第10話 凡人として
中に入ると相変わらず用途のわからない機材が壁際に沿っておいてある。
ギターアンプやスピーカーの向きはすべてが中央に向かって円を描くように設置されているようで、全員が向かい合って練習ができるような配置になっている。
「さて、練習を始めるとするか!」
普段から前向き、ハイテンションな望月さんではあるが、今日はいつにも増して上機嫌なようだ。
そんな彼女を尻目に、僕はキーボードの下にしまってある椅子を取り出して腰かけた。
「望月さん、上機嫌なのはいいんだけれど僕は何をすればいいんだろう」
「おぉ、そうだな。ではマイクの設置を今日は私が教えてやろう」
彼女はギターをスタンドに立て掛けると、マイクスタンドから一本マイクを取り外して僕に渡した。
「こっちに来てみろ善一」
彼女が誘導した部屋の隅には、何やらスイッチやツマミやフェーダーが沢山ついている仰々しい機械が置いてある。
「これはミキサーと言ってな。まぁ名前くらい知ってるだろ」
「用途は知らないよ」
「うむ。マイクのボリュームはこれで決めるんだが……えっとここがマスターで……」
彼女は専門用語を時折織り交ぜながら僕に優しく解説してくれる。しかしなんだ、半分くらいは解らない。まぁいいだろう、多分使わなければいけないならそのうち慣れる。
「で、音量チェックをしながら調整するので、声を出しててくれ」
「ん。アー、アー」
「あ、違う善一。チェックの時は声を短く切って、大きめに出すのがいい。こんな感じでな。……ハッ、ハッ。ほら、やってみろ」
「ハッ、ハッ」
「破裂音のニュアンスで出して調整するとハウリングする周波数が解り易いからな」
ふむ、ちっとも解らないが望月さんは何だか嬉しそうにしているし、良しとするか。
マイクのボリューム調整が済むと、彼女は自分のギターのケーブルを銀色のギターアンプに差し込んだ。
まぁ正直どうでもいいと言えばどうでもいいのだが、一応気になったので聞いてみる。
「そっちの黒いのと、その銀色のアンプは何が違うの?」
望月さんは、僕がそれを尋ねるのを待っていたといわんばかりに目を輝かせて解説する。
「そうだな!こっちはジャズコーラスと言ってな、きれいなクリーンサウンドを出すのにはこちらのアンプを使うのが一般的なのだ!対してあちらはマーシャルと言ってエレキギターを歪ませて使うときはあちらを使用するのだ!まぁ他にも色々違いはあるが、解り易く言えばそんな感じだな!日本のライブハウスや音楽スタジオの標準装備は大体この二つと相場が決まっていてな……」
「わかった望月さん。練習をしよう」
これ以上彼女の機材講座を聞いていては時間が足りなくなりそうなので、僕は話を振っておきながら途中で会話を切ることにした。
望月さんはどこか不満げな表情をしながらギターを構える。
「むぅ。まぁ仕方ない。それじゃあ少し合わせてみるか」
放課後の屋上では、僕の基礎練習の付き合いをしてくれたり、既知の曲のワンコーラスを仮合わせで歌ってみたりする程度で、まだ本格的に楽曲の練習というものはしたことがない。
なので僕としても、人前で歌を歌うということには少しだけまだ緊張感があるのだが、彼女はそれを汲み取ったのか「まぁじきに慣れることだぞ」と、にひひと笑って見せた。
「"SHINE"で少し合わせてみるか」
彼女はそういうと、軽くギターをじゃらんと鳴らしてから、ギターのボディを打ってカウントを四つ取った。
そして綺麗なギターのストロークで前奏を進めていく。本家でもアコースティックアレンジバージョンがある楽曲だが、望月さんのアレンジも聞きやすく心地よい。
僕は歌の入りである所に近づくと大きく息を吸った。そして渾身の声量をぶつけて歌声をマイクに乗せる。
普段とは違う音量。スピーカーから丸々聞こえる自分の声。成程、確かに普段の環境では味わえない空気感と緊張感、これがスタジオ練習か。形だけではない確かな理屈が間違いなくある。
そんな中、歌がサビに差し掛かるか否かというところで僕は、異変に気が付いた。
思っていたよりも、キツい。それに気のせいじゃなければ、望月さんのギターの音に段々僕の声量が負けていっているような感じがした。
サビが終わったところで望月さんは適当にオチをつけて演奏を止める。
「ふふっ、どうだ善一」
「思ったように声が出ない?というか、キツい」
「んふふっ、そうだろそうだろ」
新しいバリエーションの笑い方を繰り出してきた望月さんはなんだか嬉しそうだが、なんとなくわかる。これは嫌な類の笑いだ。
「ボーカリストは辛くなると顔の角度を上げてしまいがちだからな。それでマイクに声が乗らなくなるのだ。しっかりマイクに声の乗る角度で歌わねば、思うように声は乗らんぞ」
悔しいが、全くその通りだ。声を張り続けて歌うと、声帯が強張ってきてどんどん無意識に上を向いてしまう。
多分、圧倒的にスタミナが足りないこともあるし、歌い方の基礎も発声の基礎も全くなっていないのだろう。
ここで練習してみて、自分の圧倒的なまでの実力不足感を痛感する。
「まぁ落ち込むな善一。始めたばかりで何の課題もないという方がおかしな話だ」
望月さんは、今度はいつも通りにひひと笑いながら「もう一度やってみるぞ!」と再度伴奏を始めた。
