死なない彼女の知らない感情

春日秋人

「死なない彼女の知らない感情」本文


 ここでは星が瞬かない。

 だからなのか、地上で見るよりずっと輝きは強いはずなのに、綺麗だと思えなかった。


 いま、私は宇宙を漂っている。


 なぜかは私にもわかっていない。

 いつものように退屈を持て余し、『棺』の中で眠ったところまでは覚えているのだけれど……

 目覚めると、その棺ごと果てしない宇宙を漂っていたのである。

 ただ、おおよそ理由の見当はつくのだ。

 身に覚えはある。文字通りの意味で。

 原因は私のこの体だ。

 こうして極寒の真空に身をさらしていても、地上となにも変わらず過ごしていられる不思議ボディー。

 呼吸するように胸は上下し、鼓動もある。けれど、それになんの意味があるのだろう?

 女の体であることにも、意味はない。

 人間のフリをしている不死の怪物。

 伝承にある吸血鬼。

 それが私だ。

 つまり人間たちにとって私は、どうしようもなく異物だったってコトだ。

 怪物が同じ星にいては安心できなかったのだろう。そして、どうやってかはわからないけれど、彼らは異物を自分たちの生活圏から追放することに成功したわけだ。

 私が眠る前の人間たちはまだ宇宙へモノを運ぶ手段を持っていなかったはずだから、きっと私が眠っているうちに発明されたのだろう。

 もはや帰還することは叶わない。

 どの星の光が生まれ育った場所の恒星の光なのかさえわからないのだから戻りようがなかった。

 枕が変わると安眠できない派なので、寝床であるマイ棺がいっしょなのが唯一の救いである。

 あと、ハンターと呼ばれる連中に寝込みを襲われる心配がないのもいいかもしれない。

 真空だから騒音もない。

 ……じつは最高の環境なのでは?

 私は棺に横たわると蓋を閉めた。

 やはり暗闇は落ち着く。ふぅ。

 瞼も閉じる。

 もちろん眠るためだ。

 睡眠は私の趣味である。寝付きはいい、と自負している。


 ――――


 さて、宇宙に放り出されてから何年たっただろう。

 100年か1000年か、いや10000年くらいか?

 もともと時間感覚があるほうではないし、ほとんど眠っていたのでさっぱりわからなくなっている。


 ゴッ。ゴッ。


 音がした。

 宇宙空間では音が伝わらないから、遠くから響いてきた音ではない。

 棺から振動が伝わってきたのだ。

 ゴッ。ゴッ。

 まただ。

 棺が叩かれている?

 たんに漂流物にぶつかっているにしては規則正しい音である。

 つまり何者かが私の入っている棺をノックしている、ということだ。

 でも、そんなことってあるだろうか?

 広大な宇宙を漂う私の棺を見つけてノックするなんて……

 しかし疑ったところで意味はない。

 事実として、棺はノックされているのだ。

 ゴッ。ゴッ。

 この棺は、私の意志がなければけして開けることはできない特別製だ。だから、居留守でやり過ごすこともできる。

 しかし、このままでは気になって眠りに戻ることはできそうにない……。

 もしもこれが宇宙人とのファーストコンタクトなのだとしたら、私はどうするべきなのだろう。

 言葉って通じるのかな……と、寝ぼけた頭でいささか呑気なことを考えつつ、私は棺の蓋を開けた。

 果てのない暗黒に、無数の光の粒が散らばっている。すべて遠い星々の光だ。

 しかし、それとは別に、間近から光が差し込んでくる。

 そこにいたのは、淡い光に包まれた『人間』だった。

 たしかに人間である。とくに宇宙人ぽくはない(宇宙人を見たことはないけれど)。

 顔がある。目が二つある。鼻がある。口がある。二本ずつの手足のある。

 人間の男。

 首から下は白く発光する服を着ていた。その服は、つるりとした素材で、縫い目がなく、全身を覆っている。

 全体の印象はひょろりとした優男といったところである。

 そいつは私を見ると、まず驚きに目を見張った。それから柔らかい笑みを浮かべてきた。

「やあ、ようやく見つけたよ」

 私はポカンと口を開けてしまった。

「あ、どうして声が聞こえるかって驚いてる? ふっふっふ、それはね、この光のおかげなんだ! この光は言ってみれば魔法の宇宙服でね。一定の範囲内を最適な環境に染めることができるんだよ。どうだい、すごいだろう?」

 違う。そこじゃない。

 たしかにすごいが、それよりも驚いたことがある。

「貴方……私を探していたの?」

 久しぶりに声を出した。

「ん、そうだよ。はは、じゃないと、こんな場所までわざわざ来ないって。いやあ、見つかってよかったよかった」

「ええっと……そんな軽く言うようなことではないと思うけれど……」

 私の感覚が間違っているのだろうか?

