サンクスギビング<後編>

 ビリーの部屋。

 テレビは、映画・フルメタルジャケットのDVD を無為に流し続けている。

 南郷もビリーも、画面は見ていない。

 ハートマン軍曹の、語彙力溢れる罵詈雑言をBGMに、ダーツを投げているのだ。

「くそっ、バーストだ」

 ビリーが無念を吐き出すその口で、宅配ピザを頬張った。

 枕のように分厚い生地は、すでに冷めかけている。

 乾いてカチカチになった、チーズ。

 冷たいトマトソース。

 一応、義務として乗っているサラミ。

 そんなものの集合体。

 それを、コーラで無理矢理流し込む。

「行儀の悪い食べ方だなぁ。

 俺もそろそろ、ゴールが見えてきた」

 彼らは“ゼロワン”と呼ばれるルールで勝負している。

 最初に七〇一点の持ち点が与えられ、得た得点が引かれていく。

 先に持ち点をゼロにした方の勝ちだ。

 ただし、最後の一投は、ぴったりゼロを狙わなければならない。

 例えば、残り五点の時に、七点の的に当てた場合“バースト”となる。

 バーストとなった場合、また五点からやり直しである。

「ああっ、バーストだ」

 二〇点の的にダーツが刺さった瞬間、南郷は悔しそうに頭を抱えた。

「やれやれ、ゴールが見えてきたと言ってなかったか?」

《sir yes sir!》

 南郷の代わりに、テレビの中の海兵隊新兵が応えてくれた。

 鬼軍曹に責め苛まれる青年達を尻目に、南郷はピザをかじる。

 次はビリーの番だ。

 片目をつむり、ダーツを見つめて、理想の場所に飛ぶ様子をシミュレート。

 そして、投げる。

 刺さった。

「なんてこった、またバーストだ!」

「これ、いつ終わるんだろうね」

 チビチビとコーラをすする南郷が、呑気に言う。

 これが、彼らの、感謝祭最終日だった。

 スクールの事も、マナの事も、サイコシルバーの事も、

 何も話題に上がらなかった。




 さて。

 以上のような時間の浪費が行われるより、数時間前の事だ。

 マナと別れ、スクールの寮に戻ろうとした南郷。

 冬の太陽は、沈むのが早い。

 時刻の上では、まだ夕方と言って良かったが、現実には夜のとばりが下りきって真っ暗だった。

 誰も彼も、感謝祭の娑婆しゃばをギリギリまで楽しむつもりか、人の気配がほとんどない。

 事実、寮の窓に灯る光は、まばらだった。

 足元も不確かな闇の中。

 南郷の前に、一つの人影が滑り出してきた。

 南郷は、驚いた風も無く、冷静に指を鳴らした。

 黒服の日本人が五人、南郷とその前に立つ何者かを取り囲んだ。

 腹心・古田を筆頭とした、南郷愛次の親衛隊だ。

「殺していいですよ。今回は正当防衛です」

 南郷は、少しの躊躇も無く言ってのけた。

 そして、小谷という若手の組員もまた、何の躊躇も無く、懐からコルトガバメントを取り出した。

 “ハンドキャノン”の仇名を持つ四五口径のそれは、護身用と呼べる代物ではない。

 弾丸が暴漢を貫通して、流れ弾で誰が死のうと関係ない。

 まさしく、人を殺すための武装だった。

「ちょっと待ってくれ。私は、怪しい者じゃない」

 人影はすぐさま両手を上げて、降参した。

 夜闇に眼が慣れてくると、その映画俳優然としたイケメンマスクが見て取れた。

 クリストファー・ヘイルだ。

「ホームカミングで私を見ただろう?」

「知りませんね。少なくとも、貴方と俺は、直接の面識がない。

 小谷さん、死体はエンパイア・ステート・ビル近くのハドソン川に浮かべましょう」

 南郷は、本気だった。

 この状況を、チャンスとして認識している。

 正当防衛にかこつけて、組員にクリスを射殺させるための、好機だと。

 父である南郷組長も、息子がアメリカの夜道で襲われたとなれば、どうにか納得してくれるに違いない。

 小谷は逮捕されるだろうが、務めを果たして組に復帰すれば、大出世が約束される。

「後生だ、撃たないでくれ。命乞いくらいはさせてくれ。

 私は、君に良い話を持ってきただけなんだ」

 ――この人も、大概肝が据わってる。

