有機物

何かが腐った匂いがする。

そろそろ気温が上がってくる時期だもんな、とぼんやり思う。

ここは街から廃棄されたものが流れ着く川の下流。

瓦礫や生ゴミ、それらに群がりひしめいている様々な昆虫によって水面が見えない状態なのだが、まあ川だ。

そこには街で暮らせなくなった者、街に必要なくなった物、街から吐き出されたモノ、いろんなものが集まって独特の生態系を築いている。

僕はそこで生まれた。気付いた時にはここにいたからここで生まれたのだろう。

ここにあるものは全て街に必要とされていないが、生まれた時からここにいる僕は生まれた瞬間から街に必要とされていないのだろうか?

街から流れ着いたわけじゃない。街に吐き出されたわけじゃない。必要とされないものが行き着くところに最初からいただけなのだ。それでも僕は街に必要とされないのだろうか?

そんな疑問を抱きながら今日も流れてくる有機物を貪った。街に行くには栄養が必要だ。腐っていたとしても有機物であるなら消化できる。まぁ腐っていないもの以外を口にしたことがないのだが。虫はノーカンだとして。




ある日のこと。いつも通り流れてきた有機物にかじりついたその瞬間、


「痛い!」


有機物が声をあげた。

思わず距離を置いて隠し持っていた刃物を構える。

声をあげた有機物はそれ以来再び声を上げることもなく、身動きすることもなくまた他の有機物と変わらなくなった。そういえばこの有機物からは腐臭がしない。虫も湧いていない。もしかして街から来たのかもしれない。そんな淡い期待を抱いてソレを川の水から引き揚げた。こいつを直せば街に行く方法がわかる。こいつを直せば僕は街で暮らせるようになる。そう考えた。

でも腐っていない生ものが流れ着いたのも、それを修理するのも初めてだ。ものの直し方など知らないなと、途方にくれていたら流れ着いたものが起き上がった。


「ッ……」


ソレは僕の姿を見て息を飲んだ。僕も目の前の生ものが自力で起き上がったことやソレが美しさを感じさせる生き物であることに驚いて息を飲んだ。


「貴方は何者なの?」


ソレは本能的な美しさと神々しさを放っていた。川の淀んだ水面と流れ着く腐ったモノ、僕が食べ残した有機物の残飯は明らかにソレと共存して良いものではなく、強烈な違和感があった。


「貴方は、何者なの?」


「僕はここで暮らしてるんだ。生まれた時からここで暮らしてて、街に、街に行って街で暮らしたい。

川を、ここの川をさかのぼっていけば街につくんだろ?僕は知ってる。街では誰もが幸せで、腐ってない食べのがあって、それから……」


「それは無理」


白い声が僕の言葉を遮った。


「それは無理なのよ。貴方は街には行けない」


「なぜ?なんで?どうして僕は街にいけないんだ?必要とされていないからか?ここで生まれたから?僕は生まれた時から不要な存在なの?」


湧き上がってくるのは怒りでなく、疑問。


「この川の上流にあるのは街じゃなくて工場よ。世界を救う研究が行われている工場。流れ着いている瓦礫も、貴方達が食べている物も、ここに住んでいる人たちも、棲みついているモノも、全て工場から廃棄されたものなの。わかる?ここから川をさかのぼってもあるのは無機質な工場だけ。街なんてないの!」


白いソレは一息にそう言うと息を切らしながらしゃがみこんでしまった。


「ああ、なんて弱い体。たしかにこれじゃ依代にはできないな」


今まで持っていた生きる目的が消えた。思い描いていた理想郷は無く、このまま死ぬまで流れ着いてくるモノを貪るだけだと、悟った。

呆然としている僕にソレは言った。


「貴方、私のことを人間だと認識できてないのね。体も丈夫そうだし、知能にも問題はない。でもそこが、人を人だと認識できない点が、貴方が依代にふさわしくない理由ね」


ソレが言っていることの意味がわからなかった。

ヒト?目の前にいるこの生き物が?ヒトとはなんだ?

その問いは僕の奥にあるスイッチを切り替えた。


工場で生産された直後の記憶、失敗作の印を体に刻まれ工場から廃棄される記憶、鏡に映る自分の白い姿を眺める記憶……

目の前にいるのは私だった。自分と寸分たがわず同じ姿をした私だ。


あぁ、全部思い出した。私はヒトを救うために作られた神様の失敗作。本来無菌室で守られながら育てられるソレが工場からゴミと一緒に廃棄されて生き残れるはずもない。使われた劇物や資材と共に失敗作は棄てられる。流された衝撃で失敗作は皆死んでしまう。私や目の前の私は運良く死なずに済んだようだが。


「貴方、やっと自分が誰なのか思い出したみたいね」


ヒトの形、ヒトの生態、ヒトとは何か?全て思い出した。

目の前の私、私が食べ残した有機物、話している私達の足元に流れ着いた白い有機物。

白いソレが、腐っているソレがもともと何だったのか理解した私の胃が、中身を押し上げてくる。盛大に吐き出される有機物と胃液の混合物は淀んだ川に混じって酸っぱい匂いを放った。

白い有機物が私を見下ろしている。あぁ、腐っていない有機物は、どんな味なのだろう。中が空になった胃が、音を立てた。

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