第4話




 男の後ろをついて歩く。今が昼なのか夜なのかはクソみたいな雲が晴れない限りわかりようがない。

 夜と変わらない闇の中を男は難なく歩いて行く。


 何故見えているのだろうか。私ならともかく目の前の男は一応人間の筈だ。実は獣人だった……というのもないだろう。


 疑問に思ってると男が立ち止まった。


「ここで休む」


 そう言って男は近くの木の枝を適当に切るとそれに火起こしの魔道具で火をつけた。


 私は火を挟んで男の向かいに座る。そして観察するようにその行動を見つめる。

 男が腰の皮袋から何かを取り出し、火で炙る。その様子を暫く見ていると男は物から目を離さず口を開いた。


「自分の食うものは自分で探せ」


 言われて初めてそれが食べ物なんだと気づいた。同時に食べ物をずっと見ていたと思われたことにも気づく。

 完全に男の勘違いだし、私はそんなにがめつく無い。

 無視をしてもよかったが、小さな体は空腹を我慢出来なかったみたいで声の代わりに返事をした。


「……最初から貰えるなんて思ってないからな!」


 何故かわからないけど悔しかった。捨て台詞みたいなことを吐いて近くに生えている物を適当にとっていく。

 木ノ実は魔力を抑えた風の魔法で落とし、生えているキノコは直接手で掘っていく。


 暫くして両手一杯に抱えて戻ると男は少し呆れたようにこちらを見ていた。その目が一瞬だけ光を帯びていた気がする。


 私は自慢するように収穫した物を置くと男が拾っていた木の枝に刺して火にかざした。


 いい感じに焼けたキノコを取ろうと手を伸ばすと私より先に男の手がそれを取った。


「……それは私の物なんだが」


 私のキノコを取り上げた男を睨む。

 自分はくれなかったくせに人のは取るのかと続けて言おうとしたら、あろうことか奴は枝を振りキノコを遠くへ投げ飛ばした。


「なっ!」


 私に飯を食うなといいたいのか!


 一言言おうと立ち上がるが、私を見る男の目がそれ以上を止めた。

 目が微かに光っていた。目の中に光っている薄い膜のようなものが出来ている。

 剣の時と同じ光の正体は魔力だ。


 何故目に魔力の光があるのか。考えられることは魔力による視力の強化だが、そんな魔法百年前には聞いたことがなかった。


 もしそうならこの夜闇の中でも普通に行動できていることに納得できる。


 思考に固まっている私の隙をついて男は積み上げた私の収穫物を木の枝に刺してどんどん投げ捨てた。


 投げ終わる頃には目の光は無くなっていて、ただ呆れたような表情が火に照らされていた。

 山のように盛り上げていた物が殆ど無くなって平らになっている。数個だけ残ったキノコと木ノ実を見たあと、男をもう一度睨む。

 若干の殺意を込めた視線を受けても男の態度は変わらず、挙げ句には溜め息をこぼした。


 瞬間私の中の何かがぷつんと切れた。

 気づけば口が魔法を唱えていて、魔力が指向性を持って蠢めく。

 

 殺しはしない。ぶっ倒す!


 魔力が形を成し魔法に変わっていく。完成間近というところで私の詠唱は途切れた。


「もがっ!」


 詠唱をしていた口に強引に物を突っ込まれた。

 過去にそうやって毒を飲まされた事がある私は急いでそれを吐き出そうとするが、どれだけ強く叩いても物を持っている男の手はビクともしない。


「噛め。毒ではない」


 確かに私を毒で殺す理由はない。そんな手間などかけずに殺す気なら剣を抜けばいい。


 自分を落ち着かせて一口噛んでみる。柔らかくなく、かといって固い訳でもない何とも言えない噛み応えだった。

 強いて言うなら柔らかい物を何度も重ねて歯応えを無理矢理作ったような感じだ。


 ああ、そうだ。何回か前に食べた虫型の魔物の感触に似ている。黄色と黒色のまだら模様で地を這う魔物だ。最大の特徴は力を加えるとぐにっと凹む体にある。衝撃を吸収する為打撃が効き辛い。

