今日も勇者から逃げてきた。

「んで? そこまできっちり部下が勇者を追い詰めて舞台を整えてくれたってのに、貴方はいかにもな事を言いながらおめおめと逃げてきたわけ? 『いい度胸だ!』とか人に言っておきながら、自分がその度胸が一番なかったていう話? 敵前逃亡? それって完璧敵前逃亡だよね? 戦わずして逃げてきたんだよね? 滅茶苦茶格好つけながら、滅茶苦茶恥ずかしい事を平気でやって来たんだよね? え? 魔王? 誰が魔王? どこが魔王? 何をもってして魔王っておこがましくも名乗ってるの? 今すぐ返上してきたらよくない?」

「…………ううっ、……ぐぐぐっ」


 正座をしながらプルプル震えている男を見下ろしながら、私は仁王立ちで責めに責めた。

 彼は返す言葉がないのか、唸るだけで何も言って返してはこない。

 けれども悔しいのかもしれない。

 顔は俯いていて見えないが、膝の上に置かれた拳は固く握りしめられて手が白くなっていた。


 誤解のないように言っておきたいのだが、何も私は怒っているのではない。

 ただただ、この男が情けなかった。

 情けなくてどうしようもなくて、そして止めてほしかったのだ。今のこの状況を改善してほしくて、私は苦言を呈する。

 まぁ、言葉が厭味ったらしくなったのは否定しない。そこは性分っていうの? 私なりの愛の鞭よね。


 もう何度目になるか分からない話に嫌気がさして、私は大きく溜息をついた。

 ここで、彼がようやく反応を見せる。

 

 何かに弾かれたかのように顔を上げて、こちらを食って掛かってきた。


「だって! だってしょうがないじゃないかぁ!! あんな旅の中盤で勇者がさぁ、命引き換えに俺を倒してくるとか思わなかったんだ! もっと後だろそういう大技は! 城に着いて後俺を倒すだけ! みたいな状況に持って行ってから普通繰り出そうとするだろう?!」


 しかもガチ泣きで。

 逆切れして怒っているわけでも、悔しがっているわけでもなく、大の大人が本気で泣いているのだ。

 大粒の涙を流して。


「……じゃあ、勇者の前にのこのこと現れなきゃよかったじゃん」

「俺は嫌だって言ったんだ! それなのにヴィアンカが『たまには魔王の威厳を見せて来い』って言うし、サルヴァルが『お前は筋肉が足りない』って賛成するし、セヴィアーネは『あの勇者が好みだから生け捕りにしてきて』って言うし、それを受けたクインヴァルが強制的に俺を勇者たちの目の前まで飛ばしたんだ! 不可抗力なんだ!」

「あー……なるほど。相変わらずあんたの兄弟は傍若無人というか、身勝手というか、ドSよね」


 よく話に出てくるこの悪の権化の兄弟はいつ聞いても絶好調だ。いつ何時でも、この魔王を全力でいじめにいっている。

 今回もそのようで、ヴィアンカという一番上の姉の無茶振りで彼は勇者の所に現れなくてはいけなかったという、何とも理不尽な状況になったわけだ。

 その上悲劇なのが、そのヴィアンカの無茶振りを止める兄弟が誰一人としていない。むしろノリノリでそれに協力してしてしまうような奴らしか揃っていないのが、彼をここまで追い詰める。

 そして嫌なのに、こうやって魔王のような振る舞いをしなければならないのだ。


 同情はしよう。

 一から真面目に聞けば、案外聞くも涙語るも涙な話だ。

 今まで私が聞いた中で、彼の不憫さに勝るものがない。


 ————だからか


「だからってね、そういう事があるたびにわざわざ異次元の扉を開いてここに逃げ込んでこなくていいのよ?」


 魔王は逃げてくるのだ。

 私の家に。

 この一人暮らしの狭い1Kの木造アパートの一室に。


 勇者に攻撃されそうだといって逃げ、兄弟に無茶振りされたといって逃げ、部下に下剋上されて殺されそうになって逃げ、魔王の嫁の座を狙う女性に夜這いをされたといっては逃げてくる。

 私のこの狭い1Kに。


 そのたびに迷惑こうむるので止めてほしいというのだが、彼の耳にそれが届いたためしがない。

 魔王は必死だ。

 毎度泣きべそをかきながらやってくる。

 虐められて家に帰ってくる眼鏡の某少年と状況は同じである。


「別にここじゃなくても、もうちょっと手近なところに逃げ場所作ったらいいんじゃない?」

「嫌だ! ここがいい! カナデのこの穴蔵が一番狭くて落ち着くんだ!」

「穴蔵じゃねーわっ!!」


 いい加減腹が立って、魔王の頭にチョップを垂直に落としてやった。



 この男、異世界のいわゆる魔王。

 城も持っているし、勇者とも戦っちゃう。

 黒い髪に黒い服装、ついでに瞳も黒で、頭に立派な角を二本も生やしているし、顔も人を軽く十人くらい殺していそうなほどに凶悪だ。多分、目からビーム出して人を燃やすんと思う。

 雰囲気だけは出ている。雰囲気だけは。


 だが、私が想像するよりも魔王という仕事は彼にとっては重荷のようで、泣いて逃げるほどに大変らしい。


 人使いの荒い兄弟。

 魔王の座を狙う気の置けない部下。

 貞操を狙う襲い掛かる女たち。

 お命頂戴とジリジリと迫ってくる勇者たち。

 そしてまた無茶振りをする兄弟。


 それに毎日一人で対応している彼を本当に魔王と呼んでいいのかと思ったけれど、やはりこれでも魔王らしい。不本意だが魔王である事には変わりはないと、彼は泣きながら話してくれた。


 昨今の魔王も社畜って事よね。

 魔王に休みなし。

 こき使われ、家でも落ち着けるところもなく、仕事ばかりが毎日山のように舞い込んでくる。

 

 そこは日本か! と突っ込みたくなるほどに異世界の魔王城はブラック企業。


「カナデ……俺はもう疲れた。休みたい……休みたいんだ。この暖かなオフトォンで安らかな時を過ごしたいんだ」

「だからって私の部屋で休まないでよぉ……」


 異世界の魔王が安らぎを求めてこの狭い1Kに逃げ込んでくる。

 それはもう見慣れた光景だった。


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