第7話 Impuls

 五月病、という戯言たわごとが世間を賑わす季節。

 なんだかんだズルズル本人と先生に乗せられる形で、望月さんとの馴れ合いにも少しずつ慣れてきたようだが、心情的にはまさに、五月病のそれの様に陰鬱で煩わしく気だるい。

 しかしまぁ、そうは言いつつもそれなりに自分の中で折り合いがついてきたのか、心のどこかではもう完全に受け入れている。……というよりかは、諦めている。

 相変わらず晴れの日のたびに屋上を開放しては、読書に励む僕だったが、あれ以来望月さんは欠かさず屋上に顔を出しては、僕の読書の隣でギターを鳴らしながら、BGMを担当してくれるようになった。



 どうも僕が音楽に対して関心を持ったことが、とても嬉しいようで、望月さんは僕にCDだけでは飽き足らず、「私のいない休み時間や通学時にでもどうだ」と、お古のCDウォークマンまで寄越して、僕に音楽のインプットを促して来る始末だった。

 かさばるので少し迷惑かとも思っていたのだが、寝たふりをしていた休み時間に関してはちょうど良かったので、なんだかんだ有り難く使わせてもらっている。

 そんなこんなで、流されるままに受け入れていたせいか、音楽に無知・無頓着だったはずの僕は今では教室内で「ウォークマン」という安直なあだ名を影で囁かれるまでに昇格していた。

 不思議なもので、最初は雑音にしかならなかったMR.BIGに関しても、もはやお気に入りアーティストの一つである。

 あれから聞き直しているうちに、何曲か聞きやすいものから、聞き応えを感じるようになっていき、遂にはハードロック調の曲ですら今は、少しずつだが抵抗なく耳に出来るようになった。まぁ、それでもやはり好んで聞きはしないだろうが。

 それでも尚、当初の試みであった「読書と共に音楽を聞く」という挑戦に関しては、中々成功する気配はない。強いて言うのであれば、インスト(ボーカルがない曲)などであれば問題なくなったということくらいか。

 そういうわけで、この一週間程の間に、僕の音楽に対する関心は高まっていく一方なのだった。

 逆に望月さんに関して言えば、僕と接するうちに読書に対する関心がより高まったそうで、僕が読んでいる本で興味があるものは、読み終わったそばから借りていくようになった。

 そんな関係が出来上がって行きつつある僕ら二人の暗黙の集合場所である屋上に、やはり今日も僕は訪れていた。



 最近では、僕より早く望月さんがここに来ていることもあるが、今日に関しては僕の方が早いようだった。

 日陰にゆっくりと腰を落ち着けて、鞄の中にある本を取り出す。

 この本は、僕は既に読破している本なのだが、望月さんが興味があるがまだ読んでいないと言っていた有名作家の短編作品だ。

 僕は割と、読み終わった本でも何度も読む癖がある。ストーリー性や伏線を理解した上で読み直すと、また違った見解が見えてくるからだ。

 そのため読んだ本を売る、捨てるということをほとんどしない。そのせいで部屋の本棚としてつかっているカラーボックスは、次々と増設を余儀なくされて行き、八個あるカラーボックスの中にも入りきらないので、九個目の購入を母に要請したところ、遂には増設を打ち切られた。

 そのせいで、今ははみ出した本が少しずつ増えて来てしまっていたので、望月さんが借りてくれるのは正直ありがたい(根本的な解決にはなっていないが)。

 望月さんに返すCDも含めると、鞄が重くなるので今日はその一冊しか持って来ていなかった。



 仕方なく望月さんが来るまではそれを読んで過ごそうかと、ページを開いた。

 まず最初の話は、定年を迎えた警察官が、遂に証拠が揃わず検挙できなかった、上司を破滅に追い込んだ詐欺師に会いにいく話だ。

「お前のおかげで、最後には正義の味方でいられたのだ」という、中年刑事のセリフがやけにグッとくる話なのだが、成る程。

 後から読み直すとやはり面白い。この刑事は、退勤一週間前の日に実は決定的な糸口を見つけている描写がわずかにある。

 彼はそれを見逃したのだ。長年追いかけて来た、仇敵の弱点を。

 短編なので、話は中年刑事が詐欺師と公園で待ち合わせて、思い出話の様に事件を振り返る後日談の様な形で描かれている。そのため、全容は細かく描かれておらず、事件の真相はふわりとしている内容なのだが、二度目となると想像の切り口が増えていく。



