ディストピア<中編>
ケビンもタイラーも、サーシャのもとに帰ってきた。二人とも、以前と同じように……いや、かつて仲良しだった時以上に、ニコニコしていた。
「サーシャ大好き、マジ大好き!」
「オレのが大好き、大好き度から言えばオレのが上だからな!」
「ふふっ、ありがと。あたしも二人のこと、だーいすき!」
……やや、落ち着きに欠けるくらいだ。
それもそのはず。二人とも、過去のしがらみは忘れ去り、サーシャの為に生きる事が最も能率の良い幸福だと悟ったからだ。
今、このスクールにおいて“点数”を稼ぐ事こそが善行だった。
学校浄化装置を得たサーシャは、一度、自分と全校生徒との関係をリセットした。これまで彼女と親しかった人も、そうでない人も、一律ゼロポイントからの再スタートとなったのだ。
始めこそ、機械による支配に対する風当たりは強かった。だが、サーシャの意に沿う者には、犯罪的とも言える多幸感が与えられた。
それでもなお彼女を批判し続ける者には、ストレス物質が与えられると同時に、活力の分泌を抑制された。
賢明な者は、要領よくポイントを上げ、こぞってサーシャの近くに
それに、ポイントの高い者は、低い者よりも校内の地位が高くなる。
五〇〇でシルバーバッジが与えられ、権限と報酬がアップする。
一〇〇〇ポイントでゴールドバッジ、二五〇〇ポイント以上でプラチナバッジだ。
これにより、容姿・趣味・部活によって優劣の決まる旧体制は完全に崩壊した。サーシャに好意を向けた者であれば、誰でも上位を夢見る事ができるようになった。
だから皆、心からサーシャを慕うようになった。
もちろんサーシャは、政治の全てをただ機械任せにしているわけではない。
例えば、ケビンの事だ。
サーシャの友人・アマンダは、ケビンに気があった。だから、サーシャはこの二人を引き合わせた。そして、二人が交際を続ける限り、無条件のプラチナ待遇と定期的な快楽物質の供給を約束したのだ。
一度はサーシャを憎んだケビン。だが今は、かつて以上にサーシャを敬慕してくれるようになった。
むしろ、一度抱いた憎しみを飲み込み、サーシャの側へ帰ってきてくれたケビンの決意に、サーシャは胸を打たれたのだ。
ケビンに限らず、サーシャは、全校生徒の男女交際をコントロールした。サーシャが指定した組み合わせで付き合い続ければ、やはり快楽物質が与えられる。それに背けば、ストレス物質の投与だ。
結局、相手が誰であろうと、同じなのだ。サーシャはそう結論付けた。
本当に好きな人と共にある事で得られる、幸福感。別段好きでもない人と付き合う事で、装置に与えられた幸福感。少し過程が違うだけなのだ、と。
こうして、スクールからは恋愛関係のもつれが一切消えた。サーシャが、矛盾した選択を迫られる事も無くなった。
「あたし、幸せだなっ。ベンくんも、そう思うでしょ?」
再び仲間に囲まれ、満ち足りた中で、サーシャは部屋の隅に話しかけた。
「ぁ、うん……」
正確には、隅で縮こまっていた、ベンに対して。ベンは、タイラーと目を合わせようとしない。
今更、タイラーと真に和解出来るほど、ベンは要領が良くない。
自分の、この、タイラーにわだかまりを見せる態度が、サーシャの希望に沿わないのはわかっている。だから、ポイントが思うように稼げず、未だにゴールド階級どまりなのだ。
理屈ではわかっているが、ベンは元々対人関係が苦手で、不器用な人間なのだ。生まれ持った資質ばかりは、どうしようもない。
サーシャ政権下では、彼女に近い仲間ほど、幸せである事を求められる。仲間の幸せだけが、サーシャに幸せを与えるからだ。
ベンは、“幸せのノルマ”をこなす事が苦手なタイプだった。サーシャの目の前では、幸せである義務があると言うのに。
「オレ、サーシャといられて幸せだよッ!」
「俺も、俺も!」
必要以上にハイな態度で、タイラーとケビンが応じた。
「ありがと! うれしー」
サーシャは学校浄化装置の端末に目を落とすと、タイラーの管理番号を入力。
管理ID:M0211
氏名:タイラー・スミス 性別:男性
彼のデータを呼び出すと、報酬と書かれたボタン画像をタッチした。
「お、おお、すげー気分が乗ってきたッ!
