決戦! さらば、サイコシルバー<中編>

 黒幕・乾浩司いぬいこうじは、ただ真っ直ぐに夜景を見下ろしていた。風に舞う粉雪は、窓に触れれば消えてしまうほど、はかない。

 さて、計画が完成した所で、国民達をシステムに接続出来なれば意味がない。

 だが、心配は要らない。既に、国内の人間の大半が、体内にナノマシンを注入されたのだから。

 サンクスギビングの初日から最終日にかけて、各地にヘリを飛ばした。名目の上では、ABLアッシアー・バイオニクス・ラボラトリーと提携している義肢メーカーや航空会社、衣類メーカー等の宣伝だ。

 しかし、実際は、上空からナノマシンを散布するのが主目的だった。人々はそれを知らずの内に吸っていた。多少ヘリが多く飛んでいた所で、感謝祭に受かれた人々が頓着するはずもない。

 全国民の呼吸器から体内へと吸収されたナノマシンは、命令の時を待っている。




 ABLの摩天楼ビルは、眠ったように静まっていた。

 事実、休眠状態だった。

 あとはマナ一人でシステムを完成させられる。その段階まで来た時点で、黒幕の参謀・マナは、全ての技術者と、警備員すらも退去させたのだ。

 ――よかった、これでみんな、イブを大切な人と過ごせる。

 ビルには、最低限度の照明が点々と灯っているのみ。天をかすめる巨塔に、今は日本人の父娘しか居ない。

 いや。

 これから、第三の人物がやって来る。

 マナは、十を越すモニタを前に、サイコシルバーの来訪を待っていた。




 ニューヨーク某所・南郷宅。

 陽は完全に落ちた。そろそろ、マナ一人でもシステムを完成させられる頃合いだろう。

 サイコシルバーの目的は、計画の阻止では無い。“理想的な米国計画”の、システム乗っ取りだ。

 それにはまず、マナがシステムを完成させてくれねばならない。彼女がシステムを完成させ、なおかつ、彼女のすぐそばに居るいぬいの手に渡る前の、僅かな時間が勝負だ。

 全米――ひいては全世界の人々の感情と思考を、機械で管理する。そのアイディア自体を、サイコシルバーは否定していない。

 サイコシルバーには、他人と言う生き物が、狂暴な肉食獣と同じにしか見えなかった。いや、畜生でさえ、無意味に同族を傷つけはしない。

 野放図に群れる程に互いを殺し合う、愚生物。そんな愚かしい種であっても、誰もが幸福に生きる権利がある。

 幸福の根源とは、脳反応だ。それを機械でコントロール可能であれば、是非とも行うべきだとは思う。

 ただ、その管理者が乾浩司であってはならない。彼の動機それ自体が、そもそも人間という畜生の持つ汚点だからだ。

 彼は、娘の安全と言う、個人的な願望の為だけに人類を統制しようとしている。

 これでは、世界を支配出来たとしても、いずれ破綻するのは目に見えている。

 私情に流されず、我が子も他人も同じように評価する精神性をもって、理想郷を管理する。それが出来るのは、乾ではなく、自分達である。

 サイコシルバーは、そう結論付けたのだ。

「行こう」

 南郷は、何かを振り切るように、力強く告げた。

 ビリーはそれを、穏やかな笑みで見つめていた。

 マナの為に。

 ビリーの為に。

 人々の為に。

 南郷からは、ただただ真っ白な、思いやりの波動だけがにじみ出ている。

 ――この男と組めて、本当に良かった。

 ビリーは今、間違いなく幸福だった。

 ただ、

「……」「……」

 二人は、同時に静止した。強張った顔を突き合わせ、息を殺す。

 砂を踏みしめる、力強い足音が複数。はじめは空耳かと思われたそれが、一歩一歩、大きくなる。彼らは、玄関口まで来て、足を止めたようだ。

 冷淡なノック音が、ひとつ。ふたつ。

 みっつ。

「ミスター・ナンゴー。いらっしゃいますか? ミスター・ナンゴー」

 文章こそ慇懃だが、明らかに敵意を滲ませた声だ。

「ポリスか」

「なぜ、俺の家に?」

「心当たりがありすぎて、わからん」

 急いで軽口を交わすと、二人は示し合わせる事もなく、背中合わせに向き直る。

「俺が囮になる。ビリーは、予定通りに頼む」

 南郷が、静かに告げた。

「捕まるなよ、アイジ」

「君こそ」

 そして二人は、それぞれの方向に歩き出した。