 人間の技術がいくら進んだのかわからないので、はっきりとは否定できなかった。

 環境を染める『光』なんてものが作られているのだ。近所へ買い物へ行く感覚で、宇宙のどこへも自在に行き来できるようになっている可能性もあるわけで――

「うん。まあ、大変だったよ? そうだね、挑戦の数でいえば100万を100万回繰り返してもぜんぜん足りなかった。最初の頃はこの『光スーツ』もなかったから、太陽系を出るだけでも何百年もかかった。でもまあ、大変だったけど、それだけかな。挑み続ければいつか到達できるのはわかっていたからね」

「……だからそれ、軽く言うことじゃないわよ」

 私がため息をつくと、男は照れたように笑った。

「そうかな? だってキミは死なない。つまり時間はいくらでもかけられたんだ。こんなのはゲームの難易度でいえばイージーモードってやつだ」

「もおど? その例えはよくわからないけれど……いえ、待って、私は死なないけど、貴方の時間は有限でしょう?」

 と、口にしてから、私はある可能性に思い至った。

「貴方、もしかして私と同じなの?」

 死なない怪物。

 男は首を横に振った。

「違うよ。残念だけど」

「……そうなの? でも、おかしいわ。言っていることの理屈が合わない

。さっきの言い方だと、ここにたどり着くまでに貴方自身がかなりの時間を費やしたように聞こえたわ。人間の一生ではまったく足りない時間よ」

 私にとっては一眠りする程度の時間だけれど――

 人間の感覚でいえば、それこそ何世代にも渡る途方もない時間だったはずだ。

「あー、うん……そうだね。そうだけど、あー、説明しないとダメかな?」

 目を泳がせる男に、私は視線を鋭くした。

「そもそも貴方の目的は何? 私を見つけてどうする気なの?」

 過去、私を知り、私に近づこうとした人間は二種類だった。

 私を滅ぼそうとする者と、私の力を手に入れようとする者だ。

 前者の目的はほぼ達成されている。

 ならば、男が後者である可能性は高い。

 鋭くした私の視線に男は慌てたようだった。顔の前で手をバタバタと振る。

「待って待って! 違う違う! キミを利用してなにかしようとか、そういうことはないからね!? だからにらまないで!」

「それを信じろって?」

「うっ、そりゃ、証明はしようがないけど……」

 男は情けなく眉の端を下げた。

「ふうん? 正直ね」

「嘘が下手なんだ。顔に全部出ちゃうから。自慢じゃないけどポーカーで勝てたためしはないね」

「まあ、それも嘘かもしれないわけだけど」

「そ、そうだね……」

 悲しそうに伏せられた男の瞳に、少しだけ罪悪感を覚える。

 警戒心は緩めないまま、私は口を開いた。

「……いいわ。ひとまず貴方の言葉を信じてあげる。それで? 私をなにかに利用するつもりはないって言ったわね。じゃあ、どうして私を探していたの? それと、最初の質問にも答えてもらうわ」

 人間の寿命より遙かに長い時間を使って、男が私を探していたことについてだ。

 何故そんなことが可能だったのか。

「うう、改めて言うとなると恥ずかしいなぁ……」

「どういうこと?」

 男の頬が朱に染まる。

 たはは、と照れを隠すように笑った。

 真剣な視線を向けてくる。

「キミを探していたのは、ただキミに会いたかったから。時間を使えたのは、僕が前世の記憶を引き継ぎ続けているからなんだ」

 私は、男の言葉をすぐには理解できなかった。

 意味がわからない。

 いや言葉としての意味はわかるのだけれど、納得がいかない。

 なんで? と頭の中に疑問符が浮かぶ。

 しかし男の表情は真剣で、やはり嘘を言っているようにも思えないのだった。

「えーと……。え? 会いたかっただけ……?」

「そ、そうだよ!」

 男の顔は真っ赤だった。

 耳まで赤くして、まくし立ててくる。

「僕はさ、キミに会うために、何度生まれ変わってもキミのことを思い出してきたんだ。最初は地球中を探して、でも見つからなくて、キミが宇宙に追放されたことを知ってからも探し続けたのさ。ええと、だから、僕はキミと違ってただの人間だけど、何度だって挑戦することができたんだ。ほら、だからキミを見つけるなんてたいしたことじゃなかったのさ。時間無制限のうえに無限にコンテニューできるイージーモードさ」

「まあ、時間を使えた理由はわかったわ」

 生まれ変わりによる記憶の引き継ぎ。

 私のような異常な存在がいるのだから、そのようなものも、また実際にあるのだろう。

「でも、まだ納得いかないわ」

「ええ……? ちゃんと正直に答えたよ?」

「そうかもしれないわね。でも――」

 まだ肝心なことを聞けていない。

「そうまでして私に会おうとしたのは、どうして?」

「うう、それも言わなきゃダメかな……?」

 無言で見つめ続けると、男は観念したようにため息をついた。

「一目惚れだったんだ」

「うん? 一目惚れって、あの一目惚れ?」

「他の一目惚れを僕は知らないかな……。キミは覚えてないかもしれないけど、『最初の僕』はキミに命を救われてるんだ。子供だった僕は探検のつもりで入った山で迷ってしまってね。夜になって崖から足を滑らせた僕を颯爽と助けてくれたのがキミだったのさ」

「……そんなことあった?」

「わかっていてもショックだった!」

「あ……ごめんなさい。記憶力はいいほうじゃなくて」

 むしろ忘れっぽいだろう。長い時間を生きていくうちに自然とそうなっていった気がする。(いやボケてきたとかそういうのではなく!)

