スクールを浄化せよ!<中編>

 サンクスギビングから五日目、

 アダム王が帰ってきた。

 その面差しは、相変わらず、マシーンのように無表情。

 つまり、長い休日の間に怒りが晴れたわけではないと言う事だ。

 彼の唐突な帰還に、スクールは、またもざわめきに包まれた。

 もっとも、本人の可聴域で、先日までのような反体制的な発言を出来る者はいなかったが。

 自分の求心力が地に落ちた事は、彼自身にもわかっているだろう。

 しかし彼は、依然としてアダム王として振る舞い続けた。

 買い物は使い走りメッセンジャーにやらせるし、伝言も使い走りメッセンジャーにやらせる。

 身辺には常に親衛隊をはべらせるのも、変わらない。

 それでも、生徒会の職務は放棄したまま。

 だが、アメフト部での態度は、やや軟化しただろうか。

 少なくとも、一軍メンバーがついていけないような殺人的調練はなくなった。

 また、自主的な警備については、通り一辺倒なパトロールくらいはするようになった。

 この、中途半端な改心が、かえって不気味さを誘った。

 スクールの情勢に敏感な有識者の間では、KINGの内面に何が起きたのか、議論が交わされた。

 だが、誰一人として、決定的な答えを導きだす事はできなかった。




 今や、新生女帝としての地位を確かにしたサーシャ。

 その台頭より以前から、自発的に彼女のボディガードを勤めていたタイラーは、武闘派の最高指揮官として、力をつけていた。

「やあ、君がケビン君だね?」

 肩幅の広いジョック達を手早く指揮し、タイラーは一人の男子生徒を取り囲んだ。

 バンドマン風の、派手な格好をした男子生徒――ケビンと言う――は、何も言えずに怯える事しか出来ない。

「女の取り合いの為に、友達の悪口を広めるなんて、卑怯な事だ」

 タイラーが、本を棒読みするように宣告する。

「ち、違う、それをされたのは、オレのほう――」

「君は、サーシャの友人を傷つけた。一緒に、アメフト部の部室へ行こう」

「馬鹿な、ヘレンと先に付き合っていたのはオレで、悪口を広められた被害者もオレだぞ!? それが、どうして」

「君は、サーシャの友人を傷つけた」

 タイラーは、録音機のように、定型文しか返さない。

 それが、ケビンの焦りと、諦めを誘った。

 こいつには、言葉が通じない。

「一緒に、アメフト部の部室へ行こう」

 かつてのアダム王なら、断りなしに部室を使われる事など許しはしないだろう。

 だが、今の王にはそんな事を咎める気分すらわかない事を、誰もが知っている。

「手荒な事はしないさ。

 君が平和的な解決を望むのであれば」



 男は、いてもたってもいられず、サーシャが一息つく教室へと飛び込んできた。

「ありがとうサーシャ! 君のお陰で、僕の名誉は戻ったし、ヘレンは目を覚ましてくれた」

 興奮ぎみに感謝を表する男子生徒――ロバート――に、サーシャは太陽の笑みで応えた。

「困った時はお互い様、でしょ?」

 ロバートは以前、サーシャが入手出来なかったライブチケットを譲ってくれた事がある。

 ロバート自身も絶対に行きたいと豪語していたライブのチケット、にも関わらずだ。

 しかも、である。

 ロバートの渡したそれは、プレミアムチケットだったのだ。

 当のアーティストと記念撮影と直筆サインという、彼女にとって身に余る程の特典がついていたのだ。

 いつも太陽のように明るいサーシャの落ち込む姿を見たくない。

 その感情が、彼の中で損得勘定を越えた。

 もちろん、サーシャとしても物乞いをするつもりは全く無かった。

 それでもむしろ、ロバートの方が、譲ると言ってきかず。

 サーシャが根負けして折れる事になったのだ。

 後ろ髪引かれる思いこそあったものの、大好きなアーティストとの至れり尽くせりな想い出は、サーシャの記憶の中でも一等輝く宝となった。

 そうまでされては、サーシャも彼に対して強い恩義を感じずにはいられなかった。

 だが。

「……本当にありがとう、サーシャ」

 ひとしきり喜び、落ち着きを取り戻したロバートは、サーシャの御前を去る。

 その顔が、どこかやましさを帯びているように見えるのは、サーシャの気のせいだろうか。

 それとも。

 ヘレンという一人の女子生徒を巡ったこの事件の“真相”を、サーシャが知ってしまっているせいだろうか。

