第12話 才能人の隣へ
「さて、ユニット名も決まったところで」
望月さんはギターを片付けながら上機嫌に再び切り出した。
「明日は私の家で勉強会をするとしようか!」
彼女が切り出す内容はいつも唐突だ。
「望月さんの家で勉強会をしなくちゃいけないほど、僕の成績は危ぶまれてないのだけれど?」
「そういうことではない。ライブの勉強をしようというのだ」
まぁそりゃあそうだろう。僕ら二人とも、スクールカースト自体低いものの、学内の成績に関しては割と上位だ。
今更二人並んで勉強会など開いたところで、二人が各々の勉強を黙々と進めていくだけだ。いや、望月さんとの場合、或いは勉強にすらならない可能性もあるが。
「善一、当然ライブを見に行ったことはないと思うが……映像を見たこともないだろ?」
「そうだな。音楽番組で流し見したくらいかな」
「そうだろ。まぁ、正直校内とライブハウスでは全く空気も違うし、そもそも人のライブ映像など元から参考には殆どならんが……まぁライブがどういうものか知っておくのは大事だろう」
毎度のことながら、望月さんの冷めた分析力は恐れ入る。
これだけ情熱的なのであれば、他人のライブ映像から受けたインスピレーションを片っ端から自分のステージに投影していくのがキャラクター性として定石なはずなのだが、望月さんはこういうところで唐突に冷静になる。
ぼくは、こういった部分に彼女の底の知れなさを感じる。
「まぁともかく、明日はライブDVDでも見てライブへの理解を深めようではないか!うちにはたくさんDVDがあるからな!」
彼女の勝手な提案が強引に可決されてから、僕たちは遅くならないうちに、と帰宅することにした。
「ただいま」
玄関を開けると、廊下の電気はついておらず家の中は真っ暗だった。
電気をつけると、鞄を下して靴を脱ぐ。
僕の家は何処にでもあるような建売系の一戸建てで、親の話によれば借家らしい。
両親は共働きで、父は管理職なので家を購入する位の余裕は本来ならばあるはずなのだが、そうしない理由を僕はとっくに察している。
リビングに行くと、相関わらずきちんと整理整頓されている食卓やキッチンの上は汚れひとつない。
使う人間が滅多にいないのだから当然だ。
『夜ご飯出前とってね』
達筆な母の字で添えられたその書置きの上には、二千円が置いてある。
僕はそのお金を財布の中にしまうと、戸棚の中にしまってあるカップ焼きそばを取り出した。
僕の夕食はいつもこの調子だ。
昼間に関しては、夜中に母が帰宅するのでその際に稀に弁当を作ってくれるけれど、大概同じ調子でお金を置いてある。
こういったお金は暗黙のルール上自由に使っていいことになっているので、僕はこのお金を節約しながら自分のお小遣いをためて、自分のための本を購入しているのだ。
そのため別段、アルバイトをしなくても月の財政状況のやりくりは特に問題なく行えているのである。
こんな生活をもう既に中学生の頃から五年近く続けていて、むしろ、遊びに行ったりしない分お金は着実に溜まっていく一方だ。
僕の家庭環境は冷め切っている。
両親が共働きな理由は、お互いの財政管理はお互いで行っているからだ。
両親の間にはとっくの昔に愛はなく、僕が成人するまでは体裁上関係を続けるという約束を、お互いで結んだからだ。
それを僕にあっけらかんと話すくらい、父は家庭のことなどどうでもいいと思っている。
それは僕に対する愛情が全くないということではないのだろうが、それにしても普通の関係のそれよりは僕が受け取った愛情は少ない。
正直なところ、僕が成人するまでは体裁上、というのも僕のことを考えたことなんかではなく、自分が生活外の責任というリスクを負うのが面倒なだけなのだろう。
それに気付いたとき、僕の性格はきっと父から由来しているものだと確信した。
それに加えて父は地方の管理を兼任しているようで、週末関係なくあちこちを飛び回っているので家に帰ってくることは月に二、三度ほどだ。
そのため家族三人がこの家に揃うことなど滅多にないし、僕が両親どちらかと顔を合わせることも少ない。
まぁ、比較的母とは顔を合わせるというくらいか。
そんな生活を当り前のように繰り返していくうちに、僕のこのくだらない冷め切った性格は形成されていったのだと思う。
家族との触れ合いですらほとんど経験してこなかった僕にとっては、他人と触れ合うことの喜びなど、知る由もないということは当然なのだ。
僕は簡単な夕食をすますと、ジャージに着替えてCDプレイヤーをポケットに入れる。
流石に少し邪魔な大きさだがジャージならば入らないことはない。
イヤホンを耳に付けると、靴を履いて玄関を出る。小ぶりな雨の中、僕はランニングを開始した。
これは望月さんと文化祭に出ると決めてから、毎日続けている。
ボーカリストの知識なんてない僕が、とにかく一番最初に始めたのはこれだった。
運動不足の僕は、一曲を歌いきることすら満足にできない。
正しいかどうかは置いといて、どう考えたってスタミナは必然だったからだ。
彼女が何をもって、何を思って僕を選んだのかは、理由を聞いたって納得はできなかったけれど……。
それでも、石のように何に対しても関心のなかった僕の心は、彼女の言葉によって確かに動いた。
それは今はまだ僅かなものかもしれない。だとしても僕は、彼女が確かに僕を求めて、僕はそれに答えたのならば絶対に責任は果たさなくてはいけない。
そう思えるほどには、彼女に対して特別な何かを持っていた。
それは友人としてなのか、相方としてなのか、それとも。
いや、正体不明のこの感情にはきっと、答え合わせはいらないのかもしれない。少なくとも今は。
家の近所にある大きな池の周りを、既に二周ほどした所で、僕は少しだけペースを落とす。
一周一.五キロほどあるこの池を最初は一周だってこのペースでできなかったが、継続は力なりとはよく言ったものである。
こういった地道な努力は成果が見えにくいが、やはりこうして自分の成長を感じれるのは自信につながる。
ここからは、発声練習の応用だ。
軽く走りながら短く息を切り、息の塊を腹から前に断続的に出す。
そして息を吸うときは、胸式呼吸ではなく腹式呼吸で、おなかに息をためるイメージ。
これを繰り返しながら、もう一周するのだが、これはいまだに二周するよりキツイ。
こういった地道な練習を毎日重ねて、一日でも早く彼女と肩を並べられるように。
そんなことを考えていると僕は漠然と思った。
―――僕と一緒に文化祭に出るんだ。
文化祭か。僕はあの時、文化祭に一緒に出るためにボーカリストを引き受けるという意味で言った。
彼女はどう受け取ったかはわからないが、話がたまにかみ合わないことを考えれば、彼女は多分その先も僕とユニット活動をしていきたいと思っているのだろう。
僕はどうしたいのだろうか。
才能人ではないから、などと言いながらも、僕は彼女と肩を並べたい、などと思っている。
こんなどっち付かずの気持ちでいるから、彼女の勘違いに気付きながらも強く否定しないでいるのかもしれない。
僕はそんな気持ちを振り切るようにランニングを続けた。
とにかく今確かなのは、友人である彼女が不当な評価を受けている現状を何とかすべきだということだ。
そのためには、彼女を表舞台に引きずり出さなくてはならない。
この気持ちだけはきっとブレることはない。少なくとも文化祭の日までは。
僕は雑念を振り払うように走るペースを上げる。
耳元では、彼女の好きな邦楽が大音量で流れていた。
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