スクールを浄化せよ!<後編>

 警官隊が、じりじりとサイコシルバーに近づいてくる。

 サイコシルバーは、素早く周囲を見回した。

 アダム王一派が、サイコシルバーから避難するような風を装い、窓際に立つ。

 いつかの二番煎じをさせないつもりだろう。

 窓から飛び降りて逃げる事は、出来なくなった。

「どうする、ビリー……」

 サイコシルバーは、無為に呟いた。

 そして。

 けたたましい破裂音が轟いた。

 また、石や鉄を引き裂くような、途方もない音がした。

 窓ガラスが、微細に震えた。

「なっ、な……」

 さすがのアメフト兵達も、警官隊さえも、突然の不条理にうろたえた。

 これは、爆発音だ。

 また、同じ音がした。

 二度、三度、四度。

 近くはない。

 だが、決して遠くもない。

「誰か、誰か来てくれ! 校舎裏が――」

「ばく、爆弾、爆弾がッ!」

「誰かが校舎裏に爆弾を仕掛けやがった!」

「警察を呼んで! 今すぐにッ!」

 スクール関係者の阿鼻叫喚が、廊下をほとばしる。

「バカな!?」

 サイコシルバーの挙動に集中していた警官達は、明後日の方向からやってきた爆弾騒ぎに気を取られた。

 その一瞬を、サイコシルバーは逃さない。

 天井すれすれまで跳躍すると、警官隊の頭上を軽々と越えて着地。

「待て! 止まれ!」

 背後から銃を向けられるが、サイコシルバーは知らん顔だ。

「クソ!

 お前とお前は、外を見てこい!」

 警官隊のリーダーとおぼしき中年が、二人の部下に命令する。

「残りは、被疑者を追う!

 敷地外へ出そうなら、撃て!」

 ブロスフェルト教諭とアダム王は、警官達の迅速な活躍を、

 しかし冷めた目で見ていた。

 彼らでは、サイコシルバーを捕まえる事はできまい。

 足の速さが違うし、銃も効かないのだからどうしようもない。

 警察や軍隊が無力なのは、特撮ものの様式美と言えよう。




 ニューヨーク某所の路地裏に逃げ延びたサイコシルバー。

 彼は疲れを知らない超人であり、警察から逃げ去る程度の事で息を乱す事は無い。

 なのに、無機質なメットがうつむき加減になっているのは、いかなる理由からか。

 そこへ、

「浮かない顔だ」

 クリスが現れた。

 本当に、何もない空間から、忽然とクリスが現れたのだ。

 彼のゴーストのような振る舞いに、サイコシルバーは驚いた風もない。

「なぜだと思います?」

 そして平然と、皮肉げに応じてみせた。

 何も驚くことではない。

 クリスは、自分の全身に周囲の映像を投影する装置を使い、姿を消していただけの事だ。

 装置さえあれば、誰にでも出来る事である。

 精度はまだまだ低い、子供だましのおもちゃに過ぎないが。

 あらかじめ、この光学迷彩の実在を知る者が、使用者が居る位置を知った上で、よく目を凝らして見れば、そこの景色だけ人型に歪んでいるのを見て取れる。

「……私の助け方が、気に入らなかったようだね」

 長考する真似をしてみせてから、クリスは言った。

「爆弾を仕掛けるなんて、回りくどい上に、あの場で俺を逃がす手段としては不確かだった。

 死傷者がゼロだったからよかったものの、万が一怪我人が出たら、どうするつもりですか」

 サイコシルバーが警官に包囲された、あの時。

 彼と協力関係にあるクリスが、校舎裏で、プラスチック爆弾を盛大にぶっぱなしたのだ。

 今しがた実演して見せたように、光学迷彩で守られているクリスが、誰かに目撃される事は無い。

「絶対に他人を巻き込まないように、念入りに計算はしたよ」

「そんな事に労力を割くなら、あの場に閃光発音筒スタングレネードでも投げ込んでくれればよかったじゃないですか。

 というか、M84スタングレネードをあなたに渡しましたよね? 俺」

 クリスは、悪びれる様子がない。

 かわいい悪戯が見つかった子供のように、笑ってごまかす。

「すまない、すまない。

 ほら、あの場にはアダムが来る可能性高かったじゃないか。

 実際、来たよね。

 そこにスタングレネードなんて投げ込んだら、彼も巻き込んでしまってかわいそうだろう」

 何せ、互いに、時には殺意を覚えるほどの天敵ではある。

 だが、とても大切な後輩なので、進んで傷つけたいとは思えないと言う事だ。

「親バカですね」

「よしてくれ、私が彼の親だなんて、気色悪い」

 サイコシルバーは、ここで心底さじを投げた。

 この男は、間違いなく狂っている。

 狂人の言葉に深く聞き入り過ぎると、狂気に引き込まれかねない。

 戯言は打ち切る事にした。

「……ブロスフェルト先生は、あなたの親方じゃなかったんですか」

 サイコシルバーは、迷惑そうな声色で、クリスに詰問する。

「そうだよ。

 彼のおかげで私は“あの組織”に就職できた。

 勤続年数としてはまだ二年程度だけど、私はあそこに骨をうずめたい。

 忠誠を誓ってるよ」

「それで?

