第3話


 自分の手を見てみる。幼く小さな手が自分の意思通りに開いたり閉じたりする。足下を見ると地面までの距離が近く、身長が縮んでいる事がわかる。縮むのはいつものことなんだが、いつも通りではない。

 いつもは十歳くらいの筈なのだ。だがこの低さは恐らく五歳くらいの時の私だろう。


 何故あいつは今回こんなに幼い姿にしたのか。考えようとしてふと気がつく。


 最初は夜だから暗いのだと思った。

 ひしひしと感じる魔力は私を囲んでいる魔物からかと思った。

 だが違う。この魔力は上から――空から来ていた。


 辿るように空を見上げる。太過ぎる木々の枝葉がこの場所を覆うように生えてはいるが全く光が届かないというわけではなさそうだ。所々ある隙間から空が見える。


 隙間から見えた黒く厚い雲。太陽の光も、星や月の光も隠すその雲から満ちている魔力には覚えがありすぎた。


 ――お前かっ!


「くそっ、くそっ、くそがっ! 魔王! 魔王魔王め! やってくれたなっ!」


 堪らず叫んだ。耳に聞こえる幼すぎる声に苛立ちは増していく。


 幼すぎる事も、魔物に囲まれているという状況も説明がついた。年齢はともかくあの女神が危険な場所に送るわけがない。


「私が何も出来ないと思ったのか! ここに置けば勝手に死ぬだろうと思ったのか!」


 ふざけるなっ!


 唸り声と殺意だけを振りまく魔物を睨む。警戒してるのか何なのか知らないが一向に襲ってこない。

 この銀色の狼は何か目的があるのか、無闇矢鱈に攻めてこない知性があるのか、初めて見る魔物だからわからない。


 殺した事がない魔物だった。その強さも特異性も私には未知だ。


「上等だっ! 殺してやる! ぶっ殺してやる!」


 装備は貫頭衣のような布切れ一枚。剣もなければ槍もない。防御性も攻撃性も何も持ってない。


 そう思って舐めてるのか!


 瞬時に両手に魔力を込める。火は――ダメだ。


「風の刃よっ!」


 単独詠唱で生み出された不可視の刃が風切り音を響かせ飛んでいく。ウルフなら絶対に反応できない速度のはず。

 だが魔物は反応し大きく横に飛んで避けた。


「ちっ! 風の尖兵刃を纏い――っ水の盾!」


 強い魔力を察したのか魔物が同時に飛びかかってきた。瞬時に詠唱をやめ四方向に水の壁を作る。


 くそ。本来なら詠唱は剣で戦いながらしていた。盾役もいないのに呑気に突っ立って詠唱なんて出来るわけがない。


 武器がない。体が小さく体力も魔力も全盛期ほど無い。戦う術が魔法しか無く、その魔法も詠唱が出来ない。

 単独詠唱の弱い魔法は避けられて魔力を無駄に使ってしまう。


 魔物達は再び距離を取っている。さっき魔法を避けた距離。恐らく奴等が攻撃に対応でき、尚且つ私に詠唱させる時間を与えない距離だ。


 どうする。このまま魔物に殺されるくらいならいっそ火の魔法で辺りを燃やすか。

 今の私では燃え広がる火から逃げることが出来ないと思ったが、水魔法を乱発すれば私の逃げる道くらいは出来るか?

 ただこの魔物が火の魔法に怯むかどうかだ。火が効かない魔物だった場合はただの自殺行為にしかならない。


 今は魔法を使った私の事を警戒しているのかすぐに襲ってくる気配はないが、それもいつまでもつかわからない。


 くそっ! 私はこんな所で終わるわけにはいかないんだ!


 左右の魔物に腕をくれてやる。後方の魔物は単独詠唱で牽制し遅らせる。前方の魔物には蹴り足を出し、当たれば重畳。当たらなくても足が一本ダメになるだけだ。腕同様あとで治癒魔法をかければいい。


