからこのピックアップは音を決める重要な要素なのだが、シングルコイルとハムバッカーにはそれぞれ特性があってだな……」

「望月さん、DVDメニュー画面でずっと止まってるけど」

「あ、いかんそうだった」

 そろそろキリがなくなっていきそうなので話題を切り上げる。

 すると、間を計ったようにお婆さんがお茶とお菓子をもって部屋に来てくれた。

「あぁ、お婆ちゃん!呼んでくれたら私が取りに言ったというのに!」

「そんなこと言って、茜ちゃんはそそっかしいからねぇ。善一くんたい焼きはお口に合うかい?餡子だけど」

「えぇ、大好物です。ありがとう御座います」

「もう、お婆ちゃん。そんなに働いては腰が良くならないのだ。洗濯物も善一が帰ったら私がやるから、休んでいるんだぞ!」

 お婆さんに対する望月さんは、言葉は強くとも物腰は柔らかい。

 二人のやり取りは少し心が温まるものがあった。


 しかしぶり返すようだが、二十万か。フォルムに魅せられるという動機とはいえ、僕も少しだけギターに興味が沸いてしまったが、さすがに財布のことを気にすると手を出すのは気が引ける。

 僕は早々にそんな雑念を頭の隅に押しやって、素直に今日ここに来た目的に思考をシフトすることにした。


「いろいろ悩んだが、やはり『Rythem Hack』のDVDが一番わかりやすいと思ってな」

 Rythem Hack。十代の中で集中的なムーブメントを巻き起こすロックバンドだ。

 彼女自身も好きなバンドとしてよく話題に上げ、ライブにも好んで通っているらしい。

 デビュー時のダンスロック系の曲調から最近は聞きやすいギターロック系に寄せられて、僕は進められたCDの中でも一番新しいCDを好んで聞いた。

「まぁ特筆して真似る部分があるわけではないが、一番ライブバンドらしいライブをしていると思ってな。これはデビューしてすぐに出した初期のライブDVDだから、善一が好きな曲は少ないかもしれんが」

 望月さんはそんな僕を気遣ってか注釈をいれる。

 そうはいっても特に初期の曲が聞けない、ということもないので、僕は黙って頷くと、先程出されたたい焼きに手を付けることにした。

 駅前の有名店のものだ。やはりおいしい。


 暫く僕たちは無言でライブ映像を見ていた。

 やはり映像が加わると、臨場感が増していつもとは違う気持ちで楽曲を聞くことができる。

 彼らのライブは、非常に盛り上がるものだった。

 会場に来ている人間は恐らく数千人。その全員が彼らを求めて、彼らはその全員を求めて音楽をしている。

 瞬間、瞬間で伝えたいことをステージの上で叫びながら、彼らはオーディエンスの求める以上の楽曲とパフォーマンスを渡して帰ろうと、全力を尽くしていることが映像越しでもわかる。

 ライブが終盤に差し掛かると、ボーカルがMCで感極まって涙をこぼしながら話していた。

 僕は思わず、率直に感じたことをこぼしてしまう。

「初期のライブだからこそ、この情熱感があるんだろうけどさ。洗練されていくにつれて尖りが取れて、衝動感がなくなっていくのも寂しいよな」


 それは芸術における僕の素直な観点だった。

 粗削りでも良い物を持っている才能人は、洗練されていくうちに大器と化していく。

 その道中で、クオリティの追及と共に尖りが取れて作品性を高めていく。

 そしてその洗練は、必ずしもいい方向へ向くとは限らない。

 彼らの場合は、僕の様に洗練された後の方が聞きやすいというニーズもあるため、方向性としてはきっと間違ってはいないのだろう。

 しかし僕はこのライブを初めてみて、最近の楽曲にはない熱量があって「これはこれでいい」と素直に思ったのだ。

 やはりそれが成長とともになくなっていくというのは、仕方ないが悲しいことだと思った。

 そんな僕の言葉に、彼女は珍しく頷くだけで、何も言わずに映像を見ていた。


 ライブ映像を見終わると、自分たちの行う文化祭でのライブに対しての構想を討論した。

 望月さんの言う通り、ライブ映像でのパフォーマンスなどは殆ど参考にならなかったが、確かにライブがどういうものかということは漠然とイメージがついてきた。

 一曲だけの演奏であるため、自分たちのライブに少しでも目を引くアイデアがあるかどうかということを話し合ったが、特にいい案は出ず、お互いにしばらく考えてくるということで今日は解散することになった。


