第6話 放課後ギター少女

 望月さんにCDを借りた翌日。この日は朝から嫌に晴天だった。

 四月末にもなれば、気温も少しばかり上がってくるので、半袖はまだ早くともジャケットは少しばかり暑く感じる。

 そのせいか、少しずつジャケットの代わりにカーディガンやパーカーを着るか、カッターシャツのみで登校する生徒が増えているようだ。

 昨晩は、あれから音楽鑑賞に”結局”没頭していたので、読まずにためている読書の消化が出来なかった。

 そのため今日も放課後には屋上で読書をすることになりそうだ、と考えながら僕は昨日読み損ねた文庫本を片手に通学する。

 しかし、と言うよりやはり、英語で詞が書かれていようが聞き流すことは難しかった。

 MR.BIGに関しては、今の所結局あの一曲だけしか合わなかったが、その後聞いたThe Beatlesはなかなか聞きやすいものだった。

 結局歌詞カードに和訳が載っていたりするので、それを見ながら鑑賞していたら、読書をする時間などはすっかりなくなってしまっていたのだ。

 まぁそれでも、芸術というものは少なからず通ずるものがあるもので、その時間は、僕にとっては珍しく「無駄にした」とは感じないものだった。むしろ、有意義だったと言ってもいい。

 今ならば、望月さんが僕に音楽を勧めるのも少しだけわからなくもない。

 しかしながら、当初の目的である「音楽を聴きながら読書する」という目標に対する壁は、また少し精査する必要があるようだ。

 まぁそれはともかくとして……だ。



「そんな、僕の感想を聞くためだけに、朝早くからこんなところで待ち伏せしてたのか」

 僕の通学路の途中、何時も下校時に望月さんと別れるあたりで、周りの例に漏れず灰色のパーカーを着た望月さんが、仁王立ちしていた。

 そして成り行き、と言うか望月さんがさも待ち合わせをしていたかのように着いてくるので、一緒に登校する羽目になっている。

「あぁ!気になりすぎて、昨晩は早く眠ったほどだぞ!」

「なんだその無駄に効率的な習性は」

 楽しみなら、普通眠れなくなるところだ……。

 ちなみに僕は教室に長くいたくないので、遅刻しない程度の遅い時間に出る。

「望月さん、何時からいるんだ?」

「七時だ!」

 朝練のある部活でも、もう少し遅いだろうに。一体何を考えているんだろうか、彼女は。ちなみに今は八時五分だ。



「やはり善一が音楽に興味を持ったのは嬉しいことだな!」

「大袈裟だよ。まぁほんと、悪くはなかったけどさ」

「友と趣味を共有するのは喜ばしいことだな!」

 友、か。なんだか違和感のある言葉だが、友人宣言を承ってしまった以上、僕と望月さんはどうしたって、そういう関係になるのだろうか。

「しかし望月さん、今度からは人に音楽を勧める時にまずハードロックバンドを紹介することは推奨しない」

「む……まぁ良いではないか。結果的に気に入ってくれたのだ」

「バンド自体は気に入っては無いよ」

「まぁ、そういうなよ。また新しいCDも今度貸してやろう」

「いや、別に当分はいいかな。本読めなかったし」

「なんだと!」

 そんなやりとりをしながら登校をしている僕らのことを、少しだけ他の通学中の生徒がチラチラと見ている。

 まぁ、男女が肩を並べて登校している様子は、色恋沙汰に敏感な他の連中からすると格好のネタになりうるが、幸い僕はスクールカースト最底辺の男であるし、そこまで噂になるようなこともまぁ無いだろう。

 しかしながら、僕としては、なんにせよいつもより少し目立つこの状況は正直好ましくは無いのだが。

 そう思いながら校門にたどり着くなり、望月さんは「じゃあ善一、放課後な」と言って、先に行ってしまった。

 ほっと胸をなでおろす中、同時に思う。

(望月さん、保健室に行ったのだろうか)



 靴を履き替えて教室に入ると、遅刻常習の生徒以外は概ね揃っているようだった。

 当たり前だが、そこに望月さんの姿はない。

 朝早くから起き出してきといて、授業には出ないようだ。あの時詳しく聞かなかった例の噂とやらは、少なくとも彼女の中では簡単に払拭できないものらしい。

 この一月の間に、彼女の話題をあげるクラスメイトは僕の知る限りでは、いなかった。どうしても教室の中限定の話ではあるので、確定には足り得ないが……正直杞憂なのでは、と考えている。

 まぁ内容を知らないのでなんとも言えないし……円滑に交友関係を続ける上では正直、知らない方がいいのかもしれない。

 どのみち、僕には関係無いだろう。

 …………関係、無いのだろうか?



