12. 過去より今を

『いい? わたくしから、離れては駄目よ。離すのも、駄目よ』

『えぇ、なんで? ここは精霊の森だよ。危ないことなんてないよ?』

『馬鹿おっしゃい。精霊の森だから、よ。精霊の、末路もどこかにいるわ。彼らは、わたくしたちを未知のどこかに飛ばしてしまうことがあるのよ』

『末路? なにそれ。そんなの、アルテミスがやっつけてくれればいいじゃん』

『……もう、あなたって子は。まあ、そうね。守ってさしあげるわよ。大船に乗ったつもりでいるといいわ、ハウル!』

 ――品のある仕草をする、全体的に白銀色の女性は、自信満々に、紅緑色の髪の少年に宣言した。

 そこまでで、場面が変わった。

 変化した場面では、衰弱した女性が、今にも泣き出しそうな少年に、そっと囁く。

『いい? ハウル。わたくしはどうやら、死んだら転生するように、お偉方が指示を出しているようです。だから……』

『やだ、やだよ! 死なないで、アルテミス! それなら、ぼくも一緒に』

『馬鹿おっしゃい。あなたは、まだ生きられるでしょう? それこそ、転生したわたくしに、会えるほどには』

『アルテミス……!』

 アルテミスの身体は、真っ白に輝く。それが、意味するものは。

 ――ごきげんよう。ハウル。いつの日かまた会いましょう。

 純白の視界のなか、ハウルの叫び声が。半泣きながらに、響いた。

 ――絶対、ぜったいだからな…………!



 リースが現実で目覚めて、最初に見つけた色は、長い紅緑色の髪だった。次に、しっかりとした肩と、ゆらゆらとする身体で、背負われていることに気づく。

 目覚めたことに気づいたようで、その人物が斜めに動き、深緑色の瞳とまともに目が合ってしまう。

 あることを伝えたくて、けれど言葉がみつからず、戸惑いながら、名を呼んだ。

「……ハウル、さん」

 見た過去より、ずいぶんと成長した精霊。それは、リースの前世――アルテミスが亡くなってからの永い時を示した。

「……いつ、気づいたの」

 淡々とした口調に、どこか寂しさを覚える。

「……夢を見るみたいに。……過去を、見ました」

「…………そう」

 すべてを悟ったように、ため息をつきながら、リースを背から降ろした。

 どう伝えたらいいのかを迷っていたら、言葉が降ってきた。

「きみは、僕をどう思う?」

「……、アルテミ」

「アルテミスじゃない、きみに聞いている」

「……え?」

 ハウルは、冷めた顔をしながら、やわらかに聞いてくる。

 まじまじと、ハウルの全身を見上げる。

 青年は、冷めた顔をしながら、雰囲気は森林のように、人を落ち着かせてくれる印象に見える。

 過去の少年と、あまり同じ人のように見えないのは、なぜか。

 彼は、とても永い時を生きたのだろうか。時が、ひとを変えてしまうのか。

 ――いや、外見が変わったからと、中身まで変わったのか? いや、彼は、変わりたがっていないかもしれない。もしかしたら。

「あなたは、自分が変わってしまうのを、恐れているんですか?」

「……質問したのは、こっちなんだけどな」

 そう言いながら、さして不機嫌になることもなく、淡々とした口調で、リースを見つめ返す。

「きみは、アルテミスとは似てないけど、違うわけじゃないね。不思議だ」

 互いに、質問には答えない。答えないことで、肯定する。ちぐはぐなようで、そうでもない会話。

 けれど、リースはまだ、伝えなければいけない想いを、言えていない。

「あなたは、私を助けてくれるのですね」

「……きみは、もうちょっと安定してくれないかな。危なっかしいよ、とても」

 会話が、終わりに近づく。けれど、リースとしてはまだ、終わってしまっては悲しい。しかし時間は有限だ。外は、朝になる。

「……約束は、果たしたかな」

 ハウルの身体が、遠ざかっていく。

(待って……)

 同じ魂の、それぞれの心が、鳴る。

 白銀のひとは、少年の頭を撫でるのが、好きだった。行動は時に、言葉よりも雄弁だ。

 そっと、つま先立ちをして、できる限りに腕を伸ばす。長身の青年に、「アルテミス」の想いを、寄せるように。

「――馬鹿おっしゃい。まだ、消えるには早いですよ。……きっと、『彼女』もそう言いますよ」

 ハウルは、「アルテミスの転生」という、最後のつもりの未練を、見届けた。だが、まだ生きられる。

 アルテミスと、リース。一つの魂の、二人の想いを、彼女の口癖と自身の口調に込めた。

 ハウルの瞳が、丸く、見開かれる。その顔に満足して腕を降ろした――寸前に。その腕を、ハウルは掴んだ。

「……なら、どうしろと?」

 その問いの答えは、リースにはわからない。決めるのは本人だろう。

「アルテミスときみは、やっぱり似てない。きみは、弱い」

 だからなんだと、青年を見上げて――今度はリースが、目を見開く。

 ハウルは、やわらかに笑みを浮かべていた。アルテミスに対してではなく、目の前の、弱いリースに対して。アルテミスは知らないような、貫禄ある、木漏れ日の笑みを。

「――弱いリースを、そばで守ってあげる」

 言葉は、特別優しいというのでもない。なのに、その口調や笑みは、どこか甘い。まるで、アルテミスがハウルに向けていたような。甘い、やわらかな笑みを。

 ――二つの歯車が、ゆっくりと重なって、今までとは違う音色を、あまやかに奏でた。

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