 先代女帝からむしり取った、(ほぼ)全女生徒のネットワークというものは、思いのほか便利なものだ。

 周囲に伏せていたとは言え、ケビンがヘレンと交際していたのは事実だ。

 そして、ロバートがそれに横恋慕し、ケビンの悪い噂を流したのもまた事実。

 今回のケースは、

 ケビンの言い分が、全面的に正しいのだ。

 無論、ケビンはロバートに対して反撃した。

 だがそれは、自分の名誉と、ヘレンとの関係を守る為の、正当な理由からだ。

 被害者は、ケビンの方。

 ロバートは、サーシャに対して嘘偽りの陳述をした。

 サーシャが次代の女帝となった途端、意中の女を手に入れるべく、彼女の権利と人脈を利用したのだ。

 サーシャは、それをあえて知らない風に振る舞い、略奪愛の手助けをした。

 サーシャが手を貸した事は、恐らく、ロバートにとっても良い事では無かったはずだ。

 件のヘレンという女生徒にしても、浮ついた気持ちがあったからこそ、こうも簡単に男を乗り換えたのだろう。

 ヘレンの人となりを女生徒ネットワークから分析したサーシャは、いずれロバートも同じ末路を辿るであろうと予想している。

 ケビンとロバートを公平に扱い、事を穏便に済ます選択肢もあった。

 ケビンが、納得してヘレンを諦めるか。

 ロバートが、自分の不義を悔い改めるか。

 そうして二人が和解すれば理想的だと、サーシャも考えてはいたし、最初のうちは尽力した。

 だが、ケビンとロバートの仲がもはや手遅れの域に達していると悟った時、彼女は選択を迫られた。

 ケビンを助けるか、ロバートを助けるか。

 ロバートに対してもただならぬ恩があったが、

 実はサーシャは、ケビンからも多大なる恩を受けていたのだ。

 むしろ、何度も救われている。

 多忙で、かつ、そそっかしい所もあるサーシャは、よく部屋に財布を忘れる。

 何もする事がなければ、寮まで戻れば良い話なのだが、近頃は仲間達の陳情も倍以上に増えた。

 演劇の練習もある。

 そんな場合は、時間を惜しんで昼食を抜く事が多かった。

 貧血気味な彼女にとって、昼食は重要であるにも関わらず。

 それを見かねて、よく食べ物を差し入れてくれたのは、いつもケビンだった。

 今回争った二人は、どちらもサーシャの為に動いてくれる人間だった。

 だからサーシャは、二人が自分のためにしてくれた事を天秤にかけた。

 結果、ロバートからのスコアがケビンのそれよりも高いと判断した。

 だから、ケビンを裁いた。

「ケビンくんには、別な女の子を引き合わせて、今回の埋め合わせをしたいのだけど……。

 たしかアマンダが、ケビンくんのことを少し気にしてたし」

「たぶん、無理だよ……」

 陰気な声でサーシャに応えたのは、部屋の隅でノートパソコンを見ていたベンだ。

 今しがたまで付けていたイヤホンをはずす。

「今、ケビン君の話とか独り言を盗聴してたんだけど……サーシャさんの事、相当恨んでるよこれは」

 ベンは、豊富な機器とIT技術で、情報面のサポートをしてくれている。

 特に、マリーから引き継いだ情報網では、男子生徒の情報をカバーできない。

 そうした意味でも、彼は現女帝にとって欠かせないブレーンと言えた。

 ロバートの嘘を見抜けたのも、ベンのお陰だ。

 それはともかく、ベンの報告に、サーシャの胸は痛んだ。

 ケビンにとって、ヘレンの存在がどれだけ大きかったか、わかっていた。

 付き合い始めた頃、サーシャにだけは、報告してくれた。

 二人とも、この上なく満たされた笑顔だった。

 それでも、理不尽なやり方でヘレンを取り上げなければならなかった事には、やり場のない苦しさもあった。

 こんな事はしたくなかった。

 ――ケビンがロバートよりも、多くあたしを助けていたなら。

 サーシャは、それが無念でならなかった。

「あたしの差し金と知られた以上、修復は無理、か」

 拘束の際、タイラーがサーシャの名前を出さなければ、こうはならなかった。

 ……と、口に出して言うわけにはいかない。

 タイラーは、サーシャの為に汚れ役をかって出てくれているのだ。

 ミスを責めれば、彼の恩義に背く事となる。

 それだけは出来ない。

 となれば、ケビンとの仲は、ほとぼりが冷めるまで待つか、いっそ諦めるしかない。