サンキュー、サーシャ! 愛してるぜッ!」
ナノマシンが、タイラーの脳の報酬系に作用し、彼に喜びと快を与えた。大金を渡された時と同程度の多幸感が、タイラーを満たす。
「だってあたし達、友達でしょ」
次にケビンのデータを呼び出して、同じように報酬を与えた。ケビンもまた、ヒステリックに笑い声をあげ、全身で喜びを表現した。
「サーシャ万歳! 女帝万歳!」
「ケビンくん、相変わらず面白いなぁ。おまけに、もういっちょ。ぽちっとな」
さらに、ケビンの脳が刺激され、喜びに満たされた。
「ひゃひゃひゃひゃ! サーシャ最高!」
金品も労力もいらず、ただワンタッチで仲間を満たす事ができる。この装置はとても素晴らしいと、サーシャは心底噛み締めた。
一方、ベンは沈んだ面持ちのまま。
今回、彼に報酬はあげられない。本当にかわいそうだ、とは思う。サーシャは、ベンを笑顔にしてあげられない自分の力不足を情けなく思った。
ただ、長い目で見ると。
気まずくて仕方の無いタイラーと、再び同席させられても、こうして自分一人だけが報酬を貰えなくても、少しもサーシャを恨まず、変わらず技術を振るい続けてくれる。
そんなベンの想いは、とてもありがたいものだ。時間はかかるだろうが、いつかまた、ベンはサーシャの右腕に返り咲く事だろう。
地道にポイントを獲得し、いずれはプラチナ階級を取得して。
理想郷は、完成に近づいている。サーシャ・アベリナは、確信を持っていた。
南郷は、とうとうベッドから起き上がれなくなっていた。
かなり単位を落としただろうが、それすらもどうでも良かった。
どうせ、こんな自分を毎朝起こしに来てくれる女の子は、もうそばにいない。
動かなければならないのは、わかっている。これだけ寝れば、体力も有り余っている。けれど、立ち上がる気力が無いから、立ち上がれない。
昨日も、そんな事を悶々と考えているうちに日が落ちた。
ずっと、このままなのだろうか。南郷は、ぼんやりと自問する。
「それも……いいかもしれない……」
その声は、自分でも意外なほど磨り減っていた。
このまま一生寝て過ごせれば、どんなに良いだろう。そんな事をすれば父に勘当されかねないが、それはそれで楽かもしれない。
「ああ、めんどくさい……」
何人も、自分の脳には逆らえない。もう、何もする気が起きなかった。
アダムは、自室のベッドに座って、ぼんやりとしていた。アーモンド型のアメフトボールに目を落とし、微動だにしない。
もう三日は、こうしているだろうか。部活も、勉学も、生徒会も、スクールの治安維持も、何もかもを投げ出して。こんなに長く休んだのは、生まれて始めてかもしれなかった。
だが、今のスクールでは、彼が居ようが居まいが同じ事のようだ。誰一人として騒ぐ者はおろか、話題に上げる事すらしない。
アダム・ダフィと言う男子生徒一人、居ても居なくても同じ。
――権威を剥げば、裸の王様、か。
これが、今ある現実だった。
ついこの前まで頂点をきわめていた男は、今や持ち点三〇未満の底辺民だ。しかも、その持ち点は、サーシャが個人的感情で一方的に付与した五〇〇ポイントの残りカスである。最初に与えられた五〇〇ポイントが順調に減点されて行き、この有り様なのだ。
アダムは、何も行動していない。ただ、こうして植物のように過ごすだけ。
そこへ。
「堕ちるところまで堕ちましたね、KING?」
かつての女帝、マリー・シーグローヴの訪問だ。アダムは、気だるそうに首だけを、彼女に向けた。
「さすがの貴方も、脳を直接いじられれば、抵抗できませんよね」
アダムは、もう疲れたようで、再び視線を落とした。
「少し、安心しました。貴方も、脳を使って生きていたのだと」
マリーが、彼の隣に寄り添うようにして腰かけた。
「……何のマネだ」
辛うじて発せられたアダムの声はかすれ、まともな音になっていない。
だが、
「意地を張るのは、お止めになられたら?