「長居してすみません。お邪魔しました」

 僕はお婆さんが見送りに来てくれたので、挨拶をする。

「いえいえ。また遊びに来なさいね。今度は晩御飯も食べていきなさい」

「えぇ、是非」

 お婆さんが優しくにっこり笑うので、僕も普段はしない愛想のいい笑顔で返した。


 家を出ると、望月さんが見送りのため家の外まで出てくる。

「善一、あんな笑顔が出来るとは。私は吹き出してしまったぞ」

 彼女はにやにやしながら僕に言う。

「望月さんこそ、お婆さんの前ではあんな感じなんだね。ちょっと和んだよ」

「な、普段と変わりないだろう!」

「ま、とにかくお婆さんの手伝いもあるだろうし、ここでいいよ。ありがとう」

「うむ、また明日な。善一」

「うん、また明日」

 僕は挨拶が済むと自転車に乗ってその場から離れる。

 角を曲がるまで望月さんは僕の後姿を見送っていた。


 帰り道。

 彼女とのやり取りを思い出す。

 そういえば望月さんは、僕と二人でいる最中、今日の授業のことには全く触れなかった。

 僕の方から切り出すことは気を使ってしなかったが、正直なところどうだったのだろうか?

 彼女のことだから、自宅でのDVD鑑賞のことに気を取られて午前中のことはすっかり忘れていた可能性もある。

 しかしまぁそれにしたって、彼女のあの緊張の仕方は、簡単な事案ではなかったはずだ。


 彼女は普通の女子生徒に戻れるだろうか。

 正直これは、僕が一時期に日笠先生から心配されていたような事案で、彼女自身からすれば余計なお世話かもしれない。

 彼女としては、最悪このまま特別課題を受け続けて留年することになっても、あと一年間同じように課題を受け続ければ一年遅れでも卒業はできる。

 それに、来年も学校に行くとして、一学年下の生徒なら疎外されることもなく授業を受けることができるかもしれない。

 ならば僕が彼女にしているこの条件も、本当に彼女が無理だというのであれば早々に諦めるべきか……。

 そう悩んでいると、ポケットに入れていた携帯電話が振動する。

 画面を見ると、望月さんからのメールだった。

『善一。今日のことは非常に感謝している。そして、あからさまに午前中の話題を避けてしまってすまなかった。あの空気は想像していたよりも強烈で、私自身少し面食らってしまった。日笠先生ともあの後相談したが、当初想像していたよりもかなり時間がかかりそうだ。それでも私は、少しずつでもあの空気と戦っていけるよう努力しようと思う。しばらく迷惑をかけると思うが、よろしくお願いします。今日の放課後はとても楽しかった。おばあちゃんが是非晩御飯をご馳走すると聞かないので、また遊びに来てくれ。』

 僕は自転車を止める。

 控えめの雨が遅いテンポで少しずつ濡らしていく画面をしばらく見つめていた。

 当然だ、葛藤がないわけがない。

 簡単に考えていたわけじゃないが、それでも甘かった。

 彼女の深刻な問題に、僕は割って入ろうとしているのだ。

 彼女が無理ならやめたほうが、なんてそんな責任感のないことを言ってはいけない。

 僕は携帯をポケットにしまうと、両頬を二回たたいて「よしっ」と呟く。

 ―――善一という才能人を私が見つけ出したい。

 彼女はそういった。

 ならば僕が、望月茜という才能人を救い出す。

 そう心に決めて僕はもう一度自転車を漕ぎだした。

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