 確か剣で細かく切った後火で十分に焼いて食べた。


 あれに比べるとこれは随分ましだ。鼻をつく酸っぱい臭いも無ければ舌に走る痛みや刺激もない。

 まぁそのかわり匂いも無ければ味もない。ただ単に空腹を紛らわす為だけの物みたいだ。


「食べろ。対価だ」


 そう言って男は投げ飛ばさなかったキノコを火で焼いた。


 私の為にとってきたものだし、投げ捨てた物に対する謝罪も対価もないのか。

 そう思ったが味気のない食い物となんとも思ってない男の態度に怒りも消え失せ、どうでもよくなった。


 それから私達の間に会話はなく、ぱちぱちと枝が焼ける音だけが流れる。


 この静かな空間の中で、あの時の会話が頭に浮かぶのは自然の流れだろう。




『武器を拾ってみないか?』


『……近くの村まで送ってやる。ついて来い』



 考えるまでもなくこれは拒絶の意だろう。

 今のところ戦闘以外の何もかもが私の予想像と違う。


 他人を利用するのに何も感じないと思っていた。

 他人の生死なんてどうでもいい筈だと思っていた。


 想像してたものとの違いが私を苛立たせる。考える余裕ができ、考えれば考えるほど程その違いが大きくなり焦りに似た苛立ちが増していった。


 いや、もしかしたら私に未だ武器としての価値を見出せていないだけかも知れない。


 そう思うと一つの違和感には納得が行く。

 そうではないという思いを押し殺し、無理矢理そういう事だと思い込んだ。


 幸い今は魔物が魔王の魔力にあてられ狂暴化している。

 足りないというのなら、好きなだけ私の力を見せてやろう。


「……お前は奴隷なのか」


 不意に男が問いかけた。その問いに私は首を横に振る。

 貫頭衣のような服装だから奴隷だと間違われても仕方のないことかも知れない。現にこの服のせいで一度奴隷商人に売られたこともあった。


 それだけ聞くと男はもう話す事はないというかのようにまた黙り込んだ。

 もう一度場が静まりかえるが、今度は私から話しかけてみる事にする。


「……私は武器足りえないのか?」


「……必要ない」


 素っ気なく返されたその声には一縷の期待すら持てそうもなかった。

 思わず私は立ち上がって叫ぶ。


「何故! あれが私の全力だと思ってるならそれは間違いだ! その剣を貸してくれ! 私は剣術だって出来るしその方が得意だ!」


 懇願のような私の叫びも男には届かない。眉すらも動かさないで男は私を拒絶する。


「ぁ、ああっ」


 駄目だ、ああ、こんな、こんな筈じゃなかった。

 何故こんなにも焦り苛立つのか自分でもわからない。男に拒絶されると喪失感のようなものすら感じてしまう。


「どうしたらいい。どうしたら私を利用してくれる! 私にはお前の力が必要なんだ!」


 不安定な精神のせいで奥に追いやっていた魔力が外へ出ようと体内を蠢く。少しずつ漏れ出した黒い魔力を見て男が剣に手を置いた。


「……お前は奴隷じゃないんだろ」


 警戒しながらも発したその言葉の意味が私にはわからない。それに深く考えている余裕などなかった。


 心臓部分を手で抑えて暴走する魔力を静めようとするが魔王の魔力に感化されいつも通りとはいかない。


「くっ……このっ!」


 出てくるな! 消えろ消えろ消えろ!


「おい、大丈――」


「みぃつけた!」


 声と同時に風が吹き荒れる。その風は一瞬で火を消し辺りを暗闇にした。

 そしてそれだけに留まらず男を吹き飛ばした。


「やっと見つけたわ」


 男の代わりに対面に座るのはピンク色の髪をした青い肌と赤い血の様な目をした女。最初からそこには誰もいなかったかのように座っている。

 事実この女はさっきまで座っていた男のことなど知らないだろう。男を吹き飛ばしたのも座る前に埃を払うのと同じ感覚だ。


 こいつら魔人は人間を敵として見ていない。それは敵として警戒する必要がないくらいに差があるからだ。

 どの時代のどんな英雄と呼ばれるような人間も魔人の前では大人と子供程の力量差があった。

 魔人の敵足り得るのは勇者だけ。いつの時代もそれだけは変わらなかった。


 けど今はどうだろうか。私は魔王のせいで弱体化している。こんな状態でこいつを倒せるのだろうか。いや、逃げる事すら出来ないのかも知れない。


 幼い姿の私を見ていつでも殺せるとふんだのか目の前の魔人は攻撃を仕掛ける素ぶりを見せず、妖艶な笑みを浮かべる。


「一月程前に主様の御言葉を頂いたのぉ。黒い魔力の女を探して殺せってねぇ。最初は主様の言葉でも信じられなかったわぁ。現に見つからなかったしね。けれどぉ……」


 甘ったるい声が耳にまとわりつく。そう言って女は私に顔を近づけた。赤い血の様な目が声とは反対に鋭い光を宿している。爬虫類に似た縦に割れた瞳が私の魔力を捉えている。


「貴女は何者なの? 何故その魔力を宿しているの?」


「風の刃よ!」


 っ魔法が出ない!?

 魔力だけが減り対価として発動する筈の魔法は具現化されなかった。


「ふふ、くふふふふ。あはははははははっ! 無駄よぉ。私に魔法は効かないわぁ」


 そんな、馬鹿なことがあるか! 特定の魔法に強い奴はいたが、それでも全く効かない奴なんていなかった。まして発動すらしないなんてあり得ない。


「ふふふ。不思議そうな顔をしてるわね。安心して貴女の体から出た魔力はちゃんとここにあるわよ」


 そう言って自分の下腹部に手を置く女。恍惚そうな表情を浮かべたあとその片手を私の方に向けた。


「なっ!?」


 私の意思に反して両腕が大きく広げられる。どれだけ動かそうと力を入れても腕はおろか指先すら動かせない。

 腕だけじゃない、まるで金縛りにあったかのように全身を動かせなかった。


「くそっ! 何をした!」


「質問をしているのは私の方よ」


 女の指が私の頬に触れる。頬を這うように動き顎を伝い首をなぞる。

 女の目が私の目を覗き込む。赤く血のような色をした瞳の奥が炎のように妖しく揺らめいた。


「私の目を見て。殺すのは簡単なのよ。ただ私は貴女が何者か知りたいの。その肌と目の色で貴女が魔人じゃないことはわかるわ。けれどただの人ではない。いいえ、人であっていい筈がないのよ」


 ――その魔力は人間ゴミ如きが宿していいものではないの。


「……そう。話す気はないのね」


 答える気がない私に女は諦めたのか首に触れていた手に力を入れる。


「くっ、ぁっ」


 魔人の力は個体差はあれど人間の倍以上はある。本気なら幼い私の首など瞬時にへし折れただろう。

 だが女はそれをせず苦しめるように徐々に力を入れている。弄ぶ余裕があるのか、まだ諦めていないのか。


 どっちにしろ動くことも喋ることもままならない私にはどうすることもできない。


「ふーん。……ま、顔だけあればいいか。このままへし折るのは簡単だけどぉ、どうせなら貴女から貰った魔力を使いましょうか。風の初級魔法だったわよねぇ? こんなものも詠唱無しじゃ使えないなんて……。なんで主様はこんな小娘を気にしたのかしら」


「……く…………そっ、が!」


 ふざけるな、ふざけるな……ふざけるな!

 こんな所で、何も成せていないまま死んでたまるか!


 全身に魔力を行き渡らせる。奥底に押し込めた黒の魔力を解放する。蓋を開けられた魔力は勢いよく私の全身に行き渡り、私の体を蝕んでいく。


 動かなかった体がびくんっと跳ねた。未だに力は入らないがこの魔力を使って強引に動かすことは出来るみたいだ。


 自身を対価にする起死回生の一手に引きつった笑みを浮かべて魔人を見る。

 私の体に溢れそうな程流れている黒い魔力を見て魔人は驚きに顔を染めた。


 ――だがその顔はすぐに笑みを浮かべた。


「アハ、アハハハハ! 貴女最っ高だわ!」


 女は首を締めていた手を離し、両手を広げた。その表情は嬉しそうに微笑み、けれど笑みで細められている目は獰猛な光を宿している。


 両手を広げたその姿はまるで子を迎える優しい母のようにも見えるが、その中身は死者を誘う悪魔に近い。


「はやく、ほぅらぁ、はやくぅっ! 私はね貴女に会えて正直嬉しかったのよ。もし主様の御言葉が本当なら私はもう一度その魔力を食べれる。他のどの魔力にもない、黒くて、濃密で、まるで絶望そのもの。あぁぁぁあああっ! はやく! お願いはやくそれを私に頂戴っ!」


「言われ、なくても!」


 受け止められるものなら、受け止めてみろ!

