第8話 約束

「文化祭、ですか」

 あれから数日後の放課後。日笠先生に呼び止められ、教室で話をしていた。

「そう文化祭。ほら、六月末にあるでしょ。毎年有志で軽音部の他にも出演してるんだけど」

「どうでしょうか。彼女、学校でそういった活躍を見せる意思があるようには見えませんが……」

 先生から相談を受けたのは、無論望月さんのことに関してだった。

 我が校の六月末に行われる文化祭には、クラス別の出店の他に、部活動別や有志による出し物がある。

 ミスコンを行なったり、芸人を呼んだりといったようなお金をかけた事までは行わないため、やはりどうしても目玉のイベントといえば、体育館で行われる軽音部や有志バンドによるライブイベントになる訳なのだが。

 先生は、少しでも皆と馴染めるよう、望月さんがそれにギタリストとして出演するのはどうか、という事だった。

 しかし僕は正直、それは愚考である気がしてならなかった。

「それに先生。殆ど登校拒否と変わらないような生徒に、いきなりそんなスポットライトは酷なのでは、とも思います」

「でも、望月さん話してみるとすごく明るいじゃない?だからもしかしたらと思ったんだけど……」

「うーん……まぁ、聞くだけ聞いてみますよ。今日は雨ですし、会わないと思いますから、また後日にでも」

「えぇ、でも出演枠もあるらしいから、早めにお願いね」

「わかりました」

 僕との相談を終えると、先生は「それじゃ、職員室に戻るわね」と教室を出ていった。



 復習をしてから先生と話していたら、気づけばもういい時間だった。

 雨の日は、外が暗いので時間がわかりにくい。

 ただ、この暗さで学校にいると、何と無く『夜に学校にいる』というような非日常的な錯覚を覚えるので、実は僕は結構好きだったりする。

 まぁそれと引き換えに、屋上での読書の時間が潰れるので頂けないが。

 気づけば一人きりになってしまった教室で僕は帰り支度をする。

 窓の外は豪雨だ。この強烈な雨の中二十分強の徒歩を強いられることは、かなり憂鬱な事である。

 しかも雨の日は、本を読みながら帰ることは出来ない。

 ため息をつきながら鞄を背負うと、僕はあることに気づいた。

「しまった、カーディガンを忘れてる」

 六限目の際に、三階の第二理科室で火を使う実験の際、カーディガンを脱いでしまったことを忘れていた。

 クラスメイトからの関心が集まらない僕は、それに気づいてもらえない。この立ち位置もそこに関していえば素直にデメリットだ。

「仕方ない。取りに行くか」



 僕は、職員室に事情を話しに行くと、第二理科室の鍵を借りてから三階に向かった。

 結局教室が一階にあろうが特別教室は全階に満遍なく存在するので、結局階段の登降に関してのストレスは軽減されてないのでは?という疑問を感じながら階段を走って登った。

 やはり運動不足だろうか。たかが三階まで走って上がっただけで僕は肩で息をする始末だ。これは少し考えものだ。

 理科室を開けると、入口付近にある僕が使っていた席に、カーディガンは掛けっぱなしになっていた。

 全く、こんなに目立つような位置にあって誰にも気づかれないとは思えない。日本人の悪い性質だと思うが、まぁ僕はきっと人のことを言う資格はないだろう。

 カーディガンを羽織ると、僕は理科室を出て上がってきた階段の方に戻る。



 すると階段の方から声が聞こえてきたので、同時に僕は立ち止まった。

「お前、望月と同じクラスなんだろ?」

「あぁ。でも授業出てねーけどな」

 どうやら同学年の男子生徒だったようだ。

 階段の踊り場で溜まって話をしているらしい。

 会話を聞く限り、片方はクラスメイトのようだ。声から察するに、初日に望月さんが保健室に行っていた事を先生に伝えていた男子生徒だろうか。少し特徴のある声だったので何と無く覚えている。

