透色

星の海から引き上げられたのは、私なのか彼なのか……


私という存在は、人々の願いと共に消えたはずだった。白い部屋から連れ出してくれた彼の柔らかい感触を最後に、この世から消えたはずだった。それなのになぜ、私はまたこの白い部屋にいる?

前とはどこか違う部屋の違和感を、不気味に思いながら立ち上がった。


「やあ、目が覚めたみたいだね」


そう言ったのはいつの間にか、部屋の隅に置かれた亀のぬいぐるみ。


「ボクは君にイイコトを教えてあげに来たんだ。君のこれからについて、世界のこれからについて」


「私のこれから……」


ぬいぐるみの生気のない黒い目が私を捉える。


「君は世界中の人々の願いや欲望を貯める、受け皿として生み出された。要は受け皿に溜まったモノを一気に吐き出すことで、人間という種族を上位存在へと押し上げるために生まれた。そうだね?」


「そう。でも私という器がいっぱいになる前に、中身を零してしまった。だからあなたの言う、上位存在へ人間がなることは無くなった」


私のわがままで彼を巻き込んでしまったとはいえ、これで良いのだ。どうあがいても人間は、滅びる運命だった。

私を捉えた黒が、笑うように歪んだ。


「君は世界全てを見渡す力があったと言うのに、何もわかってないんだなァ。

君には時間どころか、何層にも別れた他の時空にも行くことができたんだよ。次元の層を壊す力が、君にはあったんだ」


「別時空? 次元の層? そんなものを壊す力があったとして、それが何になるというの?」


「単純なことだよ。この世界の人間では足りないなら、より多くの人間を他の世界から調達してくればいい。人間という種族を書き換えるためのエネルギーが手元にないなら、他所から取ってくればいい」


「そんなことが!」


「できるんだよ」


ワタが入っていて生き物の形をした、ただの袋なのに、それは私を完全に道具としか思っていないようだった。


「君がボク達の塔から逃げ出したあの夜、君という存在の崩壊が次元の層に穴を開けた。とびきり大きな穴さ。あまり強い力を持っていなくても、他の次元に行けるくらい広くて深い穴。まあ穴が開いたところで次元を移動できる力なんて、君の力以外この次元には存在しない」


「じゃあやっぱり他の次元に行くなんて無理じゃない」


「人の話は最後まで聞くもんさ。君が自らの存在を崩壊させ、消滅する直前に君の力を僅かだが、受け継いだヤツがいたよなァ?」


「テネスムス!」


「あいつは君の力を使って、いくつもの次元を行き来している。他次元に点在する君の痕跡を辿ってね」


ワタ入りの袋が、私を嘲笑う。


「あいつはよくやってくれてるよ。いくつもの次元にこの次元のものを残して、他の次元との楔をあちこちに打ち込んでいる。この調子でいけば、そろそろ一つ目の次元をエネルギーに変換させられる」


「エネルギーに変換って……?変換された次元の人はどうなるの?まさか……」


「あァ。そんなの全滅に決まってるだろう。上位存在へ至るためにはそれなりの代償が必要なのさ」


あまりの規模の大きさに、どうにかなってしまいそうだった。この星よりも大きな規模を遥かに超えた範囲の事象など、正直言って思考が追いつかない。


「代償の規模が大きすぎる……そんなに多くの犠牲が必要なら、進化なんて目指さないで滅んでしまうべきなのよ!」


「代償?何を言っているんだ君は。他の次元の生物など、ワタが入った生き物の形をしているだけの袋だろう?」


それに、次元を繋ぐ楔の役割でしかない君には関係のない話だ。そう言ったきり亀のぬいぐるみは喋るのをやめた。


私が楔?


自分の手を見ると、向こう側が透けて見えることに気づいた。脚もふくらはぎから下が薄く透けている。

私の存在が薄まっている?

自らに触れることすら叶わない。

床にへたり込んであたりを見回して、やっとこの部屋の異常さに気づいた。

この部屋には窓はおろか扉が無いのだ。出口のない部屋は、再び私を白い空間に閉じ込めた。


徐々に薄まる「私」とこの世界、この次元が混ざり合っていく。この次元に偏在するあらゆる事象に、「私」が存在して、存在していなかった。たしかに「私」は出口の無い部屋にいて、でも他の場所にもいた。


本の栞に、夢の中に、氷の大地に、駅のホームに、「私」がいた。


どこにでもいる「私」を見つけて!

どこにもいない「私」を見つけて!


「私」の声は彼の元へ届くだろうか。「私」の事を彼が見つけてくれるだろうか。


「私」を守る自我という最後の壁が崩れ、「私」が「私」で無くなってしまう前に、彼は、テネスムスは、「私」を助けてくれるだろうか。

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