 女の言った通りこの魔力は絶望の権化だろう。使用者すら蝕むこの魔力を喰らって平気な奴など私はあのクソしか知らない。


 体を蝕む黒の魔力に命令する。私の言うことなど聞くはずもないが、その魔力は私だけでは足りないのか私の全身を蝕みながらもその腕を女へと伸ばした。




「――きっ……たぁああああああん!!」


 侵食が始まるはずだった。この魔力に抗える者など私以外にいるはずがなかった。それなのに響いたのは女の愉悦の声だった。


 何故!? 魔力は今も際限なく女の体に入っている。なのに、何故この女は平気なんだ!?


「ぁああああ、いい、これ、この感じ。私が無効化出来ない唯一の魔力。中から私を犯している感覚、これ、これを望んでいたのよ。主様との繋がりを感じられるわぁ」


「効いて、いないのか」


「あら、何を言ってるの? 効いてないわけないじゃない。ただ私は他の魔人とは違うのよ。いいえ、魔人だけではない、この世に生きる全ての愚物とは違うの。私だけが特別。そう思っていたのよ。けれど貴女がいた。私にはないその魔力を持っている。耐性は私よりないみたいだけど、その代わり貴女はそれを僅かでも制御できている。貴女も私と同じ特別な存在なのよ。だからもう一度聞くわ。貴女は何者なの?」


 途中から女の言葉など耳に入らなかった。もう、どうでもよくなった。力なく腕を垂らして、この魔力に反抗することもなく私はただ笑うしかなかった。


「……はは、はははははは、あははははは」


 効いてないわけがない? 耐性がある? 特別?


「ふざけるな、ふざけるなよ……ふざけるな」


「……どうしたの急に笑ったり怒ったりして」


 こんな魔人今までいなかった。あの魔力に耐性がある奴なんて自然発生する訳がない。創ったのか。お前はこんな魔人を創れるほどになったのか。何体だ、この先何体こんな奴が出てくる。何体こんな奴を創れる。


 魔法を無効化する。黒の魔力にも耐性がある。魔人特有の物理攻撃が効きにくい特性もどうせ持ってるんだろう。


「……むりだ、むりだよ。こんなのもうむりだ」


 やってくれたな、ああ、よくやってくれたよ。私の心を折るには最適な手段だよ魔王。


 何度も何度も死んで。殺す事をなんとも思わなくなって、痛みを痛いとすら思わなくなって、何度も何度も嫌悪と憎悪の眼差しと虚飾の誉れを浴びせられ、死んで、死んで、死んで、死んで死んで死んで死んで死んで――


 お前と同じ化け物。私は今回、いやもう、それすらになれないのか。


「ねえ、気が触れたの? 結局貴女が何者なのかわからないままなんだけど、答える気もなさそうだしそろそろ殺すわよ」


「ははは…………、私は、なんだろうな」


 もう全てがどうでもいいと下を向いた。女の溜め息が聞こえ、そして見なくてもわかるほどに自分の頭上に魔力が渦巻いていくのを感じる。


 まるで断頭台のようだな。為すすべなく首が落とされるのを待つだけ。


 そんな事を思いながら私は目を閉じた。この状況に私の心が何かを感じることはなかった。痛みには慣れている。死にも慣れている。何より私は何故今まで繰り返して来たのか、その理由を見失った。


 渦を巻き昂ぶった魔力が一度上に振り上げられる。それは女の腕と同じ動きをし、振り上げられた魔力は腕と同様一度そこで止まった。

 まるで甚振る為だけに用意されたその時間は、それでも私の表情を動かす事すら出来なかった。


「……つまらないわね」


 女が呟く。それと同時に腕が振り下ろされた。






 女の言葉も、脅威的な魔力も、生と死の狭間も私の心を、表情を動かす事すら出来なかった。それなのに腕が振り下ろされたすぐ後私は顔を上げ、前を向いた。


 何故? それは反射的な動きだった。


「――前を向け!」


 振り下ろされた瞬間、その声が頭上から聞こえた。その瞬間、まず体が動き、彼の姿を見て心が揺れ動いた。


 私と女が驚愕に表情を変える。私の顔に飛び散った赤い液体。次に私と女の視線は同じ所をいく。振り下ろされた筈の女の右腕、それは肘から先が失われていた。



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