 あなたは“組織”に忠誠を誓っている。

 あなたにとって、先生は“組織”の上司だ。

 その先生が、あの土壇場で、俺に警察を仕向けてきた。

 それはつまり」

「待ってくれ、それは誤解だ。

 私も、彼が急にあんな事をするなんて想像していなかった。

 事実、君が彼の考えを見抜いた時も、私は信じなかっただろう?」

 クリスは、ブロスフェルト教諭のツテで“組織”に入った。

 そして、組織において、クリスはブロスフェルト教諭の下にいた。

 だからこそ、ホームカミングでの一件があった。

 ブロスフェルト教諭が“組織”の意向で動いているとすれば、クリスと彼は味方同士であるはずなのだ。

 だが、今ある現実は違った。

 クリスは教諭の、突然の暴挙を把握していなかった。

 確かに、彼ら“組織”の目的は――何に使うつもりかは知らないが――サイコシルバーの戦闘データ……言い換えれば、行動記録である。

 それなのに、あそこで警察に捕まえさせてしまっては、計画自体が頓挫してしまう。

 そしてクリスは、嘘を言っていない。

「先生には先生の思惑がある、と?」

「順当に考えれば、そうなるだろう」

「もし、それが正しければ?」

「ブロスフェルト先生は、私の敵かもしれないね」

 クリスは、少しのためらいも無く言い放った。

 “組織”との縁は、ブロスフェルト教諭が取り持ったもの。

 しかしだからと言って、従う相手が教諭である理由は無い。

 普通の企業でも、人事採用担当者がきっかけで入社するものだが、

 だからと言って、その担当者が会社に背いた時、彼に付き従う理由などどこにもない。

「とにかく、私にも至らない点はあるだろうが、これからもよろしく頼むよ。

 サイコシルバー」

 のうのうと言い、クリスは、堂々と小型端末を取り出して、今日のデータを入力する。

 クリスとの接触の一つ一つが、組織の目的を完成に近づける。

 自分が悪の組織の手先に成り下がっていると知りながら。

 それでもサイコシルバーは。




 経緯は忘れたが、タイラーとベンが衝突した。

 サーシャは、タイラーを近衛兵から解雇した。

 彼女への貢献度で言えば、ベンの方が勝っていたからだ。

 高価な機材と、それを使いこなす高い技術力を、彼女一人の為に捧げる。

 自分の学業を疎かにしてでも。

 それが、ベンの一貫したスタンスだった。

 普通は出来る事ではない。

 タイラーは、しばしば、サーシャの警護より自分の用事を優先する事があった。

 それでも、しっかり代理を立ててからサーシャの側を離れていたのだが。

 タイラーは、最大限、サーシャに尽くした。

 トップとなった彼女に対して、少しも態度を変えなかった、数少ない理解者でもあった。

 それもこれも。

 比較対象が、我が身を犠牲にしてまで尽くしてくれたベンでさえなければ。

 そうすれば、タイラーをクビにせずに済んだのだ。

 サーシャは、自分のあまりの不運を嘆き、いい加減泣きたくなってきた。

 だが、それを顔に出すわけにはいかない。

「ごめんね、タイラーくん。

 これからも、困ったことがあったら、何でも言ってくれていいから」

「……」

 タイラーは、物言わず肩をすくめるだけで、サーシャの面前を去った。

 彼が欲しかったのは、サーシャとの、これまで通りの信頼関係のみ。

 ベンと何があったのか、それさえもろくに聞かず、彼女はタイラーの方を罰した。

 何を繕っても、タイラーの心がサーシャに戻る事は難しいだろう。

 それに。

 技術屋のベンはともかく、腕っぷしだけでサーシャを守るなら、代わりはいくらでもいる。

 サーシャの中にそんな損得勘定は全くなかったのだが、タイラーはそうとは見なかった。

 自分が兵隊に過ぎないから、都合が悪くなれば切られたのだ、と考えたのだ。

 ――いい気味だぜ、脳筋タイラー。

 おどおどと、タイラー解雇の様子を見守っていたベンは、

 机に伏すようにして、陰気な笑みを滲ませた。

 事実、この後サーシャは、すんなりと他の男を護衛に任命してのけた。

 タイラー一人が去ったところで、何も変わらなかったのだ。

 ……サーシャの心情以外は、何も。




