第5話 才能人
天賦の才。
それを承る者が、世間から「天才」と呼ばれる。
この平和ボケした俗世では、副交感神経系が優って努力を怠り、日常と同化していってしまうことが自然の流れである。
天賦自然とは、天から与えられた、人の力ではどうにもならないもの。
それに例えて、人は類い稀なる力を努力の末に身につけた才能人を、天賦の才などと言い訳して自分を正当化しているわけだ。
しかしながら、弱冠十九歳にして此処までの文章力を身につけ、発想力を蓄えているこの小説の作者に対しては、正に「天才」という言葉を感嘆の意味で送るに値する。
そう思いながら僕は、先日望月さんから勧められた小説を読み終えた。
それは、「浅木かける」の第二作目「ふきでのけもの」だった。
屋上の柵から校庭を見下ろすと、野球部やサッカー部が後片付けを始めている。
部活動も軒並みに終了する時刻に差し掛かっているということは、そろそろ此処も閉めなければいけない時間だ。
あまりギリギリで出るのも気が進まない。
今日は二冊も此処で本を読んだので、遅くならないうちに帰路に立つことにしよう。
そう思いながら、小説をカバンの中にしまうと、入り口の扉に手をかける。
すると、僕がドアノブをひねるよりも先に、扉が開いた。
「おぉ、善一。遅くなってすまないな。待ったか?」
「待ってない」
「そうか、善一も今来たところか。なんだ、このやり取りは初めての逢引のようで何だか小恥ずかしいな」
頭を掻きながら照れている望月さんを見ながら僕は大きく溜息をついた。
「僕は十五時過ぎから此処にいたよ。僕は君がそろそろ保健室で起きる頃だと思って、その前に君を撒いて帰るつもりだったんだ」
「なんだそうなのか。しかし善一、私は昨日の夜はよく眠ったので、少し早く起きることができたぞ。よかったな!」
彼女には、僕の日本語は通じないらしい。
彼女に友人宣言をされてすでに二週間が立つが、大体いつもこんな調子だ。
この二週間のうち、もうすでに七日も彼女に捕まって一緒に下校する羽目になっている。
これが二人共一般的な生徒であれば、噂の一つや二つ立っていても不思議はないのだが、僕ら二人に限って言えば、その心配はもう少し先だろうか。
「ともかく、今日も一緒に帰路に立とうではないか」
そう言いながら望月さんは僕の腕をぎゅっと引っ張る。
いくら僕が朴念仁のようだとは言え、年頃の女子と密着することに何も感じないわけではない。
「あのな、望月さん。僕だって一応健全な男子高生な訳で、それに対して君はあまりにも無防備……」
と、僕が説教を仕掛けた所で、僕は彼女の背中にある大きな持ち物に気づいた。
「なにそれ?」
望月さんはしばらくキョトンとしてから、自分の背中を見やる。
「ん、あぁこれか?アコースティックギターだ。善一が屋上を開けているというので、日笠先生にお願いして持って来たのだ。屋上なら周りを気にせず音を出せると思ってな」
「僕が開けているということは、僕がいるってことなんだけれど」
「まぁ、固いことは気にするな。しかし今日も保健室で寝過ごしたので、あまり意味はなかったがな」
彼女は始業式が明けてから、登校はしてくるが、授業にはほとんど出ていない。
編入時に周りに溶け込めなかったことがどうやらその習慣を根付かせてしまっているようだ。
しかし、彼女は意外にも勉強はそれなりにできるようで、それでも留年を回避できる成績はキープしているらしい。
だが、先生としてはこのまま行けば、卒業に支障が出るかもしれないので、できるだけ早めになんとかしたいようだ。
「今日は仕方がないので、また明日にするよ」
鍵を返却するため、職員室に足を向けながら雑談を交わす。
「楽器をやるなら軽音部に入ったらどうなんだよ。あそこなら気にせず音を出せるだろ」
「む、善一は音楽のことをなにもわかっておらんな」
「はいはい、わかっておらんよ。聴かないからね」
軽く会話を交わしながら、一礼して職員室の扉を開ける。
入り口付近にあるキーボックスに屋上の鍵を返却すると、再度一礼をして職員室を出る。
ちなみに、この一連の流れを職員室の中にいる教員は誰も見てなどいない。
「軽音部の連中は、信念がない!やれ、ギターを弾ければ格好いいだの、モテるだのと言いながら、一番女子に受けるようなアーティストの選曲でライブして、女子からキャーキャー言われることしか考えておらん!非常に不純な連中なのだ!」
望月さんの話はまだ続いていたようだ。
「良いんじゃないのか。その後真剣なら、動機は何でもさ。今活躍してるアーティストだって、動機はそれかもしんないしさ」
「む……。まぁそれはそうなのだが……」
彼女の言いたいことはわかるが、しかしまぁ、結局世論は経過ではなく、過程ではなく、結果なのだ。
完成した形こそが、完結した答えこそが、正解であり至高であり最高なのだ。
僕らのような単なる一般人が、何を言ったところで、それは揺るがない。変わらない。
「そうか、そうだな。連中がその後しかと音楽と向き合うというのならば、認めてやろうではないか」
「君は一体どういう目線なんだそれは」
「まぁ細かいことは気にするな。とにかく私が軽音部に入ることはないということだ」
要約すると彼女は、軽音部は客観的にチャラチャラしてる感じがして入りたくないという事みたいだ。
そんな話をしていると、気がつけば校舎を出て帰路についていた。
「善一は音楽を聴かんと言ったが、嗜むこともしないのか?」
「そうだな。嫌いというわけじゃないけど、本を読むことの方が好きだからな」
「本を読む時に音楽を流したりはしないのか」
「二つのこと、同時にできないんだよ」
「二つのこと?」
望月さんは、理解ができない、という顔をしている。
「ほら、歌には当然歌詞があるだろ。聞き取ろうとしてしまうし、意味も考えちゃうんだよ。つまり、歌をBGMに出来ないんだ」
僕がそういうと、望月さんはハッとした顔をして、すぐにパァッとした顔になった。
「善一は、歌を作るものにとって冥利に足りうるリスナーと言うわけだな!」
望月さんは満面の笑みを浮かべながらうんうんと一人で頷いている。
「いや、望月さん。意味がよくわからないんだけれど」
「いいか善一。歌を作ると言うことは、そこに込めた物が少なからずあると言うことでな。作り手としては、自分の作品が人に理解されることは素晴らしく喜ばしいことだが……残念ながらこの現代において、楽曲が作品性で評価されることは少ない」
さっきとは打って変わって、望月さんは深く沈んだ顔をする。
「最近じゃ、商業音楽は消耗品なんて言われているもんな」
「そうなのだ……。時代の進化に沿って媒体が進化して、一曲ごとに対する大衆の価値観が変わってしまった。それはとても寂しいことなのだ」
どうにかしたい。でもどうにも出来ない、どうしようもない。そんなやり場のない憂いを帯びたような彼女の横顔を見ていると、二週間前屋上で言っていた彼女の言葉をなんとなく思い出した。
「この世界をクズと思っている……か」
彼女の顔は憂いから、真剣な顔に変わる。
「そうだ。真に良いもの、光るべきものがこんなに溢れているのに、殆どの人は世論にそれを選び見つけることを委ねている。だから真に尊く、素晴らしいものは『世界』に切り捨てられてしまう。そう思わんか?」
彼女の表情は、いつにも増して真に迫るものだったので、僕もなんとなくそれについて考察をしてみる。
「見解の相違だな。現状に対しては同意するけど、僕は人が世論に才能人を選び見つけさせることは悪いとは思わない」
「ほう、それはどうして?」
「才能人を見つける人も、才能人を見つけると言う才能人だと思うからだよ」
「んんん?才能人を見つける人が才能人?」
「そう。才能のある人間を見つけることもある種才能と言える。だから現状、才能のある人が埋もれていく、尊いものが失われていくのは、そう言った人種が才能人に対して絶対的に少ないと言うことと、あとは大人の事情なんだと思ってる」
「ほぅ、なるほど。全く違った見解の切り口だな。一理ある」
望月さんは感心したと言わんばかりに、うんうんと一人で頷いている。
「まぁ、音楽に限らず芸術作品ってのは大多数が、浅く理解するだけで充分だと考えてるから、世論に発掘を委ねている現状は仕方がないんじゃないか?」
「む、そうだな。芸術観の押し売りは私もよくないと思う。しかし、善一の理屈にしろやはり現状は良くないことには変わりはないのだ」
「成る程、確かに音楽を作品と捉える人が増えれば、もう少し世の中の音楽への関心は形を変えるかもね」
望月さんは、再度うんうんと首を縦に振った。
「ならばこそ、話は戻るが、善一の様に歌を一作としてしかと耳を傾けるリスナーは、作り手側にすれば喜ばしい存在なのだ!」
「なるほどな。しかし望月さん。大事なことを忘れてるようだけれど、そんな僕は音楽を殆ど聴かないんだよ」
「む、そうであったな……」
望月さんは頭を抱えて悩んでいる。
しかし、彼女のように作品と向き合いながら触れていく人間なんて、ましてやそれが若者ともなれば殆ど存在しないに等しい。
それも仕方ないことなのだろう。今の話を繰り返すようだが、やはり時代と共に科学は進歩し、人間の手によって作られる芸術作品への関心は日に日に廃れていっている。
そんな現代人の台頭に立とうと言う僕らのような若者が芸術への関心が薄いと言うのは、当然のことなのだ。
比較的芸術への理解がある僕ですら、音楽は自分にとっては文芸の二の次である。
「英語なら……英詞ならどうだ?英語は得意か?善一!」
「なんだよ、藪から棒に。勉強の話なら、英語は苦手じゃない方だけれど」
「話せるのか?!聞き取れるか?!」
「そんな訳ないだろ、外国に行く用事がある訳じゃあるまいし。リスニングも上手くはないよ」
「そうかそうか。それならばいいものがあるのだ」
望月さんは、ホッとした顔をするなり、自分のカバンの中から何かを取り出した。
彼女が手に持っている物は、どうやら二枚のCDのようだ。
「このご時世にCDを持ち歩いてるなんて珍しいな。で、なんだよそれは」
「私の敬愛するMR.BIGのベストだ!それと洋楽ならば当然、Beatlesも抑えなくてはな。貸してやるので、聴くといいぞ」
「待てよ、さっきも言ったけど僕は歌が聴けないんだって。嫌いじゃあないけどさ」
「英詞ならば、意味を考えずに済むのではないのか?」
なるほど、そう言うことか。確かに僕はリスニング力が高いわけでもないから、英詞ならなにを言ってるか聞き取れない。
そう言うことなら『言葉が耳に入ってくる』と言う感覚は、すこし薄れるかもしれない。
かく言う僕も、自分が何故音楽を聴きながら本を読めないかを知っているかと言えば、無論試したことがあるからだ。
本を読む際に、雑音にならないBGMが有るなら僕もやぶさかではない。
「一理あるな。僕も文芸以外に全く興味がないわけじゃないし、ありがたく借りてみることにしよう」
そう言って僕が彼女からそれを受け取ると、彼女はたいそう嬉しそうな顔をする。これは明日にでも感想を聞いてきそうな勢いだが、まぁ自分のペースで聴くとしよう。なんて、考えている僕もなんだかんだでブレない男だ。
「これで善一がすこしでも音楽に興味を持ってくれると私は嬉しいぞ。善一のことを思って洋楽を渡しはしたが、やはり日本人だからな。私は邦楽の方が好きなものは多い」
「へぇ。バンドマンとか、プレイヤーの人は洋楽好きなイメージがあるけど」
「何を言うか!そんなものは七十年代のシーンが生んだ過去のイメージだ!日本語には英詞にはない表現と哲学があるのだぞ!」
くるくると、嬉しい顔や怒った顔に変えながら賑やかに熱弁する彼女を見て、僕はすこしだけ吹き出した。
すると彼女はまた、頭から煙を出しながら僕に不満をぶつける。
「な、何がおかしいのだ……っ!」
「いやさ。望月さんって、立派にエンターテイナーなんだと思ってさ」
「どう言う意味だそれは……?」
「褒め言葉だよ」
僕はくすくすと笑いながら、彼女と残りの帰路を歩いた。
なんだかんだ悪態をつきながらも、彼女とのこの日常はまぁ、悪くない。
何の感情移入もなく読んできた青春文学とやらも、今なら少しだけ理解できそうな気がした。
