第4話 友人
「ときに、善一よ」
偉そうな話し方をする上に、初対面からすでに何故か、彼女は呼び捨てだった。
何故か僕の名前が相当気に入ったみたいだ。
「善一は、放課後はいつも屋上にいるのか?」
「いつもじゃないけど、天気が良くて、放課後にすることがない日は大体いるよ」
「そうなのか。屋上で一人きりとは、健全な男子高校生たるもの、もっと楽しい放課後を過ごしてはどうだ?」
「放課後まで保健室で寝て過ごす奴に言われる覚えはないな。それに、僕は屋上で一人きりで本を読むのが楽しみなんだ。充分楽しい放課後を過ごしているよ」
「おぉ、善一は活字を嗜むのか」
彼女は、くるくると表情を変えながら、よく話す娘だった。
先生があんな言い方をするから大人しい娘かと思っていたけれど。
「そういえば、ずっと気になっていたんだけど、望月さんってどうしてそんな、侍のような話し方をするんだ?」
僕はどうせだから、さっきから気になっている話題を振った。
すると、彼女は意外と虚をつかれたような顔をして、少しだけ間があってから答えた。
「いやぁ、これには深くはなくとも、恥ずかしい訳があるのだが」
そう言って綿紗を当てた頬をかく。
「私の父方は、実は由緒正しい貴族の血が流れて居てな。そして、私の父自身もやり手の青年実業家だったらしく、物心もつかぬ幼い頃は、私の家もそれなりに裕福な家だったと聞いた。私は、そんな父の事を小学生の頃に祖母から聞いて、尊敬していてな。父の娘であることに恥じないよう、規律正しい話し方を、幼いながらに勉強しようとしたのだが」
彼女の話し方から察するに彼女の父親はもう、亡くなっているらしい。
彼女はそれを明言してはいないが、深くは聞かない方がいいだろうと僕は黙って聞く。
「しかし、私は善一のように活字の本を、当時は全く読めなくてな。資料として取り入れるものが、漫画やアニメなどしかなかったのだ。そして、当時は敬語と謙譲語の違いがわからなくてなぁ……。気づいた時にはこのような話し方が定着してしまっていたのだ」
彼女は、恥ずかしそうに、にひひと笑った。
「あぁ、しかし今は違うぞ。変わらず漫画やアニメなども好きだが、活字の本も嗜むようになった。最近では浅木かけるという新人作家が私の中ではイチオシでな」
浅木かける。僕が先程まで読んでいた本の作家であった。
「“いつかとは言わない”は、さっきまで読んでいたよ」
「ほう、やはり本の見識が広いな。そうかそうか、当然抑えているか。私もあの作品から入ったのだ」
「三作品出しているみたいだね。まだ読んではないけど、手は出すつもりだよ」
「そうか、ならば詳しくは言うまいが、他の二作もやはりいい作品だった」
彼女は、ひとりでにうん、うん。と頷きながら、嬉しそうに話している。
こんなに同級生とまともに会話を交わすのは、もしかすれば高校に入ってからは初めてかもしれない。
並んで歩きながら話をしたりすることはあまり好きでは無いし、彼女のようによく話す人は正直苦手なのだが、彼女との会話は比較的悪く無いものだった。
お喋りな彼女との話は、職員室に着いた時点で一旦終わった。
「失礼します」
礼を交えて一言、その後に職員室の中に入る。
「あら、市川君。今日は随分遅くまでいたのね」
残っていた日笠先生が、こちらに気づいて話す。
「えぇ、少し居眠りしてしまいまして」
「あら、寝不足は体に毒よ」
先生と他愛もない会話を交わす中、望月さんが割って入った。
「先生、先程はどうも」
「あら、望月さん。無事市川君と会えたのね。良かったわ」
「えぇ、おかげさまで、善一にも挨拶が出来ました」
望月さんは先生に深々と頭を下げる。
「あら、もうそんなにも仲良くなったのね。先生も嬉しいわ」
うふふ、と嬉しそうに笑う先生に対して弁解を申し立てたかったが、変な勘ぐりが入ったりすると面倒に思ったのでやめておいた。
しかし、望月さんも否定せずに笑っているのを見てちょっとだけムカつく。
「二人とも、クラスにも少しずつ馴染めるといいわね」
「えぇ、ご心配をおかけしますが、一年間よろしくお願いします」
普通の敬語で話す望月さんに違和感を覚えながら、あと二、三言交わしてから職員室を出た。
「それじゃ、また明日」
そう言って下駄箱の方にしれっと歩いて行くと、後ろからテコテコと望月さんはまだついてくる。
なんなんだ、一体。用事は済んだはずだろうに。
「善一も、クラスに馴染めていないのか?」