 思い出を抱えて生きるには私の時間はあまりに長いのだ。

 ともあれ――

「ええと、まとめるとこういうこと? 昔、貴方は私に助けられた。そのときに私に一目惚れして、また私に会うために何度生まれ変わってもその記憶を忘れず、挑戦し続けてここまで来た……」

「う、うん。その理解で間違いないよ。でも、ね? そんなたいしたことじゃないだろう?」

「ねえ、正直に言っていい?」

「あ、確認しないと言えないことを言うつもりだ!? よくないよ!?」

 気遣いとして前置きはしたので、私は正直に言った。


「ひくわー」


「ヒドくないかな!? あ、いや、まあ、たしかに普通はそういう反応だよね……だから言いたくなかったんだ……」

「想いを誓い合った恋人同士っていうならまだしも。私たち、一度しか会ってないんでしょう?」

「でも、まあ、僕には充分な出来事だったんだよ。またキミに会いたいって思うにはね」

 屈託のない男の言葉に、私は目を伏せた。

「恋愛ごとはよくわからないのよね。知識として知ってはいても実感は持てないっていうか。まあ、当然といえば当然だと思うわ。生物としておかしいんだから、生殖行為に必要な感情が欠落してるのよ」

 告白同然の言葉を受けても、ああそうなんだ、と思うだけである。

「だから残念だけど、どうにもならないわよ?」

 ――貴方の気持ちには応えられない。

 そう告げる。

 私は、てっきり悲しむと思ったのだ。

 けれど――

 男は微笑んだ。

 目を細めて、心の底から満たされたように。

「うん。いいんだ」

「え、いいんだ?」

 オウム返しに聞き返してしまう。

 だっておかしい。

 男が積み重ねた努力は並大抵のことではなかったはずで、それに対して報いがなにもなかったのに。

「いや、だって最初に言ったよね。キミに会うことが目的だったんだ。ほら、目的は果たされている。おまけに気持ちを伝えることさえできたし、キミは真面目に答えてくれた。うん。ちょっと望外すぎるかな」

「……呆れた。貴方、底なしに純粋バカなんだ」

 胸に落ちる。確信できた。

 この男であれば、何度生まれ変わっても同じ想いを抱き続けられるに違いない。

 と。

 男を包んでいた白い光が、ふいに弱まった。

「あ、時間みたいだ」

 気軽な口調で男が言った。

「エネルギー切れだよ。この『光スーツ』のエネルギーは僕の寿命だからね。もうすぐ僕は死ぬんだ。保ってあと1分かな」

「は?」

「まあ『光スーツ』が機能してないと宇宙では生きられないから、どっちが先かって話だけどね」

「いや、いやいやいや」

 なに重大なことをさらりと言っちゃってるのか、この男は!

 言っているうちにも光は弱くなり、男の表面をかろうじて覆うくらいになっていた。

 声も、本来の宇宙の真空が戻り始めたのか、聞こえづらくなってきている。

「ああ、気にしないでよ。大丈夫だから。たしかに死ぬときは一瞬苦しいけど、もう何度も繰り返してることだし」

「えっ、あ、そっか……。あれ? そういう問題?」

「うん。そういう問題」

「なるほど。そうよね。貴方は何度も生まれ変わって私を捜してたんだから……」

「まあ、僕の望みはもう叶っちゃったから、次に生まれ変わったときには、もう記憶を引き継ぐことはできないと思うけどね」

「へー、そうな――え!? ええ!?」

「キミともう会えないのは寂しいけど、最後に会えてよかった」

「ち、ちょっと待ちなさい! いくらなんでも唐突すぎ! 待っ――」

 さよなら、と。

 最後に男の口は動いたようだったが、音としては聞こえなかった。

 男を覆っていた光は消え、宇宙の静寂が戻っていた。

 残ったのは冷たく凍った男の体だ。

 ……満足そうな顔しちゃって。

 その顔を見ていると、だんだんと腹が立ってきた。

 恋愛の感情はわからなくても怒りの感情は知っている。

 でも、こんなに腹が立ったことはない。

 頭に血がのぼったせいか、星の光がチカチカして見えた。ああもう、綺麗ね! コンチクショウ!

 このままでは激情のぶつけどころがない。欲求不満になってしまう。おかしくなってしまいそうだ。だから、そう――仕方がない。

 ……貴方が悪いんだから。

 私は伝承にある吸血鬼である。

 試したことはなくても『その方法』は知っていた。できる、と体が知っている。

 男は自分の望みを叶えた。私の都合などかまわず一方的に。


 ならば今度は、私がそうしてなにが悪い?


 私は、おとぎ話でお姫様を起こす口づけのように、優しく――

 凍った彼の首筋へ、がぶりと牙を突き立てた。



                                   END

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