サーシャの言う通り、私と貴方が男女として付き合えば、貴方はプラチナ待遇になれる。私には、今以上の“報酬”が支払われていく」
アダムは、深く溜め息をついた。
「……堕ちたのは、どちらだ……。今や、奴の言いなりか」
「そこまで気力を削がれても、無価値なプライドだけは保てているのが、ある意味素晴らしいですね」
「……気力の総量が違う。多少、気力の素を絶たれたくらいで、魂まで売り渡すものか……」
その、説得力の無いぼそぼそ声で、強がりを口にした。
「じり貧でしょうね。常人よりも、多少長く抵抗できるだけの事」
「……それを言いに来ただけか……俺を少しでも早く降参させるために」
マリーは、以前と変わらない、平静な態度で頭を振った。
「だから、サーシャの言う通り、私達は付き合いましょう。それを言いに来ただけです。
今まで散々、貴方が私に持ちかけてきた話でしょうに」
「今の君は……違う……」
「私は何も変わってません。
さっきの質問――私はサーシャの言いなりか、と言う事への答えはノーです。
私はただ、自分に正直に生きてきただけ。
変わったのは、周りの環境で、私はずっと、それに順応するように努力してきた。
私に変わらず女帝の役割があったなら、また違う選択をしましたけど」
「……話が長い……めんどうだ……」
「今の無様な貴方、割りと私の好みでもあるんですよ。骨抜きにされて、ようやく魅力が出てきたのは皮肉ですが。
それに、貴方と付き合おうが他の誰と付き合おうが、感じる充足感が同じなら、貴方と付き合う方が効率もいい。
サーシャだって私達の事を想って、このカップリングをしてくれた。それくらいの事は、貴方にもわかるでしょう?」
「……長いと言ってるだろうに……もう出て行け……。
何日か後に俺が完全に折れていたなら、その時は好きにしろ……。今はもう、これ以上、頭を使いたくない……」
マリーは、珍しく苦笑を浮かべた。そして、素直に立ち上がる。
「貴方の口からそんな言葉が出てくる時点で、もう相当の末期状態だと思いますよ」
そして、何の未練も無いように背を向けた。
「わかりました。あと二日ほどしてから、また改めて“求愛のノルマ”をこなしに来ます。
一応、貴方に接触するだけでも、私にはそれなりの報酬が支払われますしね」
マリーが去ると、アダムは大の字に倒れた。
「どうでもいい……」
今日はもう、ベッドから起き上がれそうに無かった。
ニューヨーク北西部にある、鉄道機器製造工場……、とは仮の姿。
その秘密工場で、ビリーは作業員の報告を受けていた。
「今は配線作業にかかったところだ。明後日には試運転ができるよ」
あちこち黒ずんだ作業着の袖で汗を拭きながら、作業員は言う。
「組み立て、自分でできるか?」
彼のおどけたような仕草に、ビリーも。
「ノープロブレム」
かねてより南郷とビリーは、この工場に、とある装置の制作を依頼していた。とうとう、それを受け取る段階に近づいてきたのだが、いささか大掛かりな装置となってしまった。当然、戦場と化したスクールに運び込まねばならない。
そこで、各パーツを着脱可能にして、運搬を容易にしたのだった。
作業員が、ビリーに設計図を見せて、今一度確認した。
「しかし、この工場で働いていれば妙な仕事ばかりだが……アンタらの注文もぶっ飛んでるな」
「そうですか?」
「ああ。クイズ番組でも作る気か?」
ビリーは、曖昧に微笑んだ。
「まあ……割と的を射てますね、それ」
それ以上の詮索は無用と、作業員も心得ている。これ以降は、自分達が作らされた物に対する興味を、一切失ったようだ。
南郷は、もう限界だった。
マナの声が聞きたい。
いつかみたいに、弱い所を見せて、慰めてもらいたい。
この世で唯一、自分の脆さを見せられる相手。意思さえも剥奪され、最後に残った気持ちはそれだけだった。
這うように携帯電話に手を伸ばすと、老衰寸前のような手つきでマナの番号を呼び出す。
どうせ、気休めにしかならない。彼女に吐き出したところで、何も改善されない。誰も救われない。
それでも。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます