Meant to be

@muuko

Meant to be

 外はもう人通りもなくなった。

 暗闇を街灯の灯りがほのかに照らしている。

 カランとドアのベルが鳴り、来客を告げる。

「よぉサチ。おつかれ」

 笑うスーツ姿の彼はどこか覇気がなく、肩も心なしか丸まっている気がする。


 作りかけの丸氷を置いて、手袋を外しておしぼりを取り出す。

 彼はカウンター5席の小さな店の1番奥に腰掛け、カバンと上着を隣の席に置いた。


「おつかれさま、ハル」

 おしぼりを両手で広げて差し出す。

 ハルは返事もせず、小さくうーと唸って机に伏せた。

「ありがとう」

 そう言うとうつ伏せのままおしぼりに手を出した。伏せたままの顔。表情はわからない。


 ど平日のど深夜に1人で呑みにきたお客ハルに、何があったの? とは聞かない。

「何にする?」

「おまかせ」

 いつもの、じゃないんだ。これはいつぞやのように、また振られでもしたのだろうか。力のない声に私も何を作ろうか少し考える。


 ハルとまともに会話したのは大学生になってからだった。仲のいい友達のカナが、彼氏を紹介すると言って連れてきた時、彼氏のユウについてきたのがハルで、よくよく話したら同じ高校の同級生だった。

 それから何かと4人で過ごすことが多くなっていった。

「友達の彼氏の友達」という距離感の友人関係がこんなに長く続くことになるとは、当時の私は思っても見なかった。


 今日はシンプルに。

 ロンググラスに氷を入れ、バースプーンでステアする。グラスが冷えたらボンベイサファイア、トニックを入れて、バースプーンで底の氷を軽く持ち上げるようにして混ぜ、ライムを飾る。コースターをハルの前に滑らせて、そっとグラスを置く。

「はい、ジントニック。ジン多め」

「ん」

 顔を上げて一口つけると、ハルはまた俯いた。


 大学を卒業してから、ハルに会う機会は無くなった。社会人を2年やった後、私はバーテンダーになった。

 バーテンダーになって少しして、このお店にハルはやってきた。

 カナとユウと一緒にきた彼の顔を見て、懐かしさと嬉しさで思わず声を上げそうになったけど、ハルの横には彼女がいたから知らないふりをして。

 翌日、「よぉサチ。おつかれ」と、まるでいつも来ていたみたいにハルはお店にやってきた。

 それからハルはこのお店の常連。


 店内には流行りの洋楽が流れる。確か最近ソロデビューした女性シンガー。

 ハルはよく飲みにくるけどあんまり話さない。私も、自分からは必要以上の会話はしない。

 白手袋をはめて、丸氷を削る。


「うまい」

 からからと氷をならしてハルが口を開いた。ありがとうと言うと、また一口ジントニックを飲んだ。


「昔さ。覚えてる? 大学の時。ユウとカナが喧嘩して、お昼の時間きまずくなってさ」

「うん。4人で食べてたけど、私がみんなと違う講義とったから、時間も合わなくなっちゃったんだよね。だけどカナとユウ君はそのうち仲直りするだろうし、ハル彼女いたし、まぁいいかと思って」


 ✳︎


 カナとユウ君が喧嘩してすぐ、私はお昼時を過ぎた食堂で1人でごはんを食べるようになった。受けたかった講義の時間がお昼の時間と重なってしまい、仕方なかったのだ。それからハルは彼女とお昼を一緒に食べるようになったらしい。


 これでいい。これでいいのだ。

 自分に言い聞かせながら。

 1人の時間はいつも静かに過ぎていった。


 そんな時間に慣れた頃、いつものように閑散とした食堂の窓際の席でご飯を食べていると、向かいの席に人が座った。

「よぉ、サチ。おつかれ」

「お昼食べたんじゃないの?」

「振られたから」

 そう言って、驚いている私を気にもとめずに、ハルはラーメンをすすった。

 それから、ハルは付き合っては振られる度に私を探し、私のところにくるようになった。


 ✳︎


「覚えてるよ」

 忘れたりしないよ。

「あの時突然来なくなってびっくりしたよ」

「ごめんごめん」

「探したもん。俺」

 じゃあこれお詫びね、と笑って、おつまみにナッツを少し持ってあげた。


 バーで再開してからは、ハルのその辺はよくわからない。モテない人ではないし、前に来た彼女とまだ続いているのかもしれない。

 ハルはそういうことを話さないし、私から聞くのもなんだかためらわれた。


 なんで昔の話をしたの?

 あの時なんで私のとこに?

 そんな話をしたところで過去は戻らない。彼女がいるかもしれないなら、なおさら。


 BGMはメロウなトラックに変わる。

 ハルが静かにグラスを傾け、私が氷を削る音だけが響く店内。

 この時が私にとって唯一の満たされる時間であり、何物にも変えがたい。栓をされた瓶のなかでゆっくりと熟成されてゆくワイン。このゆるゆるとした時間は、それでもハルが来る度に深く深くこのお店に、私に浸透してゆく。この気持ちを恋というには、長く時間をかけ過ぎてしまった。


 近くて遠い、大切な人。

 私とハルはそういう運命なのかもしれない。



「もう一杯くれる? 強いやつ」

 空のグラスを差し出してハルが言う。

「じゃあ、ウイスキーは?」

 ロックグラスに丸氷を入れ、カリラを注ぐ。スコッチ。アイラ島のウイスキー 。


 落ち込んだ時は海がいい。何があったか知らないけど、暗い気持ちも傷ついた心もしょっぱい海水で洗い流して、またあなたが笑えるといい。

 その笑顔を、またここで見せてくれればそれでいい。


 もしも。

 もしも2人のこれまでをあなたも大切に思ってくれているなら。そういう運命なら、きっとなるようになるのだろうから。


 私はいつでもここにいる。この場所で。


 そういう運命なら。

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