結局、この日は僕の歌の練習ということになって、曲目を決めるまでには至らなかった。しかしまぁそれでも絶対的に意味はあった一日だったのだろう。
スタジオ練習を終えた後は、少しだけ吉川さんと望月さんが軽く雑談をして、スタジオを後にした。
外に出ると来る際にはまだ少し降っていた雨は完全に止んでいた。
僕は自転車でここまで来たが、望月さんは徒歩で来たというので、僕の自転車の後ろに乗せて送っていくことになった。
しかし文学少年の僕は女の子とはいえギターを背負ったままの人間を乗せて自転車を漕ぐことなどできるはずもなく(望月さんは「アコギは何kgもないぞ軟弱者」と言うが)結局二人で自転車を押しながら歩いて帰ることになった。
「スタジオ練習もいいものだろう、善一」
「まぁ課題は沢山見つかったよ。僕もやるからには、半端にはしたくないしね」
特に望月さんのように情熱があるわけでも、愛情があるわけでもない。大きな志しがあるわけでもない。今のところは彼女が正当な評価を校内で受けるための手助けといった動機でしかないし、文化祭以降、彼女がまともになって僕が必要なくなればきっと自分自身で音楽をするってことはないのだろう。
それでも、彼女の目標に少しでも関わると決めたからには、中途半端にやることは絶対にしてはいけない。
「基礎練習も大事だがな、楽しくやるっていうのは何事にもやはり大事だぞ。善一、音楽は楽しいか?」
全く、どうしてこんなにも彼女は真っ直ぐなのだろうか。僕が音楽をする動機はこんなにもくだらないことなのに。
「まぁ、悪くはないよ」
「そうか。ならばよかった」
「なぁ、望月さん」
僕は、気になっていたことを聞きたくなった。彼女は追々わかると言っていたが、どうしても今知りたくなったのだ。理由はない、本当になんとなく。
「どうして、他の沢山の人たちが駄目で、僕とならユニットを組む気になったんだ」
僕は心のどこかにある棘のようなものを含めて言った。それは多分、僕が彼女に感じている劣等感とかそういうものだ。
その言葉の棘など気にしないように、彼女は少し微笑んで答える。
「それはな、私が善一に可能性を感じたからだ」
「可能性?」
「あぁ。私は才能人を見つけられる人になりたい。これから先私が作っていくその経歴の中で、一番最初に見つけた才能人という存在は、私にとって大切なものでなくてはと思ったのだ」
彼女は僕より少し前に進んで、雨が止んだばかりの星のない空を見上げて続ける。
「今までの誘いは私の目標が、プレイヤーという存在の先にあったから、プレイヤーをゴールと考えている人たちとは軋轢を生んでしまう気がして一緒には出来なかった。でも善一は違う。善一の中には私にはわからない美学があって、哲学が、知識があって、私の及ばない感性できっとこれから沢山の物事に触れていくのだと思う。そして何より私にとって善一はもう、大切な友人なのだ。そんな善一の才能を、私が一番に見つけ出したい。そんな善一の才能を、私が一番に昇華させたい。そう思った」
彼女の眼は、何時になく輝いて見えた。それはまさに、夢を語る少女そのものだった。
少女漫画のような幻想に思いをはせる、キラキラした無垢なそれだった。
「僕は……才能人なんかじゃないよ」
「それは大衆が決めることで、善一が決めることではない」
彼女は、真っ直ぐに僕の方を見据えて立ち止まって、その言葉を僕に突き刺した。
「そもそもな、人は絶対に何かしらの才能を持っていると思うのだ。それは大なり小なりで、たまたま天才などと呼ばれるようなものが頭脳と芸術に寄っているだけの話だ」
「そういう意味なら尚更だよ。僕芸術も頭脳もからきしだ」
「最初からできる奴が才能人なのか?」
望月さんの顔は、少しだけ怒っているように見えた。当然僕は何故彼女がそこまで腹を立てているのかはわからない。
しかしそんな僕に向けて、彼女は続けた。
「才能があることと、能力が高いことは同義ではないだろ。どうしてそこまで自分を否定するのだ善一」
ああ、そうか。僕があの男子生徒たちに腹を立てたのも、彼女が否定された気がしたからだった。
僕がこうして文化祭のための練習を真面目にやっていることだって、行動原理はそれなんだ。
友達を否定されたから、怒っているのか。
まるで茶番で、戯言で、どうしようもなく稚拙でくだらない理由で僕は怒っていたのかもしれない。そして彼女は、僕という友人を否定した僕に怒っている。
全く、僕は彼女にどこまで調子を狂わされるのだろうか。本当に、らしくもない。
でも最近じゃ、それも少しだけ悪くはない。
「わかった、負けたよ。悪かった。確かにやらずに言い訳ばかりってのは、男気がないよな」
「そうだ、男気がないぞ!軟弱者に磨きをかけるのか?」
ぐうの音も出ない。
まぁそもそも文化祭のことは自分から言い出したことだ。
だったら泣き言は言わずに、彼女の足を引っ張らないようにしっかりと努力はしなくちゃいけない。
そうでなくては彼女の言う通り、僕はただの軟弱者だ。
「まぁ、君の未来の経歴に汚点をつけないように頑張るよ」
「なに、私の目に狂いはない!」
そういいつつも、限りなく凡人であることを信じて生きてきた僕にとっては、彼女の自信満々な答えにはやはり、おいそれと首を縦には振ることはできなかった
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