そんな彼女に抱いていた『気の緩み』みたいな物が、結局払拭されることになったのは、家に着いてから三時間程経過した後だった。
「雑音にしかならない……」
彼女が貸し付けてきたCDに収録されていた楽曲は、およそ僕のような『音楽ビギナー』がいきなりエンジョイするにはハードルの高い、いわゆるHR/HM(ハードロック/ヘビーメタル)と呼ばれるジャンルのものだった。
金属音のようなギターサウンドをかき鳴らしながら、その上に外人特有のハイトーンボイスが乗っかった、中毒性を感じさせる九十年代の古臭いサウンド。
僕にとっては雑音でしかない。
「あいつ、明日会ったら覚えておけよ……」
少々怨念めいた声を上げながら、ボリュームのつまみを絞る。
流石の僕も、『The Beatles』くらいは耳にしたことがあるし、後ろの収録曲の目次を見ても、タイトルを知っている曲が二、三曲あるところを見るとどうやら、こちらは問題なさそうだ。
仕方ない、MR.BIGとやらの鑑賞は早々に諦めて、今日のところはこちらでBGMを試して見るとするか……。
―――”善一の様に歌を一作としてしかと耳を傾けるリスナーは、作り手側にすれば喜ばしい存在なのだ!”
ふと、帰り道で望月さんの言っていたことを思い出す。
一作、か。僕が帰り道で言及していた部分は、文芸に通ずる「詩」の部分ではあったが、しかし楽曲だって作品なのだ。
作り手にとってはどちらをとっても決して安いものではない。言語の壁があるなら尚更、そちらは余計にないがしろにする部分ではないのかもしれない。
しかしエンターテイメントの類は、各々の楽しみ方を見つければそれで良い、と言う見解もある。
ならば僕が今やろうとしていることは間違いとは言えないのだろうが……。
「言葉の意味……ねぇ」
音楽に国境はない、と言う格言はちょくちょく耳にする。
それは歌詞の言語が何であれ、そこに詰めた想いは音に乗って届くからだと言う。
……まぁそんな馬鹿げた妄言を信じるわけではないが、それに準じて作られた作品性が、言語の壁を超えてしかと評価されて行くと言うことだろうか。
ならば、言語はともかくこの雑音に聞こえる何かも、彼らにとっての想いであり、一作なのだろう。
全部聞いて、それでもダメなら……それは"僕には合わなかった"ってだけだ。
彼らの作品を雑音で片付けるには、もしかするとまだ早いかもしれない。
僕は手に取った空のCDケースを元に戻し、再び椅子に腰をかけた。
青春だったのだろう……彼らにとってはこれが。何にも代え難い時間を培ったものであり、場所であったのだ。
そしてたどり着いた音楽性がこれだったのだろうか。
そう考えると、聴けないこともない気がした。…………いやしかし、やはり気がするだけで、耳障りだ。
そんなことを考えながら、彼らの歌を聴きながしながら、僕は今日読んで過ごす本を物色することにした。
もう七、八回ほど曲が切り替わったかという頃に、少しだけ今までの雰囲気と違う入りで、楽曲が始まった。
相変わらずハイトーンなボーカルだが、今までの曲よりも少しだけ優しい声色で、バックで鳴るのは綺麗で歪みのないアコースティックギターのサウンドだった。
……僕は、今までのギャップからか、その曲に耳を奪われてしまった。
綺麗な歌声を追うように、耳にしかと印象を残すノスタルジーなメロディラインで、合唱する声。
そこにまた被せられる、ハイトーンで歌い上げるボーカルのフェイク。
先程までのハードロックの印象は露と消えて、まるでハリウッド映画のワンシーンのバックを飾るようなバラードを歌い上げる彼らの音楽に、気づけばずっと耳を傾けていた。
その曲が終わった頃、僕はあわててCDプレイヤーの画面を確認する。どうやらこの曲は九曲目らしい。
CDケースの裏面を見ながら僕はこの曲のタイトルを確認した。
「To Be With You……」
この先ずっと、忘れることのないタイトルを僕が知ったのは、この時が初めてだった。
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