 話題は望月さんのことのようだ。他人の口から彼女の話を聞くのは、初めてのことだったが、盗み聞きのようで気持ちがよくない僕はすぐに立ち去ろうとした。

 しかし、僕は次の一言で反射的に足を止めてしまった。



「俺始業式の日、あいつに試しに告ってみたんだけどさぁ」

「マジかよ!よくやるなお前」

 僕は、耳を疑った。耳を疑って、その場に凍りついてしまった。

 それでも彼の話に僕はしっかり耳を傾けていた。

「あいつ結構顔はいいじゃん?そんでもなんか疎外されてっし、案外簡単にやれるかもと思って呼び出してさ」

「あー、確かに可愛いよな。で、どうだったの?」

「なんか、『下半身でしか物事を測れぬ男などつまらん』って言われた」

「ははっ!マジでそんな話し方なの?」

「あぁ、だからムカついたから殴ってやったよ」

「お前、クズじゃねーか!」

 品のない笑い声をあげながら談笑する彼らに対して、僕は気づけば怒っていた。

 成る程、初めて会った時望月さんが保健室の方から歩いてきたのも、綿紗を頬に当てていたのもそれが原因だったのか。

 この下らない、下品で低俗な下半身脳の男の下卑た呼び出しにわざわざ付き合って、理不尽な鉄拳を食らったと言うわけか。

 笑い事じゃあ、ない。

 彼女の価値は、このクソみたいな会話で日常を消化して行くような下らない一般人と等価値ではない。そうあっていいはずがない。

 僕が触れてきた望月茜という人間は、少なくとも僕のものさしで測った彼女は、こんな奴らなんかよりも、比べ物にならないくらい大きな人間だ。

 才能人で、努力家で、純粋で、前向きで力強いという彼女を、僕はこの一ヶ月強という少ない時間で見つけられたくらい大きな人間なのだ。

 そんな彼女のことを何も知らない下らない人間が、彼女にそぐわない下らない烙印を押そうという事が、僕にとっては許しがたい事だった。



 僕は生まれて初めて他人の事に対して腹を立てているなんて事にも気づかないくらいに、ムカついていた。

 そして僕は、気づけば走っていた。

 先ほどまで居た階段とは反対側にある階段を、走って登っていた。

 屋上への扉は、こちら側の階段にしかないからだ。

 今日は生憎の豪雨で、屋上には屋根の付いているような雨宿り場所はない。

 だから、幾ら何でも今日この時間にこの場所の鍵が開いているわけがないのだ。

 でも何故だか、僕は彼女がここにいるという確信を持っていた。

 その確信を持って、僕は屋上の扉を開けた。

 真っ暗な暗雲のたちこめる空模様に、あたりはいつもの綺麗な夕焼けは見えず灰色だった。

 飛び出せば、数秒経たずに濡れそぼってしまうような勢いの雨を気にすることなどなく、僕はその間口を跨いでフェンスの方へ駆け寄った。



「望月さんっ!」

 暗雲の空を雨を気にすることなく見ていた彼女は、僕の登場に流石驚いていた。

「善一!何故こんな日まで屋上に来たのだ?」

 彼女は、嬉しさと戸惑いが入り混じっているような、複雑な表情をしていた。

 僕は走って来た事に疲れて、膝に手をついて息をする。

「お互い様だろ……。君だって、なんでここにいるんだ」

「む、それもそうだ」

 望月さんはまたいつものように、にひひと笑う。

 僕は深呼吸して息を整えると、しっかりと立ち直して彼女の顔を見た。

「や、なんだ善一。そんなに見つめられると少し照れくさいな……」

 そう零す彼女に気にせず、僕は切り出した。

「望月さん、君はこのままでいい人間じゃない」

 僕がそう言うと、彼女は素の顔に戻る。

「む、どう言うことだ善一」

「君には才能があるし、力があるし、想いがある。何も考えてない普通の高校生なんかよりずっと価値のある人間だって、僕は思ってる」

「善一、そんなことは……」

「勿論、僕の勝手な主観だ。でも、僕はそう思った」

「……」

 僕が、何かの確信をして、何かを伝えようとしている事に気付いたのだろう。

 望月さんは、黙って僕の顔を真っ直ぐ見つめ返す。

「君が受けている不当な評価は、正すべきだ。他人の言うことなんて気にするななんて言うし、僕だって思ってきたけど多分、それは違ったんだ。君にどう言う歴史があって、どんな扱いを受けてこんな事になったのかなんて僕は詳しく知りはしないけど、少なくとも僕が触れてきた君がこんな烙印を押されるのは、絶対に正しいとは思えない」

「しかし善一。みんなが悪いわけではないのだ」

「だったら、悪いのは知らない事だ。みんなが君を知る事で、きっと君の評価は正される。君は絶対、そうするべきだ。君はそんなくだらない人間にされていいはずがない」

「つまり……どういうことだそれは」

「君のギターで僕が歌おう」

「は?」



 何故、この結論に至ったのか。それはきっとずっと明確にはわからないのだろう。

 でもこの時僕は、理屈じゃなくて、理論じゃなくて、ただ感情的に「絶対にこれしかない」と確信していたのだった。

「君のギターで、僕が歌う話を引き受けるよ」

「ほ……本当か?」

「ただし、その代わり君は、少しずつ授業に顔を出す努力をするんだ。それが、僕がボーカルになる条件だ」

 望月さんは、ゆっくりと表情を変えていく。その顔が満面の笑みに変わると同時に、大声をあげて叫んだ。

「ははっ!!約束だぞ善一!!ならば私と善一は、今日から一心同体と言うわけだな!」

 そう言いながら、望月さんは体当たりをするように僕に抱きついてきた。その衝撃で完全に力を抜いていた僕は、その場に尻餅をついてしまう。

 全く、おかげで下着まで雨が染みてしまった。まぁこれだけ濡れてしまっていれば今更気にする事でもないが……。

「それは幾ら何でも過剰な物言いだと思うが……とにかく君も条件は守れよ」

「ん、あぁ勿論だ!努力しよう」

 こういった経緯で、僕たち二人はこの梅雨には早すぎる五月上旬、土砂降りの雨の日に、晴れてユニットを結成することとなった。

 ―――こうして、彼女のために結成して始まったこの物語は彼女、望月茜が主人公の物語ではなくこの僕、市川善一の物語なのである。

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