 まだ三か月程度だが、サーシャのスクール統治はすでに成功と言って良かった。

 むしろ、どちらかと言えば抑圧的だったマリー派とアダム派の政権からの反動か、サーシャのそれは評価が高い。

 マリーやアダム王の下から相当数流れ込んできた上流階級をコントロールしてのけているあたりも、彼ら彼女らを越えたと言っても良い。

 結果的にサーシャは、当代のアインソフ・スクールで、ほとんど天下統一を果たしていたのだ。

 同年代の少年少女が、支配し・支配されるような学校生活を破壊し、皆で手を取り合う理想郷を作り出す。

 そんなサーシャの望みもまた、こうして叶ったのだ。

 だが。

 それなのに、心が満たされないのはなぜだろう。

 サーシャは、皆目見当がつかず、自問するしかない。

 その原因が、ケビンやタイラー……これまで仲睦まじくしてきた仲間達との決別にある事は間違いない。

 女帝の座を奪うより以前は、彼らとの縁が切れるなど、想像もできなかったくらいなのに。

 となれば。

 ケビンやタイラーを失った原因は、自分が女帝に上り詰めた事にある。

 サーシャは、今、ようやく気付いたのだ。

「みんなが、あたしのやり方に適応できていないから、齟齬そごが出てきた。

 みんなが、“あたしが手を下さなくても問題ない”生き方をするようにさえなれば……」

 ……と、答えに至ったは良いが、流石の彼女にも具体的な方法論は浮かばなかった。

 何百と言う人間が共生するスクール。

 人々の数だけ、欲望や好悪の感情は存在する。

 それら全てが、完璧にサーシャだけの都合に合わせて調和することなど、不可能。

「どうすればいいんだろ……考えなきゃ」




 サイコクロースの活動スタイルは、他のヒーローと比べて異彩を放つものだ。

 その名の由来に違わず、彼は“贈り物”を届ける事で正義を果たす。

 身体能力や謀略に物を言わせ、他人を陥れる他のヒーローとは違うと自負している。

 騒がしいスクールが、ようやく寝静まった深夜。

 夜闇に溶け込むためだろうか。

 赤と白という典型的なサンタのカラーリングだったサイコクロース。

 それが今は、茶色と黒を基調とした色に変わっていた。

 当然だが、白い大きな袋をかついでいる。

 音も無く女子寮に忍び寄ると、昆虫のような滑らかさで、壁をよじのぼる。

 五階まで上がると、ようやく登攀とうはんを止める。

 袋から、おもむろにガスバーナーを取り出すと、窓ガラスを炙り始めた。

 青い火に舐められ続けると、ガラスの表面が次第に白濁してゆく。

 そこから徐々に、黒く焼け焦げて。

 ガキッと、それなりに派手な破砕音がした。

 焼け割れたガラスの穴から手を入れると、サイコクロースは内側のカギを開けて窓を開け放った。

「……っ!」

 ベッドで寝ていた部屋の主――サーシャ・アベリナが、上体を起こして、呆然としていた。

 だが、悲鳴を上げる事はしない。

 彼女が何を考えているのか、サイコクロースにはわからないし、知ろうとも思っていない。

 ただ、

「クリスマスには早いが、プレゼントだ」

 明らかに、ブロスフェルト教諭とわかる無修正の声で、サイコクロースは告げた。

 そして、袋の中から何かを取り出し、声も出せないサーシャの元へ近づく。

 彼女のそばを素通りし、枕元に置いたのは、小型の端末らしきものだ。

 液晶モニタには SchoolPurificationSystem(学校浄化装置)というロゴが浮かんでいる。

 今のサーシャにとって、都合の良すぎる文字列が、そこにあった。

「質問だ。

 君は、お祈りが出来るかね」

 今日は一二月六日。

 奇しくも、サンタクロースのモデルとされる聖ニコラウスの命日でもある。

 サイコクロースの祖国・ドイツでは、ニコラウスの日に、黒いサンタクロースが、子供に問いかける。

 君はお祈りが出来るか? と。

 クネヒト・ループレヒト。

 彼は、サーシャに覚悟を問うてもいるのだ。

 ロシア人の彼女に、どこまでそれが理解できるかはわからないし、知ろうとも思っていないが。

 とにかく、スクールを浄化する装置は、サーシャの手に贈られたのだ。

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