 サーシャの身を、いつも気遣ってくれたケビン。

 彼の優しい差し入れでどれだけ助けられた事か。

 そして、自分をこんなにも思ってくれる存在が居て、どれほど心が満たされたことか。

 どうして、どうしてこんな事に。

 サーシャは、ただただ悔やむ事しかできなかった。

 ともあれ。

 頂点に立ったサーシャに、私怨だけで反抗出来る生徒はまずいない。

 このままケビンを放っておいても実害はないが……。

「それでも、償いはしなきゃね」

 この先、ずっと憎まれようとも。

「ベンくん。

 悪いんだけど、アマンダとケビンくんを引き合わせるの、手伝ってくれる?

 明後日の、ケビンくんの予定を教えてくれれば、何とかするから」

 サーシャは、陰からケビンを助けようと誓った。

 女帝の座を得る以前にも、こう言う矛盾にはぶつかってきた。

 だが、女帝の地位を得てからは、数が爆発的に増えた。

 元々マリーの派閥に属していた生徒が、サーシャのコミュニティに流れ込んできたのだ。

 更に、最近のアダム王の求心力低下で、カースト上位層の生徒が、大勢サーシャを頼るようになってきた。

 人が増えれば、それだけ、誰かと誰かの利害が競合する場面が増える。

 また、サーシャのやり方を理解している有力者は、こぞって彼女に何かしらの恩を売るようにもなってきた。

 彼ら彼女らの本音を見破ったとしても、恩は恩だ。

 無視してはならない。

 受けた恩の大きさを的確に分析し、切り離した方の恩人をいかにケア出来るか。

 サーシャ政権の課題にして、普遍的なスタンスと言えよう。




 時系列としては、ケビンが連行された直後。

 ホームカミング以降、すっかりスクールの名物と化したサイコシルバー。

 彼は、堂々と校内を疾駆していた。

 今まさに、阻止すべき悪事が起ころうとしているからだ。

 何の落ち度も無いケビンが、事実無根の罪で糾弾され、ロバートの謀略によって恋人を奪われようとしている。

 しかも、サーシャの手先が、ジョックの腕力に物を言わせて、そんな不条理を成就させようとしている。

 見過ごせるはずもない。

 また、マナの為にも、サーシャの専横をこれ以上許してはならない。

 だから、ケビンがアメフトの部室に連れ込まれる前に救うつもりだ。

 数と権威と腕力をたのみに他人を抑圧するような野蛮人に対しては、それを上回る力と恐怖で支配し、正してやらなければ。

 だが。

 前方、サイコシルバーの意気込みに水を差す存在が立ちはだかる。

「……普通の人間風情が、今更何の用で、俺を阻みますか」

 近頃、腑抜ふぬけきった態度で、自分の足元すら危うくしているバカ殿……アダム・ダフィである。

 彼の背後に控える側近達も、今は何を考えているのやら。

「“普通の人間風情”だと?

 思いあがった物言いだ。

 ならば、お前は何様だ」

 アダム王は、感情乏しくサイコシルバーに問うた。

「それを言い聞かせたところで、あなたの理解が及ぶとは思えない」

「つまり、俺の追求から逃げるだけ、と言う事だな」

「勝利宣言を行う分にはご自由に。

 わかったら、そこを退いてもらえますか」

 サイコシルバーの語調は、どこか余裕がない。

「……俺が退く分には、言う通りにしてやるのも、やぶさかではない」

 アダム王としては、破格に殊勝な物言いだ。

 これで、何もないはずがない!

 サイコシルバーは、ことさら警戒を強め、身構えた。

 だが。

 それすらも、無意味だった。

「警察だ! 武器を捨て、その場に這いつくばれ!」

 このだだっ広い廊下で、一瞬のうちに踏み込まれるとは。

 まばたきを数回しただけのつもりだが、

 サイコシルバーは、ニューヨーク市警察の精鋭に、前後を包囲されていた。

 それを先導するように立つのは、

「ブロスフェルト先生……」

 ごく平凡に老成した、社会科教師だった。

「貴方も大概恥知らずですね。

 ホームカミングで俺を祭り上げたのは、貴方でしたよね?」

 教師は、サイコシルバーに対して何も言わない。

 ただ、自分が呼びつけた警官達に対し、

「あれが、我が校に出没していた不審者だ。

 早々に捕えてくれ」

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