僕の前に回り込んで、僕の目を低い位置から見上げながら彼女は言った。
僕は溜息をつく。
「別に、僕はあまり人と絡むのが得意じゃないと言うだけだ」
「ほう、コミュニケーションが苦手という様子は見受けられんが」
「得意じゃ無いってのは、好きじゃないって意味の方だよ。自分の意思で馴染んでないだけだ。気にするな」
僕は彼女を躱してまた歩き出す。
しかしまだテコテコと後ろをついてくる。
「健全な男子高生たるもの、友人の一人や二人は残しておかねば、先の未来苦労するというぞ。善一にもそういう間柄の人間はいないのか?」
「いないよ。必要ない」
「しかしだな、善一」
「うるさいなぁ!」
苛立った僕は立ち止まり、振り返っては彼女に言葉をぶつけた。
「僕が可哀想に見えてるなら余計なお世話だ。僕は僕の価値観がある。君のものさしで僕を測るのはやめてくれないか。大体、君の方こそ、保健室に書類を届けてくれるような友達すらいないようじゃないか。先に自分の心配をしたらどうなんだ?」
僕が怒鳴るように言ったので、望月さんは少し固まってしまっている。
しまった、少しきつく言い過ぎた、と反省した時には、もう遅く、彼女の表情はずんっと曇っていた。
「仕方ないだろう。皆も私のような気味の悪い女には近づきたいと思わない」
彼女は寂しく笑ってそう言うが、僕はその言葉の意味をよく理解できない。
「気味が悪いって、話し方のこと……じゃないんだよな」
「……善一は、私の噂を知らんのか?」
「……なるほど、想像はついたよ」
彼女が"噂"といった時点で、なんとなく察しはついた。大方、彼女にはそれなりに深刻なバックグラウンドがあって、きっとそれはあまり気持ちのいいものではないのだろう。
そして、編入後にどこからかその情報をリークした誰かがその噂を広めて、彼女の居場所を奪ってしまったのだと推察した。
なんともまぁ、物語で言えば割とありふれた話だ。それでも、そんなことは僕には関係ない。
「まるで悲劇のヒロインじゃないか」
僕は少し皮肉を言ってやったが、彼女の笑みは依然として悲痛なものから変わらない。
なんなんだよ、さっきから。拒絶を無視して無理やり話しかけて来たと思えば、そんなくだらないことで傷ついて。段々腹が立って来たので、僕は溜息をついて、言ってやった。
「あのな。僕は他人のものさしで君を測ることだってしないんだ。僕は僕の価値観でしか他人を見たりしない。噂がなんだか知らないが、僕には関係のないことだし興味もない。それとも、その噂は君にとっても君を測るのに十分な物なのか?」
「それは……」
「だったら、君自身がそんなくだらないものさしで君を測ることをやめたらどうなんだ」
やめとけよ、柄でもない。僕は心の中で自分に言った。
他人に興味はないはずのこの僕が、何をどうして他人のことでこんなにも怒っているんだろう……馬鹿みたいだ。
「善一は……いい奴だったんだな」
彼女は、先程の悲痛な笑みから打って変わって……今度は何故か涙を流していた。
「ずっ……んなごっ……いわれ……ぅう……」
嗚咽を混ぜながら何かを言っているが、全く聞き取れない。ゴシゴシと制服の裾で涙を拭き取りながら話す彼女を見かねて、僕は鞄からハンカチを取り出して渡す。
たかが噂のことで、一体なんなんだろうか。本当に何が起こっているのかさっぱり分からない。逆に興味が湧いて来た。
「他の生徒たちが君に対してどうやって接して来たのか、少しだけわかった気がするよ……。苦労したんだなぁ、君は」
「ぅう……んっ……皆は悪くないのだ」
「全く……なんなんだよ、お人好しかよ」
彼女はそれから、しばらく泣いていたので、僕は帰りづらくなって、一先ず泣き止むまで何も言わずに一緒に居た。
泣き止むと、さっきまでの弱さが嘘みたいに元に戻り、下駄箱についた頃には飄々とした態度で僕に話しかけて来た。
「なぁ、善一はどんな音楽を聴くのだ」
「なんだよ、藪から棒に。さっきまで傷ついてたんじゃないのか。僕には理由はさっぱりだったけど」
「まぁ、それはいいじゃないか。で、どんな音楽を聴くのだ」
「あまり好んで聴かないよ。詳しくも知らない」
「そうなのかぁ。詩を書くから、音楽を嗜むのかと思ったがなぁ」
本当にこいつは……。まぁ仕方ない、確認しなかった僕も悪かった。
靴のかかとをきちんと履くと、僕は先手を打つように正面玄関の扉を開けた。
「じゃあまた明日」
ちなみにこのセリフはもう二回目だ。