 一度目はただ、事件を解決できなかった刑事と、騙されてしまった上司。そしてそれを騙し切った凄腕の詐欺師という様な形で人物像を捉えたが、二度目の読破後の想像は、凄腕の詐欺師を事実追い詰めたベテラン刑事。しかしそのベテラン刑事が見逃した理由は、恐らく上司の抱えた闇。それに対して制裁を下した凄腕の詐欺師は、完全な悪という訳ではなく……。

「お前のおかげで、最後には正義の味方でいられたのだ」というセリフは、詐欺師を最後には正義だったと認めたということだろうか。

 そんな想像が、僕の頭の中を巡る。

 これだから、読書はやめられない。人の生み出す物に対する感心は揺るがないのだ。



 一度読み終えていることもあり、サクサクと文章を読み進めていけるため、全四編に渡る短編小説も、一時間足らずで読み終わってしまった。

 僕が本を閉じると同時に、いつかの様に強めの風が吹く。時計は四時半丁度を指している。

 望月さんはいつにも増して今日は遅い様だ。何かあったのだろうか?と少しだけ心配もしないではないが、彼女の性格上先に帰る場合顔くらいは出すはずだ。だからまぁ、どうせ寝坊だろう。

 しかし彼女のギターを日常的にBGMにしてたこの頃だったので、無いなら無いで少し寂しい気がしないでもなかった。

 やることもないので僕は、CDプレイヤーにイヤホンを接続して、望月さんに返す予定のCDをセットした。

 MR.BIGのグレイテスト・ヒッツ。あの日からずっと借りっぱなしで聴きこんでしまったこのCD。最初こそ、雑音にしかならなかったこのCDも、返すということになれば少しだけ名残惜しい。



 僕は再生ボタンを押すと、選曲ボタンで十六曲目を選曲する。選んだのは「shine」という曲で、最近ではこの曲がお気に入りだ。

 この歌は日本の深夜アニメのエンディングテーマにも起用されている様で、比較的聴きやすいアレンジになっている。

 僕はこのミドルテンポのギターロック感が気に入り、この曲は「To Be With You」の次に好んでよく聞く。

 外人が生まれ持つリズム感で形成される洋楽は、日本人の繊細さとはまた違って味があり、心地よい。

 日本の音楽が、感受性に訴える物であるとするなら、洋楽は人間の直接的な感情に訴える様な力を感じる。



 イヤホン越しに聞こえるドラムのビート、ギターのメロディ。それを支えるベースライン、全てを飲み込んで楽曲の主人公を演じるボーカルの主旋律。それをなぞる様に聴きながらその世界観の中で沸々と高揚する。