 放課後。いつもと同じように、騒然としている教室だが、そんな中で僕は今日の授業の復習をしていた。

 今日の授業は、中間テストも近づいてきたことと相まって、特別内容が濃かったため、業間休みの復習では追い付かずに放課後まではみ出してしまった。

 もう時間は十六時を過ぎた頃だが、クラスメイトたちはまだ何故か半数近く残って談笑を続けている。

 しかし、引き戸が開くと同時に、少しだけ室内が静まり返った。

「あ、市川くん」

 入ってきたのは、日笠先生だった。

 周りは、先生の用事の内容が僕であることを確認すると同時に、再び我関せずと談笑を始める。

 あっという間に先程の静けさは無数の声に埋め尽くされた。

「お疲れ様です、先生。今日は遅くなってしまったので、もう帰ろうと思っていましたが……用事でしょうか」

「あら、そうなの。でも今日は、望月さんが先に鍵を借りに来たから、もう屋上は空いてると思うわ」

「そうですか」

「望月さん、あなたを待ってるみたいだったから、顔だしてあげてね」

「わかりました。ありがとうございます」

 全く、余計なお世話だ、と心で呟く。

 おかげで撒いて帰るつもりが、知らない振りをするわけにはいかなくなってしまった。



 特に放課後の屋上でのやり取りが嫌なわけでは無いが、正直この習慣化してしまっている下校に関しては、いくら友人となり得ても御免被りたい。

 いくらスクールカースト最底辺の僕と言えども、そう何度も目撃されれば煩わしい事案の一つは発生するかもしれないからだ。

 僕は少しの苛立ちを抱えながら屋上への階段を登る。

 ……まぁしかしそうは言っても、僕も少し毒されてしまっているのも否めないか。

 彼女といる時間自体は、少し悪く無いと感じるようになって来た。だからこそ、登下校に関しても強くは拒絶しないのかもしれない。

 付き合いはまだ浅いが、天真爛漫で、純粋無垢で、それでいて破天荒な彼女を見ていると、実はドライな自分がどうしようもうなく子供なのでは無いか?と言う気分になる時がある。

 刺激し合う関係が、友人関係として好ましいと言うのであれば、彼女は申し分ないのだろう。しかし、僕は彼女にとって刺激になっている自身はまるでない。そんな劣等感を感じてしまう自分は、まるで子供ではないかと。そう思うのである。



 階段を登りきったところでふと気づくと、扉の向こうから、何やら音が聞こえてきた。

 耳をすますと、どうやらアコースティックギターの音色のようだった。

 望月さんか。そう言えば、今日もギターを持って来ていた。最初から今日は屋上でギターを鳴らすつもりだったのだろう。

 聞こえてくる音色は、意外にも素晴らしく、心地よい音色だった。

 扉を開けると、望月さんはフェンスに背を預けながら、立ってギターを弾いていた。

 音色に耳を傾けていると、ややあってから望月さんが僕に気づいた。

「おぉ、善一。遅かったな」

「すまない。復習してたら遅くなってしまった。それにしても上手だね。少し聴き惚れたよ」

「おぉ、わかるか!中学生の頃からずっとやっているからな!」

 望月さんは、いつもと変わらず、にひひと笑う。



「しかし、復習で居残りとは。善一は勤勉なのだな。良いことだ」

「そう偉そうに言うけどな、君の方こそ大丈夫か?朝早くから来た割に、授業には出ないみたいだけど」

「私はちゃんと保健室で課題はやっているからな。家では自習もするし、成績は中の上をキープしているぞ」

 どうだと言わんばかりに胸を張る望月さん。しかし、先生自身も成績は問題がないと言っていたとはいえ、正直彼女の中の知性に対する僕の信用は、少し微妙なところである。

「疑う目をしてるな善一……ならばこれを見ると良い」

 彼女がゴソゴソとカバンから出したのは、春の一週目にあった実力テストの順位表だ。ちなみにそれは僕が唯一、彼女を教室で見た日である。

 そこに書かれていたのは……

「二百二十五名中……三十五位?!」

 成る程……彼女は、つまり稀にいる『勉強だけ出来るバカ』と言うことなのかもしれない。ちなみに僕は三十三位だから、ギリギリ勝ってる。

「ふふん、これでも編入前は、進学校にいたからな!」

 これまた、意外な経歴だった。



「ん?そうか、望月さんは編入生だったな」

「あ……う、うんまぁ、そうだな」

「そう言えば、どうして編入して来たんだ?」

 僕がそう質問をすると、望月さんはあからさまに取り乱した様子だった。

「あ、いやえっと、それは……まぁ、なんだか色々あって引越して来たのだ」

 その様子を見て察した。成る程、噂とやらの核はどうやらここにあるようだ。僕も少し考えなしだった。ともすれば、この話はこれ以上掘り下げていくわけにはいかない。

 僕も流すように話題を変えることにする。

「へぇ。まぁそれより、いつからここで待ってたんだ?」

「ん、あぁ。十五時くらいだろうか?今日の分の課題が終わったので、提出ついでに職員室に行ったら鍵を貸してもらえたのだが」



 彼女が受けているのは、この学校に特別に存在する、登校拒否をする生徒等用に設けられた特別課題である。その課題を期日以内までに消化する事によって、登校拒否中であっても授業単位を取得できる事になっている救済措置である。

