極夜

無数の星は万華鏡のように美しい模様を描き、ぼくの目の前で輝いている。

父はこの1つ1つが先に死んで行った戦士たちの魂だと言った。崇高な戦士の魂は死してなお輝き続け、永遠に人々から忘れられることなく空に在り続けると。


ぼくの世界は星々が飾る夜空と白い地平、旅人が時折置いて行く外国の珍しい品物と書物から成っている。万華鏡もある旅人から貰った。ぼくは生まれてこのかた太陽を見たことがない。ぼくの生まれ育ったこの村に昼という概念はない。常に真っ暗な夜なのだ。


ぼくは大人になったらきっと太陽の登らないこの世界から抜け出すだろう。氷の大地と夜だけが広がる世界から抜け出して、たくさんの万華鏡と干し肉がある暖かい島で暮らすのだ。


父とともに海鳥を狩り、アザラシを解体する毎日もみんなの役に立てることが嬉しいし充実している。

でも祖父の祖父の祖父の祖父のさらに祖父の気が遠くなるくらい昔の祖父の代から続いているクジラ漁だけは嫌いだ。祖父もその祖父も遠い遠い祖父もみんなクジラとの戦いで星の仲間になった。

父もきっとそうなるだろう。そして、ぼくもそうなるだろう。


ある日変わった風貌の怪しい旅人が村にやって来た。見たことのない動物の毛皮を身につけ、妙に小さな包みを1つだけ持ってふらふらと歩く男だった。旅人はもてなすのが一族の決まりなので正直気乗りはしなかったがその男に一通りのもてなしをした。


塩漬けにした海鳥の肉とアザラシの腸詰を与える。

ぼくが皿を男に差し出すと男はぼくに話しかけて来た。


「おう坊主、気が利くな」


「旅人には優しくしろと言うのが村のしきたりだからこうしてるだけです」


「まぁお近づきの印にこれやるから仲良くしようや。な?」


そう言いながら旅人は包みをごそごそとあさると小さな瓶を取り出した。差し出された小瓶を手で受けると、小瓶とは思えないほどの重さを感じて驚いた。小瓶の中には海が広がり、暖かく柔らかい光を受けた椰子の木が風にそよいでいる様子が見えた。それはまるで…


「世界だ。その小瓶の中に入っているのは世界だ」


男が言った言葉は突拍子も無かったが嘘ではないと感じた。


「それはとある孤島で暮らしていた女の子の世界を俺がぎゅっと瓶に詰めたものだ。綺麗だろう?」


「世界を詰めるとはどういうことですか?どうやって、それにあなたは一体?」


これは名乗り遅れて失礼。と男が帽子を外してお辞儀をする。


「俺は世界を股にかけて世界中の世界を盗む大泥棒。人呼んで界賊のテネスムスだ」


「世界を盗む?世界中の?」


ぼくにはさっぱりわからなかった。


「俺が盗むのは誰かにとっての世界。例えば坊主にとっての世界はこの氷の大陸と星空だろう?」


氷の大陸から海を渡れば他の大陸があることや、他の部族がこの大陸の何処かにいることは知っている。でもそれはあくまで知識だ。

ぼくが実際に行ったり見たりしたわけじゃない。ぼくの世界は海鳥が来る崖とアザラシが来る海岸の間、そしてその上に広がる星空だけ。例えどれだけ大地やその先の海が広がったとしてもぼくの世界は崖と海岸の間以上に広がることは無い。


「要するにそういうことだ。どんなにこの星が大きくても、どんなに多くの知識を持っていても、行動範囲の中の出来事や人、出来事だけがそいつにとっての世界なんだ。俺はその世界をいただいて回っているわけだ」


「盗まれたらその世界はどうなるの?あなたはどうして世界を集めているの?」


さあな、と言ったきり界賊は喋るのをやめた。

ぼくもつられて黙ってしまう。星空はいつものようにぼくの頭上で輝いている。

界賊はいつのまにか取り出した空の小瓶を空に透かした。


「ここに来たのも、坊主の世界を盗むためなんだ。夜と氷の世界。古くからの伝統としきたりが重視される小さな極地の村。こんな世界、世界中どこを見てもここにしか無い」


小瓶はなんの変哲も無いただのガラス製のもののように見えたがそうでは無いことは本能でわかる。世界中の誰よりも本能に忠実に生きている部族の一員であるぼくだからこそ分かることなのかもしれないとぼんやり考えた。


「別に盗った世界がここから消えてしまうわけでは無いからな」


あばよ、と泥棒の声がしてから先のことをぼくは覚えていない。気づいたらぼくは父とともに焚き火の前に座っていた。星がよく見える丘の方で1人倒れていたところを村の仲間に拾われ、さっき目を覚ましたところらしい。ぼく以外に界賊と出会った人はいないようだった。もしかしたら泥棒の存在自体がぼくの夢か思い込みだったのかもしれない。


でも、もし思い込みだったとしたらぼくの上着のポケットに入っていた、南の島入りの小瓶は一体なんなのだろう?

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