 一か八か、死ぬかも知れない捨て身の作戦を考える。


「風の刃よ!」


 背後の魔物目掛けて魔法を放つ。案の定そいつは大きく飛んで避けた。


 即座に詠唱を始める。


「風の尖兵刃を纏い――」


 私が詠唱を始めたのを見てすぐに飛び込んでくる。

 腕と足はくれてやる。賭けは背後の魔物の牙が私に届く前に詠唱を終わらせることだ。


 ――結果的に私は唱えきることが出来なかった。


 魔物の牙が私に届こうかという瞬間。

 私が最後の一節を唱えようとした瞬間。


 その瞬間に私と魔物の体は動きを止めた。


 さっきよりも明確な死の気配が鋭い剣のように突き刺さる。膝が震え足に力が入らずその場に座り込んでしまう。

 死には慣れている。憎悪には慣れている。憎悪はいつだって私に向けられ、いつだって私が向けて来たものだ。


 だが、私はここまでの憎悪と殺気を向けられたことはなかった。

 その二つが意思を持った何かに感じられる。私と魔物の動きを奪い、命を刈り取ろうとする何か。


 ――死神。


 その文字が頭に浮かんだ時女神の言葉を思い出した。


 音も無く男が歩いてくる。目を凝らさなければわからない程に暗闇と同化しているのに、その存在だけは見えなくても感じられてしまう。

 男の纏う憎悪と殺意がいくら風景と同化しようとその存在を知らしめる。

 お前の敵はここにいる。そう言ってるかのようにすら思えてしまう。


 自然な動作で抜かれた剣の切っ先が反射する光もないのに僅かに輝いて見える。

 魔力だ。

 その光の正体に思い至った時、それが私の顔の横を通り抜けた。


 意図せず息を呑んだ。それは背後の魔物の気配が無くなったことではなく、剣が私の顔の横を通ったことからでもない。


 私を見ていなかった。


 一瞬目があったかのように思った男の目には私が写っていなかった。恐らく落ちている石か何かにしか思ってないんだろう。

 その事に気づいて私はこの憎悪と殺気が私に向けられていないことを知った。

 その事実に息を呑んだ。


「……か、かぜのっ」


 出た声は自分の声かと疑うほどか細い声だった。その変な声が可笑しくて少し体の緊張がほぐれた。

 一度深く呼吸をして、男を見る。


 男は二体目の魔物から剣を抜く所だった。私の変な声にはなんの反応もしていないみたいだ。

 それはそうか。あの男にとって今の私は石と同じ。まだ――。


「風の尖兵、刃を纏いて駆け抜けよ。其は暴風の刃、我が敵を切り刻め」


 くそ長い詠唱を省略した簡易詠唱。省略した分余計に魔力は取られるが、私は一人でずっと戦って来た。長ったるい詠唱をするより魔力を多く取られる方がマシだ。

 それに今は時間をかけてる暇はない。


 目の前で可視化できる程の風の塊が生まれる。その塊はよく見ると馬の形に似ていて、宙に浮かんでいる四つ脚の前二本が大きく空に上がった。


「駆けろ」


 暴力的とも言える風が後ろにいた私の髪や服を巻き上げ突き進んだ。


 風の上位魔法の一つ。簡易詠唱なので完全には馬の形にならなかったし、その速度も完成形よりは遅い。だが風の刃より断然に速いし、何より込めた魔力の分だけ状態を維持するのが特徴だ。


 最後の魔物の側にいた男がその場から一瞬で飛び退いた。

 風の尖兵は魔物の体をすり抜けその姿を消した。後に残ったのは細切れになった魔物だった物だ。柔らかい部分も硬い部分も魔核さえもその暴風の前では等しく切り刻まれる。


 目的を達成した私は今度こそ男と目が合う。その憎悪に満ちた黒い瞳にはちゃんと私が存在している。


 ああ、やっぱり似ている。


「……お前」


「それは私の獲物だ」


 何か言われる前に私は私の言いたい事を口にする。


「助けてくれなんて言った覚えはない」


 実際この男は私を助ける気なんて欠片ほどもなかっただろう。


 男が剣を手にして私に近づいてくる。目の前にまでやって来た男は何かに驚いたように僅かに目を開いた後、剣を鞘に戻した。


「……そうか。すまなかったな」


 それは予想もしていなかった言葉だった。男の口から素直に謝罪の言葉が出てきた事に驚いた。


 私の驚きをよそに男はそれだけ言うと用は無いとばかりに背を向けて歩き出す。

 慌てて私はその背中に声をかける。


「待って!」


 振り向いた男に私は歯をむき出しにして笑顔を作る。

 自分でもわかってる。それは五歳の子供がするようなものでは決してなく、凶悪で獰猛な可愛げの欠片もない笑顔だ。


 初めて会った時から言葉は決まっていた。私の力も一応魔法で示した。

 この男はわかった筈だ。この小さな体にあの魔物を魔法の一発で殺せる力があることを。そしてまだ余力を残しているだろうということも。



「武器を拾ってみないか?」


 ――魔物をより多く殺せる武器を。




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