 一時期の登校拒否問題の激化で、大規模の検討の末設置された解決策であるようだが、もちろん誰でもできるわけではなく、登校してくる事で、著しく勉学に影響を及ぼす理由がある、もしくは授業に参加することが長期的に困難な状態で、尚且つ卒業意思は本人にあると学校に認められる必要があるが……彼女は一年の時に既にそれは満たしているようだった。

 ちなみにこれは『あくまでも状況の更生に向かうための措置』であるため、実際の授業日数分の計算はされず、およそ半数分として計算される。

 そのため、真面目に課題を受けているとはいえ、一年からこの課題を受けている彼女の卒業までの授業参加日数は、ずっとこのままいくと足りない計算になる。



「善一がしばらく来ないので、ずっと暇で弾き語りしたりソロギターを弾いたりしていたのだ」

「へぇ、弾き語り。望月さん、歌も歌えるのか」

「う……当然だ!音楽家を志す者として、歌ぐらいは当然歌えなくてはな」

「望月さんは、アーティストを目指しているのか?」

「うーん、当面の目標といえば、そうだな」

 望月さんは、決して夢とは言わなかった。夢ではなく、目標。

 ならばそれを達成したら、その先も新たな目標を据えて進んでいくということだろうか。

 彼女のギターの腕は、素人の僕にはどれだけ上手いかなんてわからないけど……少なくとも素人の僕から見れば、CDを出しているアーティストと比べても別に違和感はないほどだと思った。

 それだけ、努力して身につけたのだと思った。きっと、彼女の言う目標が、彼女の中で明確になったその日から、その目標の為だけに。

 もしかすると、彼女のような人間が大きなことを成すのかも知れない。天賦自然、そんなもので片付けてはいけない。

 彼女を才能人として形成するために、きっと沢山のドラマと、努力が有ったのだろう。

 それが、自然であっていいわけがない。

「じゃあ、そんな未来のアーティストの歌、聴かせてくれよ」

 その言葉は、僕にしては珍しく、皮肉でもなんでもなかった。



 しかし当の望月さんは、少しばつが悪そうに「う……うーん」と唸っている。

「あぁ、やっぱり歌は恥ずかしいのか?」

「そ、そんなわけなかろう!いいだろう、歌ってやろうではないか!心して聞くといいぞ!」

 彼女は、シャキッとギターを構え直す。

 まぁなんとか上手く話題をスライド出来たから良かった、と思っていると、彼女の歌が始まった。

 彼女が精一杯の声量で歌い始めたその歌は、僕が今朝、気に入ったと話した「To Be With You」だった。

 ギターのストロークとアルペジオを混ぜた奏法を使いながら、器用に歌と合わせていく。

 心地よいアコースティックギターの音色はやはり、彼女の技術が無駄のないものだと言うことなのだろう。

 しかし、しかしながらだ……。



「望月さん、解った。もういい」

「お、どうした善一。私の歌に聴き惚れたか?」

「いや、言いにくいけど……望月さん、あんまり歌は上手くないな」

「ぐっ……!!」

 多分、望月さんが少し煮え切らなかった理由はそれだったのだろう。自覚があるのだ、彼女自身も。

 音感があるだけに、自分の歌が狙ったところに行っていない、と言うことはおそらく解っているのだ。下手ではないが、それを気にしすぎている分聞き苦しい。

「無理して歌っている感じがすごいするし、何よりこの歌……望月さんの声じゃ可愛すぎる」

「なっ……!!わ、私だって本当は、綺麗でハスキーな声が出したいのだ!」

「ははっ、そいつは声変わりに期待するしかないな。望月さんなら、ワンチャンス狙えるかもな」

「なんだと!」

「まぁともかく、歌は苦手なんだな」

「う、実はそうだ……」

 望月さんは、少し恥ずかしそうな顔をする。

「善一の手前、つい見栄を張ってしまったが……確かに歌はそれほど得意ではない」

「へぇ、ギターは上手なのに」

「それにしても善一、私の歌が上手ではないことによく気がついたな!ピッチを合わせにいっていたから、素人なら騙せるかもと踏んでいたのだが」

 騙せる、なんて言い方は誤解を生むだろうが、彼女の言い分は大体合っている。確かに、彼女は別に下手くそというわけではないので、あまり音感のない素人なら、特に聞けないことはなかったかもしれない。