しかし、というよりそんな気がしていたが彼女はそのセリフは元々無かったかのように、再びテコテコと後ろを付いてくる。
「善一の家はどの辺りなのだ?」
「……金井町だよ」
「おぉ、ならば徒歩通学か!私も、中野の方なのだ!」
最悪だ、帰り道も同じかよ……。
金井町とは、彼女が住んでいるという中野より、高校から見て少し奥にある。
徒歩二十分くらいの距離、彼女と二人で帰ることになるのだ。
ちなみに、うちの高校は通学時間が三十分を下回る生徒は、駐輪場の敷地の関係で駐輪許可が下りないため、徒歩通学を要せられる。
「望月さん、もしかして一緒に帰らなきゃいけないのかな」
「冷たいことを言うなよ、善一。わたしは一人で帰るのは退屈だ」
帰り道も本来読書の時間なのだが、今日はこの女子生徒の相手をする羽目になりそうだ。気は進まない。
「ときに善一。善一が好んで読む作家を教えてくれないか?私も読書の幅を広げたくてな」
質問が多い娘だ。さっきから僕が質問に答えてばかりだ。
「沢山読むから、これって言うのは難しいな。浅木かけるが好きなら、日代世嗣なんかも読むんじゃないか?」
日代世嗣は、僕が普段愛読する作家の一人だ。もう十五年前からのベテラン作家で、文章力は勿論、多岐にわたるジャンルをしっかりと書き上げる能力は素晴らしく、中でも青春文学やミステリーは目を見張るものがある。
「"暁の後日談"か!映画化されたもの見たが、原作はまだ見てないな」
「"ハンドルネーム"ってミステリーとか、"君とキリギリス"って恋愛物があるけど、そこらへんが読みやすいんじゃないか?」
「恋愛物?善一は恋愛物も読むのか」
「別に、選り好みをしないってだけだよ」
「ほぉ、そうかそうか。やはり健全な男子高生たるもの、色恋の一つや二つに興味が無ければな!」
この娘、もしかして人の話を聞けない病気なのだろうか。
「そんな望月さんは、どんな本を読んでるんだ?」
「私か?私はそうだなぁ、偏らないように読む努力はしているが、やはり青春ものを好んで読んでいるなぁ。人生の思い出は、やはり青春であると思わないか?」
まるで自分はもう通り過ぎたかのような言い方だ。
僕はきっと今まさに青春の中にいるはずなんだろうけど、彼女の言い分はあまり分からない。
「客観視して、『きっと彼らは楽しいんだろうなぁ』とかは思うけどね。自分に置き換えるとどうも、気力を注ぐ気にはなれないな」
「むむっ……そうか……」
彼女は先ほどのことを少し気にしてか、それ以上は何も言わなかった。
「善一はよく言えば固定概念がなく、悪くいえば無関心と言うような男なのだなぁ」
「そう言われるとそうかもな。でもただ面倒臭がりなだけだよ。ズボラなんだ、なにに対してもさ」
「なんと、ズボラはいかんぞ!のちの苦労を生むからな」
「ははっ、何だよそれ。母親かよ」
そう言って少し吹き出した僕の顔を、急に望月さんはじっと覗き込んで来た。
「な、なんだよ、顔に何かついてるか?」
それでも望月さんは、じっと黙って僕の顔を見つめている。
なんだか、このまま見つめられるのは少し、と言うかとても気まずい。一体どうしたというのか。
すると、今度は急に、にっと笑って口を開いた。
「善一は、笑うととてもいい顔をするな。私は笑顔の方が好きだぞ」
そんな用意されたようなセリフを臆面もなく口にする彼女に、僕は面を食らって黙った。
「青春がつまらない、めんどくさいというならば、私が善一を笑顔にしよう。私と善一は、今日から友達なのだ、そうだな?」
「そんな、勝手に決めるなよ。本当に気を使われるのは迷惑だ」
「気を使っているわけではない、私がそうしたいと思ったから言っているのだ。私が、私の価値観で善一という人間に触れて、友達になりたいと思ったのだ。それでも駄目なのか?」
彼女と初めて話してまだ間もない。そんななか僕が彼女から感じたものは『純真』と言ったものだ。
そして、だからこそだろうか。彼女の言葉は、僕のようなひねたやつには綺麗に突き刺さっていく。
「まぁ、そこまでいうなら好きにしたらいいよ」
僕はそんな可愛くない言葉を吐き捨てながら、考えた。
本当に、やめとけよ、柄でもない。それに加えて、らしくもない。
そう思ってしまったのは他でもなく、僕は今まで飽きるようにみて来た小説の、孤独な主人公たちのように……結局、彼女の言葉が嬉しかったからだった。
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