第6話
「ぁ、ああ、主様。私を、こんな不様な姿を晒した私を、助けてくださるのですか……」
魔人が両手を胸の前で組み何かに感謝を捧げている。その姿は真摯に祈りを捧げる修道女にも見えるだろう。その姿形が歪でなければだ。
露出の多い肌は魔人特有の青色で、眼は血のような赤色だ。神を信じない魔人が教会の女の様な格好をするなど滑稽でしかないが、歪なのはそこじゃない。彼に斬られたその首は寸断される直前で、数センチだけを残し辛うじて繋がっているのだ。何せ未だにその刃は首に刺さったままなのだから。そしてその刃をそこで留めているのは魔人の胸元から生えた黒い腕だ。それが魔人の命を救った。
「ちっ!」
剣が抜けないと判断した彼は唯一の武器である剣を迷いも無く手放し、私の目の前まで後退した。
「回復魔法は使えるか」
「ああ、傷を塞ぐ程度なら使える」
いつのまにしたのか右腕の止血は終わっていた。斬った腕があったのならくっつける事も出来たのだが、あの魔力の塊は彼の腕を飲み込んだ。流石に失った腕を生やすのはどれだけ魔法が発展していても不可能だろう。 ……私自身にかけるのなら別の話になるが。言われた通り回復魔法を唱え傷口を塞ぐ。
「……あれはお前と同じ魔力でいいんだな」
「そうだが、私じゃない」
お前が邪魔をしたのか。そう問われた気がした。あれは魔王の魔力だ。そう言っても信じて貰える筈もないし、言う必要もないから言わないが、間違いなくあれは魔王の介入だ。あの魔人が死にそうになったら助けるつもりで最初から仕込んでいたのか。
見ていたのかッ、最初からッ、あの魔人の眼を通して!
「……くそッ」
転生の妨害や今のとどめの妨害もそうだが、今回で魔王も終わらせる気でいるようだ。今までと違い既に大きな差がついてしまっていることを思い知る。噛みしめた歯が口の中で不快な音を鳴らした。同時に私はナイフを構えて走り出した。同じ黒の魔力をナイフに纏わせる。今制御できるだけの少量だが、武器はこれとナイフしかない。それで十分だ。
彼の制止は今度こそ私を止めることは出来ない。魔人の眼は私を見ていない。今しかなかった。この魔人を殺すには今この瞬間しかなかった。そして私はこれを一秒も逃す事なく走った。それなのに私の切っ先は魔人に届くことはなかった。
幼すぎる体が私の思い通りの速さで動いてくれない。既に辿り着いている筈の場所が数歩も前にある。魔人がゆっくりと顔をあげ私を見る。首に刺さっている剣を抜き放つ余裕すらあった。
私がそこに辿り着いた時、魔人は既に後退し木の上に座っていた。
届かない。勝てない。今の私では足下にも及ばない。当然だ。これは魔王と同格の存在だ。今の私が及ぶはずがない。
「……退けと仰るのですね。確かに主様の助けがなければ私は死んでいました。ですが、ですが主様! だからこそッ、今あの男だけは何をしてでも殺すべきですッ! あの男は危険です! いつかきっと主様の害になる! そう嫌な予感がするんですッ!」
恐らく魔王と対話しているんだろう。魔人の意識は既に私には向いていない。当然だ。私に何の脅威も感じていないのだから。そしてそれは魔人だけではない。
「……ッ主様の、仰せのままに」
ぁぁ、私はどうやら唯一の敵にも敵足り得ないと決定付けられたようだ。
「……今回は退くわ。けれど覚えておきなさい。私の名はリリス。主様が創造したこの世で唯一の特別な存在。そして貴方に最も残酷な死を与える存在よ」
それだけ言うと魔人は飛び立ち、その姿はあっという間に闇の中に消えていった。代わりに背中に彼の気配を感じる。
私はこれからどうなるのだろう。呪縛とも言える魔王との関係が断たれた気がした。今までの魔王はどれだけ自分が有利でも、それでも私を唯一の敵と見なしていた。私も独りの世界で、私を置いていく世界で魔王は私が世界に存在している唯一の理由だった。それが憎しみでも怒りでも呪いだっていい。私はその為だけに存在していたのだから。
……私はこれからどうすればいいんだ。繋がりは断たれた。彼にも私を武器として連れていく気は全く無い。戦う力も、その理由も失った。
ナイフを握っていたままだった事を思い出す。反射する光すらない暗闇で、それでもそのナイフの刃は私にはどんよりと僅かに輝いているように見えた。
「……なんだ、そんなことか」