 芝居がかった“命乞い”を目の当たりにし、南郷は皮肉を浮かべた。

 この伝説のKINGとやらは、南郷が若頭である事を把握しているはずだ。

 そんな相手と敵対した上、夜道で出会えばどうなるか……理解できないわけがない。

 クリスは、全て計算づくで、この場に現れた。

 その事実が、南郷の歯止めとなった。

「みなさん、ひとまず待機願います」

 南郷が告げると、小谷は何の疑問も差し挟まず、コルトガバメントを懐に戻した。

 だが、いつでも取り出して、クリスの脳天を撃ち抜けるように身構えたままだ。

「それで? 貴方が俺に、良い話を持ってきたとは?

 貴方の暗躍が原因で、俺は、こういう風に、組の皆さんに護衛をお願いする羽目になっているんですがね」

 そして、マナが、いわれなき中傷にさらされている……とは、口にしない。

「私は、サイコシルバーと協力して、サーシャを追い落としたい。

 君のガールフレンドが、いじめから救われるにはそれしかない」

「彼女を女帝に祭り上げた直後に、それですか。

 貴方にとって、俺の脳はプランクトン以下の出来ですか」

「君にはわかるはずだ。

 私の目的は、このスクールでの政争を通した、サイコシルバーの“戦闘データ”収集だ。

 ホームカミングでの事は、その一環でしかない。

 最終的に、マナさんを虐げる勢力が潰れれば、君たちの平和は戻ってくるんだ。

 それでも足りないと言うのなら、私の裁量の範囲で、迷惑をかけた償いもする」

 恥知らずも、ここまで極めれば芸術だ。

 ……と言う文字列を、南郷は何となく頭に浮かべた。

 クリスの言い分は、残念ながら正しい。

 彼は、真の目的を包み隠さず見せて来た。

 そして、サイコシルバーの戦闘データ収集とやらは、南郷が今更どうこうする話でもなくなっている。

 大切なのは、利害の流れだ。

 一度はサーシャを祭り上げたクリス。

 だが、彼にとって真に必要なのは、一度は祭り上げられたサーシャが、サイコシルバーによって凋落ちょうらくする事。

 それによる、サイコシルバーの戦闘データ取得が、最終目標なのだろう。

 今、マナが置かれた窮地は、少なくともサーシャの失脚無くして救えるものではない。

 まんまとマッチポンプの片棒を担がされる形ではあるが……現実問題、南郷が、自分とマナの幸福を取り戻すには、クリスの策に乗るしかなかった。

「……わかりました。

 小谷さん、彼を生かして解放します。ご迷惑をおかけして、申し訳ありませんでした」

 南郷の一声で、小谷は、手を懐から出した。

 その手に、四五口径は無い。

「クリスさん。

 貴方の言い分はよくわかりました。

 けれど――」




 結局、彼の答えは何だったのだろう?

 マナは、何年かぶりの実家の自室で、自問していた。

 柔らかな、薄桃色の唇に、指を添えて。

 長年抱いてきた気持ちを、彼に伝えた。

 簡潔に、過不足無く。

 その確信はある。

 けれど。

 それを受けた彼が何を思ったかまでは、ついぞ知ることができなかった。

 少なくとも、全く興味が無いわけではないとは、わかった。

 そうでなければ、あんな事はしないだろうから。

「及第点、以上かな?」

 誰にともなく、彼女はひとりごちた。

 好きだと伝えて、それに対して、彼が確かな行為で答えてくれて。

 これ以上を望むのは、贅沢に思えた。

 何せ、マナ自身が、南郷と結ばれた後のビジョンが想像できないくらいなのだから。

 元々、無謀な想いでしかなかったのだろう。

 彼女は、そう結論付けた。

 けれど――。

「言えてよかった」

 今言わないと、きっと一生後悔するから。

 昨日、彼女は彼に、そう言った。

 それは、比喩などではなくて、真実。

「この思い出があれば、わたしは、何があってもやっていけるから」




 それ以降、日本人留学生・乾愛いぬいまなが、アインソフ・スクールに現れる事は無かった。

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