インスタントバケーション
虹の根元には宝物が埋まっているという。具体的に何が埋まっているかは知らないが、そんなものはないことは知っている。なぜなら本当にそうだとしたら宝物がいくつあっても足りないからである。
私がその少女と出会い、小さな冒険へと出たのは2ヶ月前、夏休み真っ只中でのことだった。
浪人生である私がいつものように予備校へと向かっている時、予備校への道と廃墟のある山へ続く道の境に彼女はいた。つばの広い白い帽子が青空によく映えていたことをよく覚えている。
「おにいさん、ちょっと」
彼女は私を呼び止めると道の境から私の方へ歩み寄ってきた。
「山の上のゆうえんちに行きたいんだけど、どっちに行けばいいかしってる?」
見かけない顔、洒落た服に高価そうな帽子。あらかた都会から祖父母の家に遊びに来ているのだろう。
「昔はあったんだけど今はもう無い。あまりにも人が来ないものだから閉まってしまった」
その遊園地は私が生まれるはるか前に開園し私が受験に失敗するのと同じ時期に閉園した。そしてその遊園地は取り壊されることも無くたまに廃墟マニアが訪れる以外は誰も寄り付かない場所になった。彼女はきっと何年か前に祖父母に連れられて遊園地に行ったことを覚えていて、またそこへ行こうとしたのだろう。
「わかってるよ。その閉まっちゃったゆうえんちに行きたいの。そこに行くのにどっちに行けばいいの?」
「もうあそこは遊園地じゃ無いぞ。地元の人間は誰も寄り付かない山の上にある。そんなことより君、ご両親はどうした。真昼間とはいえこんな誰もいない田舎道に一人だなんて」
見た所小学校低学年くらいだろう。なぜそんな子が一人で、しかも開いていない遊園地に行きたがるのか。
「おばあちゃんが住んでるの。山の上のゆうえんちに。お母さんにはないしょで、おばあちゃんに会いにきたの」
「お母さんに内緒でだなんて危ないことを…どこから来たかは知らないが駅まで送ってあげるから帰ったほうがいい」
少女はまっすぐと私の目を見た。瞳に私と白い入道雲が写っているのが見えた。
「おばあちゃんに会うまでは帰らない。もう決めたことだから」
少女がどんな決心をしてここまで来たのかは知らないが帰すことも放っておくこともできなかった。
「仕方がない。私が君をそこまで送ってやろう。ここであったのも何かの縁だ」
廃墟に住んでいるという彼女の祖母がどんな人物なのかも気になった。
「ほんとに?やった!」
少女は小さくガッツポーズをすると私の隣まで来た。
「よろしくね?お兄さん」
そう言って彼女は私の手を握った。
少女と手を繋ぎ山道を登り始めて20分ほど経った。
蝉の合唱が頭に響き、夏のむせるような草の匂いと少し濡れた腐葉土の香りが鼻腔を刺激した。時折風が近くの沢の温度を肌に伝え、伝う汗を撫でていく。
「ねえ、まだ着かないの」
延々と続く坂にうんざりしたかのように少女が問いかけてくる。
「昔は園まで送迎バスが出ていたんだがな。閉園してしまった今頼れなくなってしまった」
少女は顎に伝う汗をレースのついたハンカチで拭った。
「もうかなり歩いたのにまだ着かないなんて、山の下から観覧車が見えたからすぐだと思ったのに」
そんなことを話していると道の左右を挟んでいた木々の列の終わりが見えて来た。あっ と声をあげると少女は走り出した。
「ゴールだよ!ゴール!がんばればちゃんと行きたいところに着くんだね!」
『山上ゆうえんちへようこそ!』と書かれた色褪せた看板が受付らしき場所の上に飾ってある。ひびの入ったコンクリートから雑草が伸びている以外はあまり荒れていなかった。
「どこから入ればいいのかな?お金は払わないといけないのかな」
チェーンのかかったゲートの前をうろうろしながら少女は呟いた。
「もう閉まってるんだから金を払う必要はない。ゲートを乗り越えればいいだろ」
「ええ…」
「面倒だな」
私は少女を抱き上げてゲートを跨いだ。
地面に足をつけた少女はさっきまでとは打って変わって確信を持った足取りで歩き出した。
「ここまでくればあとは行ったことあるからわかる。観覧車はあっちよ」
わかるなら私の案内はもう必要ないと思ったが、一人で置いていくのも心配なのでおばあさんに会えるまでついていくことにした。
雑草がそこかしこで茂り、この場所にしばらく人の手が入っていないことを教えてくれる。ペンキの剥がれ手すりや朽ちたベンチを尻目に少女はどんどん奥へと進んでいく。
「観覧車にいるのか?君のおばあさんは」
「そう。ひとりで暮らしてるの」
日焼けした案内板や動くのを止めたメリーゴーランドを追い越して、私達はようやく観覧車へと辿り着いた。時間が止まり徐々に崩れ始めているかつての夢の国の中で唯一変わらずにかすかに残った時間を集めてかろうじて動いているかのように観覧車が回っていることに観覧車の足元に立って初めて気づいた。空いたゴンドラが次々と私たちの前を通り過ぎていく。本当に観覧車に少女の祖母はいるのかと疑問に思い始めたその時、突然観覧車が動きを止めた。
「あ、おばあちゃん!」
少女の声に答えるように目の前のゴンドラのドアが軋みながら開き、乾いた植物の匂いがドアから流れ出てきた。不自然に薄暗いゴンドラの中で血管が薄く浮き出たしわ寄った手が手招きしている。いつのまにか蝉の声が聞こえなくなっていることに気づく。非現実に繋がる扉を前に尻込みする私とは対照的に少女はためらうことなく薄暗いゴンドラの中に消えた。少女がゴンドラへ入ると帰り道を塞ぐようにドアが音を立てて閉まり、一人取り残された私は観覧車の前で立ち尽くすことしかできなかった。
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