 しかし、僕はたまたま……本当にたまたまの話であるが、音感のある……それも人一倍ある素人だった。

「母さんが、僕の小さい頃に自宅でピアノ教室を開いてたからね。絶対音感までは流石にないけど……相対音感だっけ?まぁそれくらいの音感が無駄にあるんだよ」

 そのことを話すと、望月さんの顔色がパッと変わった。

「なっ、ピアノ教室?では」

「残念、僕は弾けない」

 ぬか喜びなのだった。

「そ、そうか。それもそうだな。楽器をするにしては音楽に関心がなさすぎる」

 望月さんは、ガクッとうなだれてギターをケースに片付けた。



「今日は、夕方から雨が降るといっていたからな。早めに帰ろう、善一」

「あぁ、そうだな」

 それから僕ら二人は、いつも通り中身のないやりとりをかわしながら、職員室に鍵を返して帰路につくことにした。

 気がつけば僕はこの日は結局、当たり前のように望月さんと放課後を過ごした後、当たり前のように望月さんと下校をしていたのだった。

 


「それにしても屋上の話を引きずるようだがな。本当にピアノは触ったこともないのか」

「ないよ。あったらもっと音楽に関心を持ってるさ」

 あくまでも、教室がうちにあったってだけだ。それに僕の成長は、母の育児への縛りの緩和と同義である。

 つまり、物心がつく頃には母は職場に復帰し、ピアノ教室はそれに伴いなくなった。

 ついに僕がピアノを母から教わるということはなかったわけである。

「ふむ。それでも善一は、楽器をやってみようとかそういうことはなかったのか?」

「それこそ全くないよ。僕は別に望月さんのように、アーティストに対する憧れとかはないし」

 僕がそういうと望月さんはきょとん……とした顔で、答えた。

「んん、善一よ。特に私は、アーティストに憧れて楽器を始めたわけではないぞ」

「ん?そうなのか。ならばどうして?」

「そうだな。わかりやすく言えばだが、目的の為か」

 目的。先ほど言った目標とはまた違い、目的。恐らくこちらの方が『目標』であるアーティストよりも明確に自身の要望を反映する物なのだろう。

 要するに、大義的には『夢』。しかし、その大義的な夢と、望月さんの目的は、同義であるが同じではないと思った。同じにしてはいけないと思った。

 この話を聞いて……そう思った。



「善一。私がなりたいものというのはな。実のところ、善一の言う『才能人を見つける才能人』と言うやつなのだ。私は、この世界はクズだと思っているが―――」

 彼女から溢れるその言葉を聞くたびに、僕はちょっとした戦慄を感じる。

 普段から天真爛漫、純真無垢な彼女の一体どこから、そんな言葉が出てくるのだろうか。

 そして彼女は続ける。

「私が一番至福を感じる瞬間とはな、人間の計り知れない情熱や感情に触れるときだ。そしてそれの多くは、人間の作り出した作品の中にある」

「なるほど、そしてそれを見つけ出す人間になりたいと」

「あぁ。しかしそう言う人間になるためには、私自身に説得力がなければ務まらない。だから生み出すことに触れられる経験を積まねばと思いギターを始めたのだ」

 すごい発想力と、行動力だ。

「で、そこでなんでギタリストだったんだ」

「簡単な話だろ。女性で本当に上手いギタリストは目立ちやすいからな。それにギターは、きっちり練習さえすれば、才能関係なくちゃんと上手くなれる」

 正直少し……いやかなり。彼女のことを見くびっていたようだ、僕は。

 天真爛漫、純真無垢な彼女の中身は、非常に打算と理屈で理路整然と計画を構築する天才だった。

 簡単な話だと彼女は言ったが、簡単な話じゃないのだから、誰もがギタリストになれるわけではないということなのだ。

 しかし、彼女ならば確かに、簡単に成し遂げてしまいかねない。

 そんな説得力が、何故か今の彼女にはあった。

 そんなことを考えながら、ずっと僕は彼女の顔を見ていた。



「な、なんだ善一。そんなに人の顔をじっと見るなよ」

「いや望月さんって、本当に頭よかったんだな」

「む、だからそう言ってるだろ」

 天真爛漫で、純真無垢な彼女の冷静沈着で理路整然とした計算高い二面性を、僕は脅威に感じると同時に、その底の深さに興味を持った。

 今思えば、この瞬間が正に初めて、明確に『望月茜』という人間に対してを関心を抱いた瞬間であり、『他人』に興味を持った瞬間であり、僕が人間臭さを手に入れた瞬間でも……あるいは、あったのかもしれなかった。

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