 僕が普段から作っている、感情に対する壁。一切合切全部くだらないものだという様な、そんな透明な音楽の世界の中に溶け込んだ錯覚。

 ふと気づけば、イヤホンの向こう側で声が聞こえた。……僕の歌声だった。

 誰もいない屋上で、一人きりで僕はイヤホンを耳に嵌めたまま、普段の僕からはおよそ想像できない様なボリュームで、歌を歌っていた。

 日が落ちようとしている中、雲と光が彩る空に向かって何故かこの僕が、感情を昂ぶらせながら歌っているのだ。

 僕自身驚きながらも、尚それでも歌うのはやめなかった。それくらいに、信じられないくらいに、解放的で気持ちがよかった。

 成る程、望月さんが夢中になるわけだ。僕だって既に癖になりそうだ。

 こんな気持ちで歌を歌うのは、生まれて初めてだ。こんな楽しい気持ちになれるものならば、カラオケ屋が儲かるのも道理だ。



 普段から運動もろくにしない僕には、せいぜいワンコーラスが限界だったが、それでも既に一年分ほどの声量を使い果たした気がした。

 少し疲れて片耳のイヤホンを外す。すると、僕の心臓に戦慄が走った。

「やあ善一、遅くなってすまないな!」

 恐る恐る隣を見ると、望月さんが満面の笑みを浮かべながら僕の隣にしゃがみ込んでいた。

「ちょっと待ってくれ」

 流石の僕も狼狽えて言葉もない。今なら先月の望月さんの勘違いも、現実にしてしまえる程の恥じらいと焦りとその他諸々の感情が頭の中をぐるぐると巡っている。

 しかしそんな僕のことなど一蹴するかのように、望月さんは笑みを崩すことなく言った。

「相対音感を持っていると言ったが、大したものだな!私なんかよりずっと上手ではないか」

「取り繕うのはいい。気にせず殺してくれ」

 僕は、顔を伏せた。望月さんの顔を見る事はしばらくできそうにない。

「何を言うか。私は気に入っている奴でもお世辞は言わんぞ。実力とは皆平等でなくてはな」

 望月さんは、いつもの調子だ。確かに彼女は、無責任にお世辞を言う様な事はしないのだろう。

 だからと言って、このダメージは僕にとっては生涯残る程には深い。



「何よりも声がいいな。善一の声は歌モノ映えしそうな優しい歌声だ!」

 そんな僕を尻目に、望月さんは僕の歌声の感想を続けていく。

「はぁ……ほんとう迂闊だったよ。信じられない。君には恥ずかしいところばかり見られてばかりだな」

 僕は今回の事案に対する恥を一緒に吐き出そうと長めにため息をつくが、だめだ。今回のは暫く引き摺りそうだ。今夜もきっと思い出して悶えるだろう。

「しかしそれは善一の方から、痛み分けだと言ったはずだぞ?」

「ん、まぁそうだけどさ」

 割合でいうと、分けではない気もする。恥のウェイトはどちらかと言えば僕寄りだ。彼女は感性がずれているので、少々のことでは揺るがないし、偏りはきっと覆る事はないだろう。

 そう考えるとより一層、僕の頭は痛みを増すばかりだ。痛み分けなことがあるか、この野郎。



「それで、どうだったのだ善一」

 望月さんは、相変わらず笑みを崩す事はなく、僕に問いかける。

「どうって、何が?」

「歌ってみて、どうだったのだ?」

 無論、歌を歌うのは別に生まれて初めてだった分けではない。当然音楽会や授業などで歌の授業もあるし、僕は比較的真面目な生徒だし、授業だと割り切れば恥じらいも特にないので、わざと口パクで歌って発声しないということもない。

 しかしそれはあくまで勉学の延長という意識もあるので、やはり楽しんで歌を歌うという事は特にしたことがなかった。

 つまり、自分の意思で自分の歌いたい歌を歌うのは、先程のことが初めてなのだった。

「乗せられているみたいで癪だけど、気持ちはいいな。君が打ち込む理由もわかる」

「ほぉ、なるほど」

 僕が答えると、望月さんは急に黙り込んで何かを考えるそぶりを見せる。

 正直僕は、またロクでもないことを考えているのではと直感していたのだが、それはどうやら杞憂ではなかったようだった。

「よし、ならそうしよう」

 彼女は顔をパッと明るくさせながら人差し指を立て、まるで名案だと言わんばかりにこう言った。

「私がギターを弾くので、善一が歌うというのはどうだ?」

「まぁなんだかよくわからないが、早く帰らないか。もう部活もきっと後片付けを始めてるぞ」

 ちなみにここからは見えないが、運動場からは野球部もサッカー部もまだまだ校庭を走り回って忙しそうな音が聞こえている。

「つまり私とユニットを組もうと言う話だ!どうだ?面白そうだろう?!」

 ほら見ろ、やはりロクでもないことだ。彼女の発言はいつだって突拍子も無いことだ。

「ははっ、なんだよそれ。二つ返事で却下するね」

「なっ、もう少し考えてくれてもいいだろっ!」

 膨れながら文句をこぼす彼女を尻目に、僕は床に置いた鞄を拾い上げて立ち上がる。

「ほら、何してるの。早く帰るよ」

「むぅ……」

 僕は話を切り上げるようにして、屋上の出口へ先々と歩く。

(そんな才能人みたいなこと……僕が出来るわけ無いだろう)

 心の中でそう呟きながら、僕は屋上を後にした。

 それからは、そんな話があったことももしかしたらお互いに、少なくとも僕は完全に忘れていたのだが……その話が違った結末を迎えることになったのは、それから数日経った後の話だった。

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