思えば簡単なことだった。世界がどうなろうと知ったことじゃない。私は私の為だけに戦ってきた。そしてそれが今叶わないのなら私が存在している理由はない。
そうか……、私はやっと……。
「――腕が必要だ」
その言葉で終わりに向かっていた私の手が止まる。
振り返る。その瞬間に彼の手が私の頭の上に置かれた。不器用に、けれどゆっくりと言い聞かせるようにその手は私の頭を撫でる。
「失った右腕の代わりが必要だ。どこかにいないだろうか」
ああ、わかった。その実力も含め何一つ想像と違っていて、彼のことがわからなかったが、今、少しだけわかった気がする。このぎごちなく動く手と同じように、彼は不器用で、そしてきっと本当は優しいのだろう。
手を払う。なんたって私はただの子供ではない。無邪気で可愛い、愛でるべき存在では決してない。
「っわたしが……、わたしがなるっ!」
そう、私は強くならないといけない。私は勇者だ。化け物だ。魔王の唯一の敵たり得る存在だ。そして――、
「わたしが、あなたの、右腕になるっ!」
――彼の右腕になる存在だ。
だから、今だけだ。この理解できない感情に振り回されるのは今だけだ。胸を締め付けるこの感情の名前を私は知らない。込み上げてくるこの暖かい涙の理由がわからない。
だけど、もしかしたらこれはきっと、遥か遠い昔の、もう思い出せない程の過去の私が手を伸ばし、届かないとわかっていても手を伸ばし望んでいたものなのかも知れない。
「ジークだ」
未だ真っ暗な森の中を戸惑うことなく彼は前を歩く。何やら最初に私が遭遇したあの魔物の討伐依頼を受けていたらしく、その達成報告の為にサカラという町に行く必要があるらしい。それだけ言ったあと歩き出し、そこからはお互い無言だったのだけれど、前を歩く彼が不意に口を開いた。
咄嗟のことで反応が遅れる。何せ立ち止まって言われるのならまだしも今も彼は歩みを止めていない。
すぐに周囲の気配を探る。ジーク。聞いたことのない単語だった。また私の知らない魔物かとも思ったが、周囲にそんな気配がないことと、彼の態度で魔物の事ではないと判断する。
ならジークとはなんなのか。私はまだ試されてるのだろうか。
「……俺の名前だ。思えばお互い名前すらまだ知らなかったからな」
「ああ、なんだ名前か……」
「お前はなんていうんだ」
「名前なんてない。好きに呼んでくれればいい」
どうせ勇者と呼ばれるまでの番号のようなものだ。今まで通り好きに呼ばせればいい。
急に彼が立ち止まった。何かあったのかと疑問に思い聞こうとした瞬間に彼が振り返った。
「何かあっ――」
「――アリサというのはどうだ」
「……アリサ? ……もしかしなくても、私の名前のことか?」
「ああ。お前が嫌なら他のを考える」
アリサ。
この男はまたもや私の想定外のことをやってのける。人間らしい名前をつけられるとは思っていなかった。いや、名前すら聞かれずおい、や、ガキって呼ばれるのかと思っていた。そして私はそれで構わなかったのに。
「……嫌か?」
表情や声からその意図が読み取れない。何にせよこれは不意打ちに等しい。思えば今日はずっと不意打ち続きだったけど、今日一番は間違いなくこれだ。
「……ふっ、くふっ」
生死が関わらない不意打ちに私は見事にやられてしまう。わけがわからないけど込み上げてくるこれを抑えようと両手で口を抑えてみる。それでもこれは抑えようがなかった。
「くふふっ、ふふふふっ、あはははははははははは――」
いつぶりだ。わからない。覚えてるはずがない。
あり得ない。アリサ? 似合うわけがない。何だその可愛らしい名前は!
「……嫌か」
少し落ち込んだように言う彼の追撃に私は耐えきれず体を折ってしまう。
「あははははっ、い、いやじゃ、ないが。くふっ、す、少し、待ってくれ」
「……ああ。落ち着くまで少し休むか」
「はぁ、はぁ、はぁ。すまない。落ち着いた」
「そうか。なら行くぞ……アリサ」
「っああ……、わかった」
ああ、笑うことでこんなに息が苦しくなるなんて知らなかった。そもそも笑った記憶なんてなかった。慣れてないせいかも知れないが危険なことに変わりはない。もうこんなに笑うことはないと思うが、早くこの名前に慣れないといけない。……せっかく彼がつけてくれた名前なんだから。
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