 ニューヨーク市警が、南郷邸になだれ込む。




 雪の舞い散る、イブの夜。

 ニューヨーク・マンハッタン市街は、サイレンと怒号に満ちていた。

「止まれ、止まれと言っている!」

 ビルや店舗の白光、パトカーの青光・赤光を反射して、サイコシルバーが走る。

 車から走って逃げるヒーローを目の当たりにし、人々は恐慌に陥っていた。

 そんな中、ニューヨーク市警は、健闘していた。身体ひとつで、縦横無尽・自由自在に走り跳ぶサイコシルバーを、引き離される事無く追跡し続けている。

 だが、あと一歩、届かない。何故なら、

【あと一キロ、そっちに逃げれば、ポリスはセントラルパーク動物園の守りを固めるはずだ。その時、西側が手薄になる】

 今夜の相棒は、特に冴えているからだ。

【ただし、ポリスもそれくらいは理解している。動物園に紛れ込むのがフェイント、となれば、君の目的も自ずと看破される。リンカーン・トンネルからウィーホーケンに脱出する、と】

「俺がニュージャージー州に出たら、このポリス達は手柄を立てられなくなる。と言うことは、リンカーン・トンネルは完全に封鎖されているかな?」

【まず、突破不能な程に固められている。逆側のクイーンズ・ミッドタウン・トンネルも同様。と言うか、どこもかしこも塞がれているし、そもそも、君には引き返す余裕ももう無いだろう】

 マンハッタンは、碁盤の目のように、規則正しく区分けされた街。また何より、河の中州にある島なのだ。単独犯の逃げ込む先など、限られてくる。

 地理を完全に熟知した市警察は、流れるような連携でサイコシルバーの包囲網を構築しつつあった。

【おおっと、そこは素直に直進するんだ。左に曲がると、挟み撃ちにあう】

 サイコシルバーは、相棒のナビを信じて突き進む。

 確かに、待ち伏せがいたらしい。挟み撃ちを期待していた警官隊の足並みが乱れた。

「さて、しつこいようだが、リンカーン・トンネルは完全に封鎖されているな?」

【間違いない】

「よし、理想的な展開だ。このまま突っ切る」

【オーケイ】

 サイコシルバーは、走る。背後から迫るパトカーが、明らかに自分の退路を囲みつつある事を感じながら。

 まさしく袋のネズミ。ネズミは、袋の開け口から出ようともがく。

 だが、出口にあるものは、封をされた袋小路か、さもなくば、ハドソンの大河だ。

 サイコシルバーが選んだのは。

 果てしなく広がる、漆黒の水面。

 底なしの奈落を思わせるそれが、視界一杯に広がる。

 振り返れば、赤と青の光輝パトライトが無数に煌めき乱れている。粉雪の舞うイブの夜に、それはそれは煌びやかな光景だった。

 ついに、サイコシルバーの前途は途切れた。パトカーから、雪崩れ込むように警官が吐き出されて行く。もう、手心を加える気は無いらしい。

 どの警官も、銃を抜いて、サイコシルバー一人を狙い定めている。ヒーローからすれば無意味な豆鉄砲に過ぎないが、そうだとわかった時点で、警官達は銃に頼らずサイコシルバーを直接拘束するだけだろう。

 それに、システムが乾の手に渡るまで、時間が無い。

「お前にもう逃げ道は無い! 抵抗を止めて投降しろ!」

 サイコシルバーは、ゆるりと追っ手に向き直った。

 かかとを、岸のへりに。

「個人でニューヨーク警察をこれだけ集めたのは、俺が初めてかな?」

【どうだろう? 上には上がいるかもよ】

 そんな、まるで危機感の無い対話の後。

 サイコシルバーは、背後のハドソン川に飛び込んだ。パワードスーツを着た男の身体は、それはよく沈んだ。


「悪あがきを」

 警官隊は、直ちに被疑者の捜索に走った。川に飛び込んだ所で、そう遠くまで逃げられるはずもない。

 あるいは、観念して入水自殺と来たか。どちらも、やらせる気は無い。

 確かに、異様な身体能力を持つクレイジーだったが、だからと言って、個人が市警から逃れる事など不可能。

 すぐに、被疑者確保の報が届く事だろう。ポリス達は、勝利を間近に感じていた。

 だが。

 これ以降、このアメリカで、サイコシルバーの身柄は二度と見つからなかった。

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